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創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

無責任落語録(41)「第15弾 みなみ寄席 鹿児島特選落語名人会」観覧記

 

ついにネタでも噺家でもなく観覧記になってしまった……

 

とある映像で「鹿児島人はなぜ鹿児島弁を恥じるのか」という切り口の問題提起を視たことがある。鹿児島人が東京など県外の大都会に行くと、故郷の訛りを恥じて消し、無理やりに標準語もどきをもちいることを、いかがなものかと主張しているのである。

しかしぼくは、その問題提起に疑義を呈したい。鹿児島人は別に鹿児島弁を恥じていないと思う。詳しい分析は心理学や人類学の研究を俟つ必要があるが、簡単にいえば方言はプライベート、標準語はオフィシャルで、公私の別がある。どちらが上でどちらが良いというのではなくて、様式的なもの。恥じるのではなく、公私の別をわきまえているだけだと思うのである。

もっとも  加えて鹿児島の場合、他県にはない感情論、すなわち同族嫌悪というものが、歴史的に根付いているかもしれない。

明治の御一新の際、鹿児島から多くの有為の人々が東京に出た。鹿児島に残った連中の中には上京組に対し、出世に出遅れたという思いがあったことだろう。上京した薩摩人が一時の里帰りをし、古き仲間に故郷の言葉で語りかけたりすると、残留組は出世組に後ろ指をさし、忌々しげに言い合った。

「あんしは、薩摩を捨てっせぇ、東京どん行ったくせに、ないがいまさら薩摩ん言葉をつこちょっとか。恥知らずが」
(訳:あいつらは薩摩を捨てて東京に行ったのに、どうして今になって薩摩言葉を使ってるんだ。恥知らずめ)

このように鹿児島人が鹿児島弁を聞いて腹が立つという状況が発生し、それが今日まで波及しているのではないか……と、ぼくは思うのである(私見だ!)。西南の役も実はこうした同族嫌悪が小さな火種になっているのじゃないかと思わないでもない。

テレビに鹿児島出身タレントが登場して言葉の端々に鹿児島のイントネーションがあるのを聞くと  おそらくそれは他県民が聞いてもまったく分からないレベルだと思うが  無性に不快感を生じるのは、彼らが鹿児島という田舎を脱して芸能界という全国レベルの世界で栄達を掴みかけているのを目の当たりにし、明治の薩摩の残留組のごとく、嫉妬や裏切り者感が湧きあがるからではなかろうか……と思わないでもない。

 

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てえてえ。

置きが長くなりましたが、とにかくそんなわけで、ぼくが鹿児島出身の噺家さんの里帰り落語会を避けていたのは、同族嫌悪に駆られていたからだと、素直に白状しましょう。

今回観覧した「第15弾 みなみ寄席 鹿児島特選落語名人会」、行く前は正直あまり乗り気ではありませんでした(じゃあなんでチケット取ったんだよ)。

だけど見終えた今では、言ってよかったと素直に思っておりますよ。

今回の陣容は以下の通りでした。

開場13:30 開演14:00

<オープニングトーク 15分>

 春風亭柳若『猫の皿』30分
 三遊亭圓歌『やかん工事中』30分
 桂竹丸バンコク寿限無』30分

 <仲入り 15分>

 春風亭柳之助『里帰り』30分
 林家彦いち『天狗捌き』45分

 

内容について、簡単な印象をツイッターで呟きました。

 

その他、呟き足りなかった印象を列記しますと……

開口一番柳若さんは、頭の良さが分かる聞きやすい口ぶり。さわやかさで鹿児島弁があまり気にならなかった。まくらでタイヨー(鹿児島でメジャーなスーパー)の話が出た時は、意外な気付きをえた。というのは、普段CD等で落語を聴いていて鹿児島の話なんて入ること決して無いのだが、ここに『久しぶりにタイヨーで鳥刺しを買って』などと入ることで、非常に距離の近いものを感じた上、それがいかにも自然に感じられた。鹿児島人にとってタイヨーは日常である。そして落語も庶民生活そのものを描き出すものである。親和性が無いわけがない。

歌之介改め四代目三遊亭圓歌の芸風は、以前よりも一層オーバーでより門切的になってきたと思う。独特の呼吸、短く区切った展開。二代目とも三代目とも違う芸風で、間違いなく「歌之介落語」が完成されつつある。よくよく見ていると、身振り手振り、インパクトのつくりかた、声のあげ方は、桂枝雀にそっくりだ。

竹丸師はオリジナルテイストの寿限無の前に、芸協の会長を一人ずつ切っていく小噺をもりこんだ。古くからの落語ファンは満足したと思う。かすかに挟んだ物真似が実は非常に秀逸だった。

