フリーの文章書きというのはきわめて孤独な商売である。私の場合お客に会うことすら無いので、二、三日誰にも会わないなんてことがザラにある。しかも文筆というのは、窓ふきや雑巾がけと違って、延々続けることができない。書けない時は全然書けないし、書いた翌日読み返して「全カット」ということもある。自己肯定感を維持するのが難しい上に、何もやれないときは本当に何もやれない。孤独&無為。精神の砂漠である。
そういう時は諦めて遊びましょう。
そう思わなくもないが、いかんせん趣味が無い。ていうか、趣味を仕事にしてしまったようなところがある。押し寄せる虚無は、「書けない」自己嫌悪と「貴重な時間」の喪失にますます募る。やることもなく、やれることもなく、ひたすらぼんやりする。間が持たないというのは、キツイことだ。
間を持たす 実はこれはなかなか知的な処世である。「これはツナギです」と意識しながらそれなりに意味のある態のことを致す。尤も他人の間を持たすのはいくらか容易だ。サービス精神をフル稼働させれば、どんな趣向もご愛嬌である。しかし自分の間を自分で持たせるというのは、どこか虚しい。
間を持たすといえば。
落語のネタの中には、本筋中にいくつも小ネタが詰め込まれているものがある。根問物(「やかん」など)や、上方噺の「東の旅」などがそれにあたる。噺自体は頭とオチが決まっており、その間の小ネタは演っても演らなくても本筋に影響は無い。同じネタ・同じ演者でも、一つだけ演ったり、二つ三つ演ったり、場合によってはまったくすっ飛ばす場合もある。
それって気まぐれ? いやいや。とんでもない。
時間を調整しているのである。
噺家は寄席や御座敷を一日に何件も掛け持ちする。そのため自分の寄席の出番に遅れる場合がある。そんな時、先に高座に上がっている噺家は後の演者が楽屋に入ってくるまで間を持たせなければいけない。噺を意図的に長くして時間を稼ぐ。こんなときに役立つのが小ネタを孕んだネタなのである。小ネタを多くぶちこめばそれだけ長くなるし、羽織が引かれたら「あ、サゲよかな」とすぐに軌道を転換できる。
実はこういうネタは本筋よりも案外「小ネタ」の方が面白かったりする。
今回はその筆頭格である「饅頭こわい」を紹介しよう。
噺そのものは超有名なので事細かに説明しない。簡単に言うと
A「お前、何が怖い?」
B「饅頭だ」
A「ふーん(よし、ビビらしたれ)」
寝ている時に枕元に饅頭ドバァ。
B「わぁ!饅頭!こっわぁ」
そう言いつつ饅頭バカ喰い。
A「あっ!お前、饅頭怖いんじゃなかったのかッ」
B「うーん。今度は熱いお茶がこわい」
友達の心理を逆手に取って饅頭をせしめた奴が、最後にもう一担ぎしようとする、頓知めいた噺である。あまりに有名すぎて五代立川談志は演る前に「この噺は最後に『お茶がこわい』ってサゲるんだ」とバラしてしまうほどである。
それではこの噺に挟み込まれる「小ネタ」の幾つかを紹介しよう。饅頭こわいはおおよそ三部構成になっている。
- 集まった仲間内で「こわいもの告白大会」
- 仲間の一人が「おれがこわいのは饅頭だ」
- アイツを怖がらせよう→オチの「茶がこわい」
小ネタは主に(1)の「こわいもの告白大会」に挟み込まれる。クスグリ程度のものもあれば、すでに一個の噺になっているようなものまである。
どんなものがあるかというと…
- 「犬」のはなし
「犬好きの人がいるけど、いろんな犬がいるね。身体中が糸くずみたいな犬がいるよ。ひっぱるとほどけちまうん」(志ん生)
→戦後間もなくはマルチーズなんかをこんな風に言ったんだろう。いかにも志ん生らしい。 - 「胞衣(えな)」のはなし
虫やヘビを嫌いな人が多いことについてのやりとり。人は、庭に埋められた「胞衣」の上を最初に通ったのものを嫌いになるという。それが虫やヘビだったのだという説。
→胞衣とは胎児を包んでいる膜の総称で、胎盤や臍帯のこと。昔はこれを埋めていたというが、私はその風習を知らなかった。 - 「おけら」のはなし
おけらが嫌いという奴いわく「ごみためにいるおけらを捕まえて『どのくらいッ?』てぇと、ウ~ンと手を広げて『これくらいッ』ってやがる。それが嫌い」。
→手に取られたおけらが前脚をパッと開いて威嚇する様子が浮かぶよう。 - 「こわい」違い
おととい炊いたメシが「こわい」/ふんどしに糊が利いて「こわくて歩けない」
→これは同じ「こわい」でも「強い」と書く方。この使い方は今ではだいぶ廃れたような気がする。 - みんなが嫌いなものを馬鹿にする
