このたび、はじめてライブペイントというものを観覧しました。何かの記事とか映像を通じて、そういうものがあるのは知っていましたが、実際に目の前で物が創られていくとは、どういう状況なのだろうと、観る前からわくわくしていたのです。
会場は鹿児島市内「凡」さん。
さいきんしばしばお邪魔しています。
すてきなおみせです。
なんだろう、くせになる。
ライブペイントは複数人のアーティストによるコラボレーションで、音に合わせて絵が描かれていきます。
<アーティストの方々>
ハンドパン/宮本大地 さん
voice/ChuMakino さん
ガジェット/松久峯文 さん
electronics/HiroshiYamori さん
art/NONOKA さん
キャンバスのすぐそばで観覧。
幻想的な音の連なりがひとつの束になりはじめたころ、画が動き出しました。
刷毛がキャンバスを走る音が耳にあざやかで、いかにも何かがはじまる雰囲気です。
個人的な感想なのですけど、ライブペイントとは、単に「音楽に合わせて絵を描きます」というのではなくて(それじゃ絵描き唄だよ)、ミュージシャンとペインターが互いの技芸を用い、ときに同調し、時に煽り、ときにリードして作り上げていくものなのかなあと思いました。
真っ白なキャンバスが幾度も塗り重ねられていく。
意味が生成されては上書きされ、またあたらしい意味が姿をあらわす。
声と音楽が啓示し、色と形が生まれる。
詠唱と祈り・秘儀。
さながら降霊術です。
NONOKAさん
ぼくは目撃者としてそこにいるわけですけど、アーティストたちの交感のうねりみたいなものが会場全体を取り巻いて、ぼくはその中で右に左に揺られている感じです。他の観覧者さんたちも同じ心持ちだったのではないですかね。
アーティストの交感を妨げることの無いように、小さな音一つ立てまいと、神経を尖らせます。そうすると、目の前で繰り広げられている創造のぶつかりあいにますます飲みこまれていくわけですが、気が付けば、自分も視線でアーティストたちを強迫しているようなおもむきになってきます。
「さあどうする!」
「これからどうなる?」
それがさらにこうじると、「いつの間にか自分たちも音の啓示を受けて絵を描いているような気がしてくる」。
交感がアーティストだけのものでなく見ている人にまで広がると、会場に満ちる混沌の予兆(あるいは期待)めいたものが、一つのまとまりにおさまろうとします……が、たちまち別の力が働いてそれを止めます。自由な創造が秘蹟化されるのを拒むかのようです。
その力の正体は 正直よく分からないけど 刹那的に「狂気めいたもの」として感じられました。狂気がものごとをすすめるのではなく、狂気が創造の暴走を抑え込んでいる。その時に走る火花が、美や快といった結晶になって、キャンバスに示されるのかしら、と、そんな感じがぼくにはしました。
ライブペイントの後、ぼくはできあがった絵を見て「すごいなー」とびっくりしたのですが、心の別のところでは、不思議な達成感を感じていました。
キャンバスに残る無数の絵の具の翳。そのどこかに、自分が視線によせて送った念の跡がありはしないか、と。
また行きたいです^^
アーティストの皆さん、ありがとうございました。