最近カタいから少し柔らかめに書きます。
昔の芸人てのはあまり芸談をしなかった。それどころかそういうことを言うのは野暮というか、褒められることではなかった。
うむ。
たしかに昔の噺家の本を紐解いても、圓生がちょっとそんなキライがあるかなというだけで、文楽は色自慢、志ん生は貧乏自慢、金馬は随想みたいなものに終始している。芸人の考え方や生活は見えるけど、芸談というと少し違う。
なるほどな、と思う。
というのは、私の周りにも音楽や文章、デザインやスポーツなど、いわゆる芸事で立派に身を立てている人がいるが、彼らはほっとんど芸談みたいなことは言わない。聞いたことが無い。
逆にセミプロとかアマチュアに毛の生えた程度、または勘違い野郎(私はここに含まれる)になると、顔をあわせりゃ芸談みたいなのをおっぱじめる。
「音楽ってのは、聴く人奏でる人がいて、はじめてハルモニだよ」
「絵はね、説明しちゃいけない、ね?」
「小説はキミ、読み手を甘やかしてはいかんよ」
ああ、書いてて恥ずかしい。こういった手合いと立派に身を立てている人を鉢合わせて話をさせると、これが面白い。前者は言葉を尽くす。費やすこと費やすこと。言うだけボロが出る。
ところが身を立てている人は、案外こうだ。
「あ~。考えたことなかったな」
「う~。そういうこともあるかも」
「ん~。あァた余程考えてる。偉いね」
立派に身を立てている人が何も考えていないわけがないと思う。ずうーっと一生懸命ゆえに立ち止まって整理していないから、まだ言葉にしていないだけなのだ(無論あまりに話が稚拙で呆れて黙っていることもあるだろう)。
人は、何か面白いものを見付けて飛び込むと、しばらく無我夢中でやる。で、いつか必ずフと立ち止まる時が来る。ひとしきり没頭した後の、息の切れ場だ。それから後は、今まで夢中だったものを理屈でやろうとする。回顧・学習し、理性がはたらいて合理的になろうとする すなわち芸道における横着がはじまる。
ところが、身を立てるほどの人ともなると、対象への愛が半端なく強く、無我夢中でやる期間が延々続く。そのアプローチが長ければ長いだけ上達する。それはあたかも水泳競技でよーいドンの直後の潜水時間が長いほどスピードが乗るのと同じかもしれない。しかも理屈が入る前だからどんどん吸収する。気が付くと、身を立てるほどの名人上手になっている。
それを見ている有象無象の理屈屋さん方は、一様に思う。
「あんななんも考えてない人が、意味分からん」
愚直・実直が最後に勝つ。世間が憎く思えてくる時だ。
無論、芸事とて人為であるからして、各人のポテンシャルが総合されて基礎となる。それを引っ張り出すのが当の本人の努力だとすると……馬鹿になれってのはそういうことなのかもしれない。
談志が名跡問答で語った「昔の人は芸談をしなかった」というポイントはここである。きっと昔の名人上手は芸道一直線でわき目もふらなかったのだ。中にはふと立ち止まってしまった者もいただろう。けれども「名人上手は芸談をせぬもの」という名人の在り方に倣い、黙していた。ホントは気付いていたかもしれない。
「あ、俺立ち止まっちゃった……もう伸びないや」
嗚呼、自分の限界を見たことに気付かぬ振りをする哀しさや。
現在確認できる中で、噺家で最も名人の名をほしいままにしているのは五代目古今亭志ん生であろう。芸談などは聞こえもしない永遠の夢中人であった。
それ以前にも、初代三遊亭圓朝、四代橘家圓喬、四代柳家小さんなどの名が聞かれるが、資料はほとんど残っていない。圓喬・小さんは録音があるが、音質が悪くて聴けたものじゃない。そこにいくと志ん生は白黒ながら映像が残っている。ちなみにカラーで残っているのは桂文楽からだと思う。
志ん生は破天荒な生き方でも知られる。逸話は枚挙にいとまがない。呑兵衛で貧乏。ワリが入るとすぐナカへ。名前を変えること18回(一説には19回)。そのほとんどはおめでたいことではなく、借金逃れ、景気づけなど、いつだって貧乏がついて回る。
やがて苦労が実り人気がではじめ、「お直し」で文部大臣賞。志ん生は後述している。
廓噺に賞をくれるとは、文部大臣もイキな人だね
息子二人、十代金原亭馬生・三代古今亭志ん朝ともに真打大看板となる。親子三人のリレー落語なんてのもあった。後年、脳卒中で半身麻痺となるが復帰し、最期まで精力的に高座に上がった。
天衣無縫 志ん生の芸について回る称賛である。
酔っているようなゆったりした口調、柳家三語楼譲りのシュールなクスグリ。現在聴いてもまったく色褪せていない。しかも同じネタでも演る度に違う。型破りゆえに芸談のあてはめようがない。当たりはずれはあるものの、本人は一向に構わぬ様子だ。
