商才ということにかけて、私は何にも知らない。解っていない。言葉の意味するところの輪郭すら分からない。「天才」みたいに生まれもって備わるものなのか。潜在能力のように、あとで水や肥料をやれば一定まで伸びるものなのか。それとも、ビジネス書などで言われている「チャンスを掴む」「機にして敏」みたいな特殊な感覚・能力なのか。しかしそうなると運みたいな感じもするが。
アラ40(最近そんな話ばかりしてるな)ともなり、同世代の生き様を比較すると、多種多様に分かれ、暮らし向きに差が生じている。多くの人が月給取りである。企業の規模にもよるけど、係長だとか課長だとか役付きになり、そこそこの銭をもらっている。その一方で、私みたく、暗闇のドブに手を突っこんで金物でも浚っているような、一向にうだつの上がらない個人事業に喘いでいる奴もいれば、起業後さっそうと成功し法人化・上場しちゃう人もいる。過日、とある友人の新築事務所開きに招かれたのだけど、同じくらいの年で、家とは別に箱モノを建てるというのは、これは並々ならんことだと思う。立派な成功者だよ(いまのとこ)。
同じ起業でも「暗闇ドブさらい」と「新築事務所」じゃ雲泥の差だ。何だろうね、この差は。ここらに「商才」が関わってくるんじゃなかろうか。すくなくとも、ハコを建てるくらいの人は、暗闇ドブさらいよりは商才があるんだろう。じゃその商才ちゅうのは何なのか。皆目見当がつかない。経営学とか金融学とも違うんだろうね。
ひとつ思うのは、お金に対する興味関心、これの強い人は、やっぱりある一定レベルの成功に登りつめていると思う。モロに「金」じゃなくても、やれ車が欲しいだの、旅行がしたいだの、家を建てたいだの……。欲求が原動力と言っちゃうと、非常に底の浅いオハナシになるが、まあ実際そんなもんだろうなあ、と思う。欲しいものを得るために、てっとりばやく・たくさん金を手に入れるには、どうしたらいいか。そんな手練手管を考えまくった結果、その人の中に何かが蓄積されていき、その蓄積が堆積し結晶化したのが商才というものになるのではないでしょうか。知らんけど。
そう考えると、私、たしかに商才は欲しいけど、それ以前に金とか欲しい物が無いというのは、矛盾しているのかもしれない。だって、欲しい物が無いのだから、金も要らんし、そうなると商才も事業的な成功も要らんはずである。私の中では何一つ、蓄積も堆積も結晶化もしない。嗚呼、そんな人生。