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創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

無責任落語録(36)「初代林家三平」

 

前号が噺家回だったのに、また噺家回だ。まあいいや。

いこと趣味の小説をやっているが、今年になっていろいろと方向転換をしはじめた。KDPにやや飽きつつあるのと、自分の作風を元のスタイルに戻そうと  そろそろいい歳になった気もするので  思いはじめたからである。

本音を言うと、KDPは飽きたというより、売れないから拗ねたんだけどね。

で、新たな活動というほどではないが、これまでやったことのないこと、あるいは十数年やってなかったことに、チャレンジしている。
主なのを挙げると

  • (KDP・投稿のための)積極的な原稿制作
  • 小説サイトへの定期的な投稿(過去作)
  • 公募に励んでいる人たちの電子的な集まりへの参加

この三つである。

 

の三つには三つなりの世界がある。それぞれの場で励んでいる人たちの了見というか性分というか、いろいろ違う。実に面白い。

KDPは、作品づくり以外にも注力しないといけないことがあるから、八人芸の器用さが必要だ。小説サイトは、応募や個別評価でアカウントのバリューを高め、出版社の「蜘蛛の糸」の垂れるのを待つ。狙うは書籍化。公募の人は、新人賞を目指す。これはもうガムシャラだ。

まあ、それぞれの立場から他の立場を見た時、いろいろ思うところもあるだろう。
KDPから見たら、ほかのものは「金にもならんのに」と思えるかもしれないし、小説サイトから見たら「やっぱ物理(書籍化)でしょ」だし、公募の人は「KDPも投稿サイトも落選作の第二の人生」かもしれない。

いずれにしろ、承認欲求と自己肯定、中には「世間を見返したる」という感情……人間の業がありありと浮かんでいます。

 

見ですけど、どこを見渡してもなかなか見当たらないのが、「ええもんが書きたい」というだけの人です。や、もちろんゼロじゃないと思う。ゼロじゃないけど、「売れたい/書籍を出したい/受賞作家になりたい」というのがかなり先立っている。
仮に、近い将来南海トラフがドンとやって、アマゾンが撤退し、紙本が煮炊きの燃料となり、文学賞会社が「それどころじゃねえ」となったら、みんなそれでも物語を書くのでしょうか。

極論だねえ。。。


芸も芸なら話芸も芸。
芸は道具か目的か  
落語好きの仲間内でこの手の話になると、決まって引き合いに出されるのが初代林家三平である。
おそらく戦後最大に売れた噺家であろう。ラジオにテレビにレコードに、はちゃめちゃな売れ方をした。日本国中に愛された。

しかし芸人や通人、評論家には散々な言われようだった。
それもそのはず、人のネタをつかう、客をいじる、おまけに落語そのものはグッチャグチャ。

「あんなのは落語家じゃないよ」
「あたくしはみとめません」

非難轟々である。

けれども「売れる」は正義、勝てば官軍である。
それまでの笑芸は、寄席という枠組みの中でお客様の御機嫌を伺い、おのれの磨いた芸を披露していた。三平は上述のようにタブーもなんのその。寄席の枠組みを飛び越え、客を巻き込んで、徹底して笑いを追及した。ネタを通さずとも、直接笑いを喚起した。それで一躍時の人となったのである。

 

れまで芸道ひと筋でやってきた人たちは、そりゃあ堪らなかっただろう。人がコツコツ努力をしているところに、ひょっこり現れてごっそりもっていかれてしまったのである。

六代目三遊亭圓生は三平を認めなかった。それが因果となってか、落語協会分裂の際に三平一門が離れてしまったことは、大きな痛手だったろう。

その一方で、昭和の大名人と謳われる八代桂文楽と五代古今亭志ん生は、三平の存在を受け入れていたようだ。
八代文楽は「寄席にはお化けが必要です」と、三平がバカ売れするのを喜んだ。芸があろうがなかろうが、彼のお陰で寄席に客が来るならそれでいいという考えだ。
志ん生は三平を可愛がっていろいろ稽古をつけたというが、あまりにダメ過ぎて諦めたという。あの志ん生が匙を投げたというのだから、物凄いエピソードである。


に長けることと、笑いをとることは、やっぱりどこか違う。けれども、こういったことを、三平師匠がどのくらい考えていたかは分からない。少なくともそれを感じさせない芸人であった。

三平は、父親が七代林家正蔵で、父の没後、七代橘家円蔵門下へ移る。その後、テレビの司会をきっかけにブレイク。この時まだ二つ目。芸の定まらないうちに大スターになった三平には、もしかしたら稽古の時間もロクになかったかもしれない。そのまま54歳で亡くなるまで大スターだった。

高座はほとんど漫談だったのではないか。
古典ネタは、親父譲りの「源平盛衰記」、金馬譲りの「清書無筆」、あとは「湯屋番」など。聞いていて確かに楽しい。笑える。広大無辺の三平ワールドである。
それでいいならそれでいい。
ただ、芸をとなると、その判断は……難しい。

後年の三平師匠を笑点の師弟大喜利で見たことがある。林家こん平の師匠として出ていたが、大喜利のルールをすっとばし、わけのわからないことをまくしたてて、正直浮いていた。客席は受けていたが、なんとも物悲しいものを見た気がしたものである。


の若い落語家志望の人に、三平になりたいかと尋ねたら、何と答えるだろう。

最近はどちらかというと、しっかり噺をする落語家が受けていると思う。その中で頭角をあらわすには、大変な修練が必要だろう。それを承知で稽古に稽古、努力を重ねるわけである。
けれども自分が真打になる頃には、流行が一巡して三平のようなナンセンスが受ける時代になっているかもしれない。
今まで歯牙にもかけなかった後進に追い抜かれ、置き去りにされる感覚。
そんな時、彼の人はそれでも落語を愛せるだろうか。
それとも「くそ、こんなもの」と……。

その時、試されるだろう。
芸のために落語をやってるのか。
人気者になるために落語をやってるのか。

これは文芸にも通じるところがあると思う。

三平没後40年近く経つが、いまだに根岸は、あの強さだ。
九蔵襲名ストップ問題について、いろいろな記事を読んだ。「そもそも正蔵の名跡は昔から云々~」と伝えるものが多いが、それは過去の話で、別に何十年も前のことを取り上げて今の話の尾ひれにすることもないとも思う。

むしろ、私が思い出したのは柳朝師匠のことだ。

八代正蔵は、弟子の林家照蔵を真打にする時に、柳橋にキチンと筋を通し、春風亭柳朝を名乗らせた。別に通す筋は、林家でも良かったはずである。だのにわざわざ柳橋のところに行くということは  林家が厄介だということを、稲荷町はご存知だったのかもしれない。

 

さて、来月あたまくらいにKDPの無料キャンペーンをやろうかなと思ってます。
大した芸じゃないけれど、ま、ご笑覧いただきたい。

ブレイブガールスープレックス

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