このたび『学園コメディ無責任姉妹R(リバイバル)』を上梓した。
同シリーズは全て出版停止していたが、今回2016年刊のシリーズ第2部のみ復刊した。
とくに加筆も削除もしていない。いや、一か所「ウイ〇ドウズテンにアップデートされそうになって」みたいな箇所を「新バージョンのウイ〇ドウズを更新されそうになり」に改めた。7年前の作なのでウインドウズテンはさすがに古い。
まだお読みでない方は、是非お手に取っていただきたい。
今回なぜ廃刊作品をリバイバルしたかというと、セルフパブリッシング界で活動されている浅黄幻影さんが背中を押してくれたからである。先般、氏と初会合し、意見交換させていただいた。非常に新鮮で有意義で楽しい時間を過ごすことができた。
というわけで、今回は、無責任姉妹のことより、浅黄幻影さんのことをお話ししたい。
浅黄幻影さんはご本人のWEBサイトによると「主にウェブ・ツイッター・AmazonKindleで活動する詩人・小説家」と自己紹介されている。つまりぼくと同じく、主な発表の場をKDPに求める、いわゆる「セルパブ作家(最近あんまり聞かなくなったな)」のおひとりだ。
ぼくがKDPで小説をはじめて公開したのは2015年。以来8年「KDPにはいろんな書き手がいるなァ」などとのんきに思っているうちに、いろんな人があらわれては消えていった。大当たりして飛び出した人もいれば、いつの間にかいなくなった人もいる。
そんな中、「ずーっといて、ずーっとリリースしている」方々がいて、その中に浅黄幻影さんはいる。
浅黄幻影。まず名前がかっこいい。文字列を目にしたら、何かこう、影がササっと視界の隅を駆け抜けるようで、気になる。そうなると当然どんな作品を書いているのかも気になる。だからぼくは浅黄さんが自作の無料キャンペーンをされる時には必ずダウンロードした。
浅黄さん以外にも、いろんな方のKDP作品を読んだ。ラノベ、現代小説、ミステリー、SF、等々、多種多様だ。
そんな中で、浅黄さんの作品は、目立つかどうかというと つまり外連味というと それほど派手ではない。もっというと、哲学的で、ちょっと難しいくらいである。
そしてぼくは、浅黄さんの作品を読むたび、悶絶して舌を巻く。
「この作品、どうやって書いているんだ!?」
浅黄さんの作品は、研ぎ澄まされた刀のようだ。しかもしなやか。
最初に一つのテーマが提示されて、ストーリーの頭から尻尾までまっすぐ貫き、ぶれることがない。登場人物は与えられた役割を忠実に守り、セリフを発し、行動する。対話は右へ左へうねるように織りなされるが、最終的に一つの方向に流れるように計算されている。出来事やアクシデントは、設定したテーマへの問いを確かめるためにおかれており、物語を制御するために設置されることはまずない。
こういうと無味乾燥に聞こえるかもしれないが、実際読むとそんなことはなく、作中にはユーモアや皮肉がふんだんに仕込まれている。性的な描写もある(これがまた独特の美感を持っているのだ)。そういうエフェクトを採用しても、物語にへんな毛羽立ちを与えない。印象付けられる色彩は常に一定で、鋭利な質感は損なわれない。
くわえて、浅黄さんの作品は自身の哲学的思考を表現することに注力しており、媚びというものがない。いや、まるっきり読者を意識していないわけではない。だが、そこには「物書いて売れよう」とか「作家になろう」といった雑念は限りなく感じられず、だからこそ読み手に純粋に「このテーマについてあなたはどう考えるのさ?」と迫ってくる。読者のスタンスをもテーマの切っ先で貫くのである。
このように、浅黄さんの作品は、テーマ・細部・全体にわたり配慮しつくされ、気の抜けているところが一つもない。まるで全体が精緻な彫刻で覆われる芸術建築のようである。しかもその精度がリリースされる作品のほぼ全てにいきわたっている。芸術建築が街をなしているのだ。ぼくのような雑然とした人種には、人間技とは思えない成果物なのである。
ここまでくると、浅黄さんはどうやって小説を書いているかより、そもそもどんな人間なのか疑問になる。
「もしかしたらコンピュータ人間なのではないか?」
作品の頭から尻尾まで高い水準で一貫した緻密さを維持するには、人間離れした集中力が必要だ。しかも延々と持続する集中力。そんなことコンピュータ人間じゃないとできっこない。
コンピュータの比喩はともかく、筆致や表現から類推して、正直、男性か女性かさえ想像がつかなかった。年齢はWEBサイトで知り得たが、どのような日常を送っている人がかくも緻密な文芸彫刻をなしうるのか(つまり「時間の使い方」という意味で)、さっぱりわからない。たぶん、すっごく自律的できびしい人ではないか……でもSNSではラーメン食べまくっているなぁ……お酒も強そうだし……等々、ますます分からなくなっていた。
そんな正体不明な浅黄さんと、令和5年のハロウィンの晩、ついにお会いすることができました。こちらからお願いして、お出ましいただいたのである。SNSでつながって約8年、もはや他人とは思えない初対面。浅黄さんがコンピュータ人間だったかどうかはここに記さずおこう。
ブロンド犇めく新宿。ワインを交わし、打ち解けてKDPや文芸のお話しをさせてもらった。身近にそういう話のできる人がいないので新鮮。話の中で「無責任姉妹」の良かった点を言っていただけた……そのことが同作のリバイバルにつながった。本当にありがたい。
で、ひとしきり飲みかつしゃべり、「また会いましょうね」とお別れして家路につき、その後ハッとした。
「あッ! 何も解決してねえ!」
確かに本物の浅黄幻影さんにお会いした。
作品の実制作者たる浅黄幻影さんと話をした。
しかし、浅黄さんがあまりに人間味があってあったかい人なので、あの緻密な彫刻建築的文学作品のカーペンターだという事実と、どうしても結びつかない!
「……あの小説、どうやって書いてるんだろう?」
こうして疑問はふりだしに戻ったのでした。
こりゃあ、もう一度会わなければならない。
どんな人間が、どんな理由で、どんな性情をもって、結果、どんな作品を表現するのか。興味はいよいよ強まった。
これはKDP、あるいはネットが創造した、新しい文芸的なつながりの楽しみ方なのだな、と思った次第である。
というわけで、みなさんぜひ浅黄幻影さんの作品をご覧になってくださいね。
そんで、よかったら無責任姉妹Rもよろしくお願いします。