虫もヘビも怖くないという奴の大ゼリフ。
「ヘビは頭痛がするとき頭に巻く。トカゲ・ヤモリは三杯酢で喰う。蟻は寄せといて塩と一緒にご飯に掛けちゃう。『アリメシ』っていう」
→その他にも、毛虫に柄をすげて歯ブラシにするとか、ゴキブリは脚を取って黒豆だとか、ミミズをケチャップで和えてスパゲティにするとか、ゲテモノ系のクスグリがある。しかしほとんどの場合「アリメシ」でやめちゃうのは、やはりちょっと気持ち悪すぎるからか。 - 一番好きなもの
上方では嫌いなものを言う前に好きなものを言う掛け合いが入ることがある。
「われの一番好きなものは何や」
「俺は酒かな」
「酒か。嫌味が無くってええな。じゃ、そっちにいるお前さんは?」
「俺は……二番目が酒やね」
「二番目が酒か。ふんふん。で、一番目は?」
「うん。……二番目が酒だよ」
「おう、一番目を聞いてるんや! 一番は何やッ?」
「一番は……カミさんかな」
とんだノロケである。「オンナが好きや」というパターンもあるが、個人的にはカミさんの方が小市民的で好い。別のバージョンに「一番は……南京豆」というのもある。「さんざんじらしておいてそれかよ」という落差が面白い。
上方バージョンの「嫌いなもの告白」、極め付きはこれだ。
- 「きつね」のはなし
きつねがこわいという男がいて、わけを尋ねると、ついこのあいだ化かされたのだという。
ある時、男が道を歩いていると、一匹の白キツネを見つけた。最近近所に人を化かすキツネが出るという噂を聞いていたので「ひとつ懲らしめてやろう」と、キツネをふんじばった。キツネは許しを請い、
「許してくれたら人を化かすところを見せてあげましょう」
なるほど、キツネタヌキに化かされたという話はよく聞くが、化かされるその瞬間を見たという話はあまり聞かない。ならばと男はキツネを放してやる。するとキツネは目の前で美しい女性に変化。
「それじゃ、見といてください」
キツネ女はちょうど傍を通った若い男に「もし、おまえさん……」と声を掛け、連れ立って歩き出した。男は「あの男が騙されるのか」と笑いをかみ殺し、離れて後をつけていく。
キツネ女と騙され男はしばらく歩き、田んぼの掘立小屋に入った。ピシャリと閉められる木戸。後をつけてきた男が木戸を開けようとしてもビクともしない。ちょうど木戸の真ん中あたりに節穴が開いている。中を覗き込むが……真っ暗でよく見えない。目を凝らしても何も見えない。ふと、頭の上をバサッバサッと何かが掠めていく。男は中が気になっているので、木戸の節穴を覗いたまま頭上を手で振り払う。またしてもバサバサ。なんや、けったいやなと思っていると……
「こらっ! お前、危ないぞ!」
男、ふと我に返る。
なんと、男が覗いていたのは馬のお尻の穴で、頭を掠めていたのは馬の尻尾だった……。
もうこれは一個の立派な滑稽噺である。
本筋の中に散りばめられた小ネタの数々。ひとつひとつは他愛もないが、ひとまとまりになると、それなりに面白い。しかも語られる舞台は「饅頭こわい」の世界の中。いわば劇中劇で、語られる空気はそのままオチへとリンクする。間は持つ上に、小ネタ同士・本筋がシナジーを描いて、楽しい時間を醸成する。落語って、ホントよくできてると思う。
ひところ、小説を書く上で「書きたいことを明確に」「メッセージ性を」「コンセプトを」と息巻いていた頃があった。主題明確主義である。けれども現実の世界では、哲学的な意味で存在の理由も目的も明確では無いし、主題に神経質にならずとも面白いものができるのならば、饅頭こわいのように小ネタを数珠つなぎにしただけのものがあってもいいかもしれない。
のんびりとしたコメディ、日常を題材にする作品なんかは、こんな作り方があってもいいと思う。
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こちらは1・2巻よりそこそこコンセプチュアル。来たる8/21、無責任姉妹4がリリースされます。
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いまんとこ、ほぼほぼ反応ないよ!(3巻も)
どうかよろしくご贔屓に。馬のケツよりマシだと思いますから。
無責任姉妹 4: 孤高少女の放心|奇譚・鮨とか博奕とか恋慕とか。【後篇】
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