個人の備忘録的年次報告です。大したことは書いていません。お暇な方だけご覧になってください。
暮れの戯言です。
2023年の世相を振り返ると、強固な意志や力のあらわれは感じられず、肉体が緩慢な毒に侵されて徐々に衰弱していくように、負の方向に蝕まれていく……そんな印象だった。
ロシアのウクライナ侵攻は2度目の年跨ぎ。エネルギー価格が上がりっぱなしの中、FRBのインフレ対策がスタート。円安進行して物価上昇。やっと新型コロナから解放されたと思ったら、今度は経済かよと嘆息。
国内では悪い膿が絞り出されはじめた。ジャニーズ、宝塚、ビッグモーター、ダイハツ不正、清和会の裏金問題……等々。報道されるたび「やれやれ」と思ったが、悪弊が掘り起こされ駆逐されるのは良いことで、悪い膿は全部絞り出し、クリーンな未来につながればよいと思う。
国内の統計によると、今年は飲食店を中心に多くの個人商店が倒産したという。新型コロナの補助金で延命していた弱小店が、資金供給を絶たれて潰れたわけで、可哀想だけど一種の淘汰といえる。適者生存。今後はいわゆる「弱者」への風当たりが強くなるだろう。みんな仲良く生き残るのはもう無理。そういう兆しが見えはじめた令和五年は、まさに「サバイバル元年」だったんじゃないか。
兎にも角にも今年は終わる。以下、私自身の地味な一年を書き記します。
- フリーランス9年目。創業以来最低レベルの売上。しかし昨年着手した自サイトSEOが奏功し、年末段階の受託件数は過去最高。2024年にこれらが納品されれば糊口をしのげるかもしれない。
- 販促。今年はグーグル広告のみ。ほぼ役立たず。クラウドソーシングに3つ登録。注文はゼロだが、本来の目的「検索結果から競合を蹴落とす」手立てとして奏功。
- 今年は手に負えない案件を周囲のできる人や企業にお譲りしたケースが2件ほどあった。助かりました。
- 社会保険を考えてマイクロ法人化を検討したけど、売上がアホ程なさ過ぎて、とりやめた。
- 文芸活動。KDPは新作1つ、既存作改編2冊。
新作は小説『#切腹女子』(電子書籍:3/3)2022年度南日本文学賞小説部門最終選考作。
既存作改編は『級長畠中賢介の憂国論』(ペーパーバックA5判:8/18)と『学園コメディ無責任姉妹R』(電子書籍:11/6)。
- KDPがらみで、5月末に【手紙をいただいた読者さん】、10月末に【セルパブ作家浅黄幻影さん】とリアル対面。人とつながるKDP、気付けば今年10年目。
- 今年は自作小説を一文字も書かなかった。書きたいこともなかった。近年の自分の創作は「何か書かなきゃ」という強迫観念がほとばしっているに過ぎず、短編をものしても達成感がなかったりして、「こんなことでいいのか?」という疑問が常にあった。その靄が晴れるまで、たぶんもう何も書かないと思う。
- ポンチ画活動。新作銭湯画を4点、酒場戯画2点作描。
以下各代表作。
- 年始早々、銭湯戯画関連で地元テレビにロケありで取り上げられる。三度目の個展を5月26日~7月11日まで開催。障害のある方とのワークショップを経験し、アートのパワーみたいなものを実感した。
- はじめて挿絵を受注した。挿絵といっても図解みたいなもので、数年ぶりにマクロメディア社FLASH MXを開いてベクター描画。ビジネスとして掴めたので事あるごとに営業しよう。
- 通ってた民間ジムが潰れて自治体のトレーニング室を利用するようになった。年末現在2キロ肥大(年始比)。
- 地元開催の演芸会に4つ行った。浪曲を初めて聴いた。
- 首の骨が欠けた(11月16日)何もしていないのに……病院で「老化です」と言われた。
- 読書。20冊くらい読んだんじゃなかろうか。今年はアイザック・アシモフの『ファウンデーション』シリーズに出会えてよかったです。その他、『文明の衝突』ハンチントン、『私、プロレスの見方です』村松友視、等。
- インボイス? なにそれ?
- 電子帳票保存? なにそれ?
- 新型NISA…如何なものか?
- 結婚はしなかった。
今年と昨年を関連付けて考えると、「種蒔」と「収穫」が、年を跨いで引き続いてる感じが如実にした。前年に努力したことが今年結実し、今年努力したことは来年に結実する、という具合である。
ビジネスでは、2022年に受注激減しSEO・SNS対策を講じたところ、2023年に芽が出て受注が増えた。しかし長期案件ばかりで年内にキャッシュ化できず、受注を捌くので精一杯、ほぼノー販促。このままだと来年は、売上は上がっても受注減は必至で、販促を頑張らなきゃ再来年きっと餓死するだろう。
趣味もそうだ。今年はテレビに出たり、個展をやったり、小説で地元文学賞の選考に取り上げてもらった。しかし考えて見りゃあ、そうやって多少日の目を見たのは全部2022年以前の作品で、今年の頑張りは何もない。来年ぼくの手すさびは世間的に無風だろう(それはそれで好いが)。
種蒔と収穫が隔年交互でやってくるなら、一年先を踏まえて行動すりゃあいいってことだけど、運命予測的な舵取りは、主体的な人生を標榜する態度として不真面目である。バイオリズムを先読みして「2024年はこれこれをこうします」みたいなことは敢えて決めまい。なぜなら型にはまると思考停止が起こるからだ。
当今の社会は、経済・安全保障・多様性等々、様々な局面で変化が起きている。もしくはその予兆がある。一寸先、何が起こるか分からない。流動性に対応するために、なるべく自由で柔軟でいることが、膿の出花の混迷社会を渡っていく上で、つまり「サバイバル2年目」を生き抜く上で、賢い生存戦略なんじゃないかと思うのである。
しいていえば
「2024年は、目を凝らして物事を能(よ)く見よう」。
見たら、感じるままに考えよう。頭で考えてはいけない。スピードが大事。つまり直感。これが難しいんだな!
みなさまよいお年を!!!