柳之助師は人情噺を持ってきた。役どころである。文句なし。

彦いち師の噺はいかにも今風の落語テイスト。最近受けている方々の噺は、登場人物やストーリーがデフォルメを通り越して歪なほど誇張している感があり、ドラマというよりコミックであるように思えてならない。それがよしとされる時代なのだろうが、果たして。

総括として……多分にぼくの鹿児島県出身噺家に対する食わず嫌いに等しい同族嫌悪は解消したと思う。なぜかと言われると言葉に窮するが、それを検証するためにも、また機会があったら拝聴したいと思います。鹿児島出身の噺家さんは、この他にも種平さん、白酒さん等々、大勢いらっしゃいます。感染症もあるけどぜひ里帰り落語会をお願いしたいと思います。

 

以上乱暴ですが、観覧記でした。おしまい。

潮騒の海上ホテルでごろごろした話。

 

の行楽に、指宿海上ホテルを訪れました。8/27のことです。 朝夕食付きの一泊旅行です。
世間は感染症であまりこういった行動は控えるべきなのかもしれませんけど、とにかく気づまりで、ただもういつもと違う部屋で何もせずにぼぉぉぅっとしたかったのです。
ワクチンも二発撃ったことだし、強行しました。

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正面。古めかしくもあり、斬新でもあり。

旅行サイトで予約したんですが、

「お部屋は選べません」
「海側と山側がありますが、山側と思ってください」

と記されていました。名に「海上」を冠したホテルに泊まる人で、山側を期待する人なんていないと思うけど、まあ、ぼくは部屋でごろごろするだけのつもりなので景観はどうでもよく、深いことは考えずシングルルームを選びました。

ところが着いてみると…

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鹿児島湾大パノラマ

部屋に入って驚きました。バルコニの外はガッツリ「シーサイド」です。景観はどうでもいいといっても、やっぱり広がる青い海を目にすると「わあっ^^」ってなりますね。眼下の浜辺から途切れることなく潮騒が届いて、涼やかです。

しかもお部屋は

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ベッドがふたつある!

シングルでお願いしたのが、ダブルを超えてツインになった上、和室がついていた。普段畳の部屋で過ごすことがないので、とてもうれしかったのでした。

こういったことは、非常にラッキーだと思うのだけど、新型コロナウィルスの感染拡大の影響があるのかな。お宿のひとも、一生懸命やってらっしゃる。意気に感じてこうして振り返り記事を書いています。

あ。言っときますけど、いつ誰が予約してもこういうお手配があるとは限らないと思いますので、そこは念を押しておきます

 

建物も部屋も古いけど、よく掃除が行き届いて、大事に扱われている。驚いたのは部屋の隅の茶釜です。

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茶☆釜

最近のビジネスホテルは電気ケトルが置いてあるものだけど、ここにはそういったものは無かった。つまり、これでお湯を沸かしてください、ということでしょうか。使い方が分からなかったから、とりあえずよしときました。備え付け魔法瓶(電気で沸かせないやつ)にお湯がいっぱい入っていて、翌日までアチアチでしたよ。

 

ゆうはん。

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旅の究極は食道楽です。

旅館の楽しみといえば温泉と食事です。温泉は良かった。写真は撮ってませんけど、これはいつか絵に描きたいと思っています。

お夕飯は、階下のレストランで摂りました。内容は上の写真ですけど、これは全体の半分くらいで、このあとじゃんじゃん出てきて、驚くほど満腹になりました。写真のほか、郷土料理のきびなごさし、角煮、指宿名物ソラマメてんぷらなど。ちゃそばもありましたよ。

焼酎はオリジナルブランド「海上」なるものがあって、それを頂戴しました。甘めで喉の通りが良く、香りもよかった。ひとりめしですけど無性にゴキゲンになって、まもなく酔いが回ってふらふらになったので、「ヤバい。一人で部屋に帰れなくなるかもしれん」と思い、早々と退去しました。

 

ルコニの外はもう夜。

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バルコニの外から絶えず潮騒が聞こえる。

風景は時間の経過に合わせ刻一刻その表情を変えていく(陳腐な表現だ)。潮騒が子守唄になる(陳腐だ)。酒が手伝ってまどろみます。寝入りかけたところで急に花火の音がして目が覚めました。どっかで夏祭りをやっていたらしいです。

花火は建物の影で見えなかったが、みごとな月が昇ったよ。

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ほんとはもっとほのかだったのだが、加工の結果こうなりました。

酔いがさめ、眠気も飛んでしまったので、和室で少々原稿を進めました。仕事の。

 

さ。

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おひさんがこれでもかと照り付ける。

早起きしてご来光を拝みたかったんですが、寝坊しました。朝日が照り付けてたちまち部屋が暑くなったので、部屋の冷房を利かせておいて朝風呂に。温泉は良かった。そのうち絵に描くってば。

 