ホントの芸なんてのはね、年に二、三回できればいいほうだよ。大掃除よりいいよ。
圓生は志ん生と満州時代を共にした間柄だけに、いくつか彼のことを語っている。
「噺を剣に例えると、道場ならアタクシが勝ちますが、野天試合なら(志ん生に)斬られてしまいます」
「芸は固めちゃいけない。けれども志ん生さんみたいな演り方はアタクシには怖くて真似できません」
フラフラフワフワした芸 そんなイメージで語られる志ん生だが、実は持ちネタは相当多く、しかも完成度は極めて高い。数と質で称賛される圓生にも全く劣らない。
噺家を評する際、十八番を持っているかどうかが話の要になる。
これを逆のやり方で、数あるネタを一つひとつたぐり「これが上手いのは誰かな?」と考えていくと、不思議と志ん生の名が多く挙がる。
三軒長屋、火炎太鼓、風呂敷、稽古屋、あくび指南、黄金餅、ふたなり、粗忽長屋、子別れ、富久、仙気の虫、五人廻し、寝床……。
正直、挙げきらない。
志ん生の芸は、桂文楽のように十八番の噺を研ぎ澄ましていくというより、噺家としての自己を完成させて落語を演る芸風だ。後年は志ん生が高座に現れたら、それが落語そのものであるとすら言われた。ある時、酔って高座に上がった志ん生は、座布団につくなり居眠りをはじめた。袖から前座が出て起こそうとすると、客席から
「おい、寝かしといてやれ!」
そんな天衣無縫な志ん生は、芸談どころか後輩にあまり稽古すらつけなかったという。
初代三平が「おねがいします」と稽古に行くと、
「ん~、稽古なんて、いいよ」
「そう仰らず、ぜひお願いします」
「ん~、じゃあ『隣の家に垣根が出来たんだってねぇ、へぇ~』。これでいいね。ハイおかえり」
そして酒を飲みだす。
けれども愛息・志ん朝には一度だけ芸の極意を語ったという。志ん朝が「おとっつぁん、落語はどうやったら上達するだろ?」と聞くと
「面白くしようとしないことだよ」
国宝の小さんも同様のことを言っていた。落語は元々面白いものだから、いじる必要はない、と。名人の極意が「演らないこと」だとは、まさに究極だ。
最後に私の好きな志ん生の小ネタを挙げよう。
昔、ヘビには名前なんかありませんでした。
「なんだい? こりゃあ。なんてぇ虫だい?」
「頭の後がすぐシリッポじゃねえか」
「こんなもの、『屁』みたいなもんだろ」
みな、『ヘ』と言った。
「あーほら、『ヘ』がいくよ~」
なんて言って。
これがやがてビーッとなって『ヘビ』となったんですな。
この良さは文字では伝わりませんな。ぜひ聴いてほしい。「千早ふる」の枕だったと思う。志ん生の「あーほら、『へ』がいくよ~」の言い方が、たまらなく好い。
*
まあこうして落語だ小説だと芸談にもならぬ酔狂をグダグダ語る私に、名人上手の道が断たれていることは間違いない。けど自分の「好き」という気持ちに嘘は無い。名人上手にはなれなくても、名人上手の芸に触れること自体が喜びだ。それでいいじゃないか。
後のことは、来世に託そう。
最後に、本日ご案内の師匠方のお書物。
- 作者: 三遊亭円生
- 出版社/メーカー: 青蛙房
- 発売日: 1999/11
- メディア: 単行本
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- 作者: 桂文楽
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
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- 作者: 古今亭志ん生,小島貞二
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- 作者: 三遊亭金馬
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- 発売日: 2008/12/04
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あ、金馬師匠の後だけど、最後にちょっと宣伝させてください。
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— 小林アヲイ (@IrresponSister) 2016年8月3日
無責任姉妹4試読コーナーができました。
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