ついにネタでも噺家でもなく観覧記になってしまった……
昔とある映像で「鹿児島人はなぜ鹿児島弁を恥じるのか」という切り口の問題提起を視たことがある。鹿児島人が東京など県外の大都会に行くと、故郷の訛りを恥じて消し、無理やりに標準語もどきをもちいることを、いかがなものかと主張しているのである。
しかしぼくは、その問題提起に疑義を呈したい。鹿児島人は別に鹿児島弁を恥じていないと思う。詳しい分析は心理学や人類学の研究を俟つ必要があるが、簡単にいえば方言はプライベート、標準語はオフィシャルで、公私の別がある。どちらが上でどちらが良いというのではなくて、様式的なもの。恥じるのではなく、公私の別をわきまえているだけだと思うのである。
もっとも 鹿児島の場合、他県にはない感情論、すなわち同族嫌悪というものが、歴史的に根付いているかもしれない。
明治の御一新の際、鹿児島から多くの有為の人々が東京に出た。鹿児島に残った連中の中には上京組に対し、出世に出遅れたという思いがあったことだろう。上京した薩摩人が一時の里帰りをし、古き仲間に故郷の言葉で語りかけたりすると、残留組は出世組に後ろ指をさし、忌々しげに言い合った。
「あんしは、薩摩を捨てっせぇ、東京どん行ったくせに、ないがいまさら薩摩ん言葉をつこちょっとか。恥知らずが」
(訳:あいつらは薩摩を捨てて東京に行ったのに、どうして今になって薩摩言葉を使ってるんだ。恥知らずめ)
このように鹿児島人が鹿児島弁を聞いて腹が立つという状況が発生し、それが今日まで波及しているのではないか……と、ぼくは思うのである(私見だ!)。西南の役も実はこうした同族嫌悪が小さな火種になっているのじゃないかと思わないでもない。
テレビに鹿児島出身タレントが登場して言葉の端々に鹿児島のイントネーションがあるのを聞くと おそらくそれは他県民が聞いてもまったく分からないレベルだと思うが 無性に不快感を生じるのは、彼らが鹿児島という田舎を脱して芸能界という全国レベルの世界で栄達を掴みかけているのを目の当たりにし、明治の薩摩の残留組のごとく、嫉妬や裏切り者感が湧きあがるからではなかろうか……。
前置きが長くなりましたが、とにかくそんなわけで、ぼくが鹿児島出身の噺家さんの里帰り落語会を避けていたのは、同族嫌悪に駆られていたからだと、素直に白状しましょう。
今回観覧した「第15弾 みなみ寄席 鹿児島特選落語名人会」、行く前は正直あまり乗り気ではありませんでした(じゃあなんでチケット取ったんだよ)。
だけど見終えた今では、行ってよかったと素直に思っておりますよ。
今回の陣容は以下の通りでした。
開場13:30 開演14:00
<オープニングトーク 15分>
春風亭柳若『猫の皿』30分
三遊亭圓歌『やかん工事中』30分
桂竹丸『バンコク寿限無』30分<仲入り 15分>
内容について、簡単な印象をツイッターで呟きました。
みなみ寄席 鹿児島特選落語名人会
— 小林アヲイ (@IrresponSister) 2021年9月19日
▼速報所感
オープニングトーク後
▼開口一番柳若さん/猫の皿:語り口さわやか。濃い面子の入り口にぴったり。
▼圓歌さん/やかん工事:実は今日の一番の重要ポジション。笑いの連鎖爆弾が見事に空気作る。襲名後初聴だったが芸風飛躍の感。まだ成長するベテラン。
▼中トリ竹丸さん/バンコク寿限無:あっさり。ステーキの後のシャーベットのよう。よい仕事。
— 小林アヲイ (@IrresponSister) 2021年9月19日
▼食付柳之助さん/里帰り:人情噺で鹿児島輩出噺家の幅の広さをしらしめた。
▼トリ彦いちさん/天狗裁き:今日の番組はこの人に思いきり古典をさせるために組まれたかのよう。今風の笑いどころ多き古典。
その他、呟き足りなかった印象を列記しますと……
開口一番柳若さんは、頭の良さが分かる聞きやすい口ぶり。さわやかさで鹿児島弁があまり気にならなかった。まくらでタイヨー(鹿児島でメジャーなスーパー)の話が出た時は、意外な気付きをえた。というのは、普段CD等で落語を聴いていて鹿児島の話なんて入ること決して無いのだが、ここに『久しぶりにタイヨーで鳥刺しを買って』などと入ることで、非常に距離の近いものを感じた上、それがいかにも自然に感じられた。鹿児島人にとってタイヨーは日常である。そして落語は庶民生活そのものを描き出すものである。親和性が無いわけがない。
歌之介改め四代目三遊亭圓歌師の芸風は、以前よりも一層オーバーでより門切的になってきたと思う。独特の呼吸、短く区切った展開。二代目とも三代目とも違う芸風で、間違いなく「歌之介落語」が完成されつつある。よくよく見ていると、身振り手振り、インパクトのつくりかた、声のあげ方は、桂枝雀にそっくりだ。
竹丸師はオリジナルテイストの寿限無の前に、芸協の会長を一人ずつ切っていく小噺をもりこんだ。古くからの落語ファンは満足したと思う。かすかに挟んだ物真似が実は非常に秀逸だった。
柳之助師は人情噺を持ってきた。役どころである。文句なし。
彦いち師の噺はいかにも今風の落語テイスト。最近受けている方々の噺は、登場人物やストーリーがデフォルメを通り越して歪なほど誇張されてる感があり、ドラマというよりコミックであるように思えてならない。それがよしとされる時代なのだろうが、果たして。
総括として……多分にぼくの鹿児島県出身噺家に対する食わず嫌いに等しい同族嫌悪は解消したと思う。なぜかと言われると言葉に窮するが、それを検証するためにも、また機会があったら拝聴したいと思います。鹿児島出身の噺家さんは、この他にも種平さん、白酒さん等々、大勢いらっしゃいます。感染症もあるけどぜひ里帰り落語会をお願いしたいと思います。
以上乱暴ですが、観覧記でした。おしまい。