朝ご飯を食べに階下へ。

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ピンクのお盆はいただけないな

本来はバイキング形式らしいんですが、感染拡大防止対策で個食小分けになっていました。
でもぼくはこっちのほうがいいと思います。
どこのホテルでも見受けられる光景ですが、朝のバイキング会場で、ぼやぼやした感じの人々が行き交ってるのは、いつみてもあんまりいい絵面じゃない。
それよりはこういう風にピシャンと揃っている方が、無駄が無くっていいってもんです。

それにしても夕飯同様量が多い。この地域の人々は毎日このくらい食べているんでしょうか。おいしいから全部食べてしまいました。

 

朝食が済んだらチェックアウトの時間まで無為の時を過ごします。
畳の部屋も、バルコニの海も、二つのベッドも、昨晩まで浮き立つように面白く見えたものですが、いざ帰るとなると、惜別の情がこみ上げ、私は涙を、涙を……、とはなりませんでしたが、また来たいなと思いました。

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さよなら

指宿海上ホテルは、当地の老舗旅館の一つです。コロナのために、いろんなサービスがストップしていましたが、ほんらいは、喫茶店があったり、地下にライブバーがあったり、旅を楽しむ要素がもりだくさんだそうです。
おすすめですよ。

 

以上、旅行記でございました。
上記の通り散財したんで、どうか本を買って助けてください。

 

小説を書くことについての近況報告

 

況を報告します(`A')ゞ
まるでいっぱしの小説書きのような物言いをぶっかまし、なんだかこっぱずかしい体裁だけど、なによりこのブログが止まってるのが気になって、とりあえず秋空に向かって声を発します。カァ。

 

◆報告 小説は、今は書いておりません。

 

あくまで「今は」です。つい二週間前まで書いていて、短いのを仕上げました。いつものように寝かせてから推敲をしようと考え、放置しています。それきり書いていません。ほんとは何か手掛けていたいんですよ。でもできない。

理由は二つあります。

 

一つ、書くことがない
二つ、何か書くにしても、分量が短くなるようにしたい

 

書くことが無いのは平和な証拠です。毎日ご飯がおいしい。だが、ずっと書かないでいることは精神衛生によくない。書いていないその時期は Who am I?”てな具合になってきて、見るもの全てが暗褐色に見えてきます。これでは夜道が危ないから、無理くりにでも企画を練り上げて、さっさと筆を取りたいと思うんですけど、その場合は次もぜひとも短編にしたいと思う。なぜというに、先だって書いた作品で「長いのは破滅の道程」という事実を思い知らされたからであります。

 

五月に大長編『級長畠中賢介の憂国』を上梓しました。自己最高記録原稿用紙660枚で、11か月くらいかかりましたが、最後の方はなかなか書き終わらないことが苦しくて

「はぁ投げ出してえ」
「はぁやめてしまいてえ」

と悶絶していました。ラストスパートは「今日こそ書き上げる!全集中!」と捩じり鉢巻き手甲脚絆、毎日最低50枚ペースで書き進め、ああいうものが仕上がったわけです。

級長 畠中賢介の憂国論
▲こやつが戦犯だ。

その間、仕事を完全にストップしていました。一週間くらいサボったんじゃないだろうか。実際、実入りが途絶えて預金通帳を見て「まじやばくね」と呟いたものです。個人事業だから融通が利くけど、会社員だったら素行不良&公私混同で咎めです。ていうか会社員の頃も自作に縛されて仕事を滞らせ、上司を不安に陥れていました。だって、自分の作品が気になって仕事が手に着かないんですもん。そんな状態で仕事したってうまくいきっこありませんよ。

 

そういうわけで、『級長云々』の件は大いに反省し、これからは長いのは書かないで短いのを書こう、と決めたのです。せいぜい100枚以内だったら、仕事に支障がでないだろうから。や、長いのは二度と書かんというのじゃなくて、当分は、です。今は懲りてるってことです。

 

しかし短いのって難しいですな。普段無制限に書き散らしているから、短いのを考える用に脳みそがなっていない。しかも、ぼくは短い小説を書くのに不向きだ&理由がない。長い作品なら自分の意見というものをめんめんと縫い込んでいけるんですが、短いのはどっか見栄えのする「作品」にしなきゃならず、体操でいうこところの見事な着地、「きれいにしあげなきゃいかん」というあざとさが要る気がする。そこをつきつめると小説づくりはますます技巧的にならざるを得ず、着想の時点ですでにいろいろ制限を設けられ、その中で何かやろうとしても思いつかない、つまり「書くことがない」という非常にだらけた、才気に欠けた発言につながるのです。しょうがねえやな。技術技巧を知恵の輪みたいにかちゃかちゃやるのは、おしりがむずむずして耐えられません。

 

いま寝かしている短編は、これはコメディともミステリともつかないものですけど、そのうちまたお手元のキンドルでご機嫌をうかがうことでしょう。

ではまた、さようなら。
とにかくブログの記事が書けて良かった。

 

 

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