アヲイ報◆愚痴とか落語とか小説とか。

創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

試論

 作家とは、物語作家に限らず、いろんな場で使われる言葉です。レシピ作家、放送作家、舞台作家……等々。様々な冠表記があることから分かるように、作家はそれぞれの分野で何かを実現するために必要となるスクリプトを制作します。ですが、その成果物は手段にすぎません。たとえば、放送作家の作成する放送台本は、収録時にMCがしゃべる内容やタレントの動きが記してあり、番組作りの核心をなしますが、それ自体はあくまでツールです。台本そのものを書き上げるのが目的であるような放送作家はいません。その台本で良い番組を作る――もっといえば「高視聴率を稼ぎだす番組を作る」――という真の目的が、厳然と存在しているのです。
 これと同じで、物語作家も、物語のために物語を書いているのではない――というのが通念です。自分の考えやメッセージを発信する手段として、創作に言葉を託した物語を作成します。洗練された物語作家は往々にして物語作りにその身を留(とど)めません。政治や環境活動に飛び出したり、別の表現分野に移っていきます。最終的には、言論系の文化人に収まっていく傾向があります。このように、何かを実現するためにオリジナルの意見を醸成し言葉にするのが物語作家です。

 一方、小説家とは、創作物語を作成して人々を楽しませる仕事です。エンターテイナーであり、ファンあってのビジネスです。小説にはジャンルごとにそれを嗜好するファンがいます。小説家は自分が専門とするジャンルのファンを喜ばせるために、作品をリリースします。ジャンルの範疇で創作し、シリーズ化し、なるべく長く、なるべく豊かにファンを楽しませようと努めます。その「手を変え品を変え」するテクニックは見事です。変な例ですが足の官能について著す場合、ある作品はふくらはぎ、ある作品はストッキング、ある作品は裸足……等々、一つのファクトを多面的にエンターテイメントとしてカッティングしていきます。極論すると、小説家とはフェティシズムの具現者です。小説家の小説は、それ自体が完成品であり、目的的なのです。
 これは大変な才能ですよね! 書店に行くと、同傾向作がずらっと並んでいる小説家がいます。書いていて飽きないのかと思うくらいですが、それがやれちゃうのが小説家なのです。

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