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創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

無責任落語録(38)「初代桂歌丸」

在、実力・知名度・貫禄の三拍子で全国区の落語家はどれだけいるだろう。異論はあるかもしれないが、私は十代柳家小三治桂歌丸の二人だけではなかったかと思う。無論、他にもたくさん師匠方がいる。しかし全国的な知名度となると、テレビの寵児に迎えられた経歴が必須だし、大昔だけじゃなく「今なお」という点を重く見たい。また、貫禄というのは、まあ早い話が香盤だ。そうなると小三治師と歌丸師二人しか思いつかないのだが、そのうちの一人、歌丸師が今日逝去した。非常に残念で居ても立っても居られず、哀悼の意を込めて投稿する次第である。

 

丸師は生前の大部分を「笑点の落語家」というイメージで定着していた。小円遊や楽太郎との掛け合い、ふじこさんを引き合いにした恐妻家のイメージ、その他ハゲだのミイラだの。笑点の歴史は歌丸師の歴史と言っていい。

ご当人は晩年、笑点の落語家で終わりたくないと、笑点の司会を降り、精力的に古典落語に取り組まれた。
そういえば五代目の圓楽も、同じようなことを自分で言ったか圓生師匠に言われたか、落語に精進するとして一時期メディアを離れていた。
けれども、歌丸師は司会勇退後も「もう笑点」に出ていた。五代圓楽のエピソードと比べると、なんだかいつまでも細々とテレビに出ているなあと思われなくもなかったが、私としてはあの番組、何とも言えず好きだった。寄席の楽屋みたいな和室で、ホッとした感じの時間が流れていて、落ち着くのである。

印象に残っているのはこんなシーンだ。
歌さんと圓楽(6)が向かい合って座っている。圓楽が歌さんを国宝にしようとかなんとか言っているのを歌さんがたしなめる。すると圓楽がこんなようなことを言った。

師匠、昔芸の評判が良くないころがあったじゃない?

この後に「でも今は~」と続くトークだったが、その時の一瞬の歌丸師の表情といったら。ムスッとしてホントに嫌そうだった。国宝だなんだと浮かれさせておいて思いっ切り下げられた感じである。一つ学んだことは、幾つになっても腹を立てるだけの気力がなくては、命の消える寸前まで芸道に邁進することなどできやしない  ということだ。

 

ょっと前まで、笑点の落語家はしばしば言われたものだ。

みんなあんまり落語がね。

いまは必ずしも当てはまらないと思うが、私も一時期まったくの同感だった。特に歌丸師の落語は妙にこなれていて好きになれなかった。キザというか、なめらかすぎるというか。

だが、笑点司会を降りてからの歌丸師はまるで見違えた。体力は相当衰えていたようだが、高座ではそれを感じさせない。一時間近いネタでぐいぐいひきつける。見るたびに、燃え上がるように、芸のほむらが立っていた。「体力が衰えて芸が枯れ、それでよくなったんじゃないか」  老いた落語家にはしばしばそういうことが言われるが、歌丸師の晩年の落語は、そうではない。噺がいろめきたつような、まさに芸のマジックが起きていた。そんな風に見えた。

もう全然「笑点だけの落語家」ではないと思った。ともすると、笑点に出ていたことを忘れさせた。

もう二年、あと三年あれば。
難しがりの落語ファンに新世界を見せつけたかもしれない。

今日は献杯しよう。同じ時代を生きた喜び、あの芸をリアルタイムで知っている幸福を噛みしめて。

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