アヲイ報◆愚痴とか落語とか小説とか。

創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

寒さだとか自己だとか、ただひたすらクドい雑感。

だ。

寒いものだから全身を固くしてしまう。すると肩が凝り、背中が痛くなり、目が霞み、顎関節のタガがゆるむ。バラバラになりそうな身体を椅子に掛けさせ、無理して仕事をしようとする……が、身体がメンドいことから逃げたがって、気持ちがそぞろになり、やれネットをみたり、普段は読みもせん本を開いたり。
ハッとして時計を見る。
めちゃくちゃ針が回っていて愕然とする。
過ぎた時はしょうがないので、気を取り直して机に向かう。

グダグダとはいえ、こんな日を繰り返していると、ゆっくりだが確かに仕事は前に進む。しかし、ちゃんと真面目に仕事した気はしないので、消化不良感は否めない。なんだかんだいって人生には自己肯定感とか自己満足って必要だ

 

たちは、いつだたって手応えを求めて生きている  と思う。手応えの求める先は様々だ。ある人は社会や人間関係など向きに、またある人は内省や思索など向きに。仕事は外向きでプライベートは内向きという風に、うまいことバランスが取れるのが一番いいのだろうけど、なかなかうまくいかないものだ。

かく言う私は全部内向きである。独りきりで窮屈だけど、ある意味何事も自分で意味を繕って自己完結できるので、楽と言えば楽。だが、基本的に無欲・無気力・無感動で、あんまり進歩的にはなれない。

全部外向きの人もいるけど、すごいなあ。耐えられん。

 

は結構多くの人が向きである。
そんなことはないよというかもしれない。そりゃもちろん外向きの人だって、いくらかは自分の内面に目を向けることはあるだろう。でもそれは確認程度のものだ。外向き生活に充実している人々は、内面を顧みる暇があったら外的充足感の保全・拡大に努めるのが常である。そうやってたえず外面から自己の輪郭を把握しなければ、いったい自分がどんな存在なんだか分からなくなるからだ。でもその分かり方とて眉唾で、いくら輪郭が分かっても、内奥がどんな風なのかちゃんと分からないから意味はない。

そんなわけだから、公私とも外向きの人はいつだって心の危機を孕んでいる。彼らは仕事もプライベートも両方行き詰った時にリカバリー出来ないケースが多い。会社のストレスが家庭でDVになったり、薬物や自殺に奔ったり。慣れない孤独をこじらせて、自分で自分を追いつめるのだ。それはまるで昨今のグローバル経済における株式相場のようで、一旦下落したらどんな自助努力も効果が無く、手の着けようがない。かといって人生は塩漬けをきめこんだり、損切りしたりすることはできない。人は自分という銘柄を一生涯持ち続け、どんなに安値でもそれを運用していくことしかできないのだ。

 

近、私の友人の一人がそんな風になって荒れていた。
今まで順風満帆に来ただけに、上手くいかない不快感にすら免疫がないようだった。正直、そういう人は、自分の人生を今まで一秒たりとも生きていなかったと言っていい。彼はただ、与えられたスペックや運に寄りかかって生きてきただけで、自分の足で立ってみたことなんてなかった。だから、今回苦しんだことではじめてこの世に生まれたと言っていい。赤ん坊のように泣き晒せば、脳の血の巡りが良くなって、またひとつ賢くなるかもしれん。

ただ、赤ん坊には言葉が通じないので、私としてはしばらくは見守る  いや、止めよう。

あんまりいい年をして赤ん坊になっても、もう手遅れだ。