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創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

無責任落語録(30)「初天神」

近、何故か知らんが落語ブームだ。笑点の視聴率は安定しているようだし、NHKでは噺を実写化したりしている。地方のイベントでも落語会が非常に増えている。落語ほど金の掛からない催しも無い。ハコがあって、座布団と屏風を用意したら、あとは噺家が座って勝手に噺をする。それで30分でも1時間でも持つわけだから、お得ったらありゃしない。

落語界自体にも大きなうねりが来ている。圓楽の芸協接近、大名跡・三木助の復活など話題豊富だ。鶴瓶タモリの提供で浦里の噺をやったり、たけしが野晒しをやったりしていたのも、地味にニュースになっていた。泰〇は...ちょっと違うか。
とにかく、ブームが来ているのは確かである。

 

のに。
本ブログ「アヲイ報」は、当今では温泉記事にとってかわられ、無責任落語録の更新が全然なかった。「今書かないでいつ書くの?」レベルのブームだっちゅうのに。むろん、落語が嫌いになったから書かなかったわけでは無い。仕事が忙しかったこと、次作の執筆に力を注いでいたこともあるが、一番大きな理由として、当コラムの体裁が挙げられる。無責任落語録はこれまで、奇数回=古典落語の話、偶数回=落語家の話を展開してきた。それが30回目、すなわち落語家の話の番になって、ついに私の中で話題が尽きたのだ。

いや(言い訳するけど)、チャレンジはしたのだ。書きかけの原稿が私の落語フォルダにいくつもある。ぶっちゃけ次は「四代柳亭痴楽」を考えていた。録音を聴いたりいろいろ努力はしたのだが、入り込み過ぎて、お気軽な読み物記事として書けなかった。いつかぜひアップしたい。なんせ凄い噺家だと思うから。

とにかく、そんな書けない記事にいつまでも時間を取られているうちに落語ブームが終わってしまったら哀しい。で、今回は禁を破って「噺」回をお送りしようと思います。

 

り上げるネタは初天神である。
なぜ初天神か。正月に扱うべきネタなのに。理由は簡単である。いま旬の噺家春風亭一之輔が、「初天神」で子供たちに大人気だと聴いたからだ。アヲイも根っから時流に乗るようになったかと思われたら、ま、全否定はできないけど、そもそも面白い噺なので、近々取り上げたいとは思っていた。ホントだよ。

初天神は「桃太郎」「真田小僧」「佐々木政談」に類を成す、生意気な子供の噺である。噺の内容は各自調べるように。構成はシンプルで、導入のあとにひとまとまりのエピソードがブロックのように並んでいる。上演時間に合わせてエピソードを取捨選択できるし、しかもどこでも切れる。それでいて受けがいい  子供の噺と言うのはお罪が無い。エグイくらいずるい思考も、子供なら愛嬌で許せてしまう。

元は上方の噺で、笑福亭松竹が演ったという。それを三代目圓馬が整理して東京に持ってきたとか(Wiki調べ)。ということは、八代桂文楽と三代三遊亭金馬も持っていたのだろうか。聴いたことは無い。が、だいたい想像はつくような気がする。桂文楽は子供の噺があんまりない。あってもせいぜい大仏餅の孝行な倅で、一昔前の子役のような棒な演じ方だった。たぶん、あんまり良くはならないんじゃないかな。逆に金馬は子供はお得意である。「藪入り」も「真田小僧」も「居酒屋」の丁稚も一級品だ。誰か他に演る人がいて遠慮したのだろうか。是非聴いてみたかった。

東京では柳のネタの印象が強い。筆頭は国宝・柳家小三治三喬や六代目小さん、花緑も演っているようである。上方では、誰がなんと言おうと六代松鶴。間の抜けた親父の物言い、子供の大泣き、他の落語家の追随を許さない。松鶴といえば「らくだ」のイメージだが、私としてはこの「初天神」と、「夢八」「次の御用日」こそ松鶴落語を代表するネタだと思う。

 

天神は通常10分から15分で演じられる。だが、5分程度の超ショートバージョンを聴いたことがあるし、逆に30分近い完全版を聴いたこともある。組み立てやすいところが、テレビやラジオの尺に合わせやすく、今日のブームにつながっているのだろう。

序盤の「羽織」のもろもろはカットされることが多い。しかしこれは非常に重要な仕込みだと思う。「自分でこさえたのではなく、近所の弔いを手伝った女房が形見分けでもらった布を羽織にした」とか「便所に行くにも『羽織を出せ』と言う」といった要素が、親父の性格や家族での立場を決定的にする。そうしてのちの子供との心理戦のバックボーンとして利いてくる。羽織はカットすべきではないといつも思う。

金坊が「買って―、買って―」とせびるのは団子と飴だ。演者によって両方、あるいは飴だけ演じられる。団子のくだりでは、餡か蜜かで親父と子供がやりとりし、服が汚れるからと言って親父が蜜に決める。そして滴る蜜をすする。そこの仕型があんまりきれいじゃない。扇子を団子串に見立て、唇を震わせて「ズズズ、ズズズ…」。人によっては最後にペロペロ舐める。リアルを追及するのは分かるけど、ここはサラリとやってほしいものだといつも思う。ここをことさらに強調する必要はないのだから。

六代松鶴の飴屋が好い。指を舐めては飴を触る仕草が笑いの種になる。仕型で汚い音を立てたりしない。子供に飴の舐め方を伝えるときの擬音がいい。

「飴ちゅうのは、舌の上乗して、オネオネ、オネオネさしとくもんや」

あの様子を「オネオネ」であらわすとは。団子をリアルに舐めつくすよりはずっといい。

その後、子供が口に飴を入れたまま歌を歌い、「やめい」と親父に拳骨をもらうくだりがある。

拳骨ゴツン。
「うえーん、うえーん」
「こら、泣くな。どうした」
「飴が落ちた―」
「飴が落ちた? ん? どこにも落ちてないぞ。どこに落ちたんだ!」

この続きとして、腹派・喉派の二通りがある。

腹派「お腹の中に落ちた―」
喉派「喉の穴に落ちたー」

結構腹派が多いのだが、個人的には喉の穴の方がいいと思う。穴の方が落っこちた感が強いし、喉の方が飴玉がグゴゴッと潜って苦しかった感じも出る。それにしても松鶴の「子供が飴を口に頬張って歌う」仕型と泣き真似の見事なコト……。

飴か団子のくだりで下げになる場合が多い。だが実はこの後の凧揚げこそ、親父と子供の立場が目まぐるしく展開するクライマックスシーンである。凧を持って後ろに下がり人にぶつかるシーンは、松鶴初天神の最大のウケ場である。子供が言う下げのセリフは、数ある落語の下げの中でも、随分と気持ちのいいものだ。

多くの演者が演ってきたからこそ、どこをとっても完成度が高い。上方で生まれ、圓馬に改作され、噺の自然なおかしみを活かす柳の芸として今日まで伝わっていることを考えると、あまたある演目の中でとりわけ研ぎ澄まされてきた噺と言えるだろう。

 

語がブームということは、今の子供たちから未来の大名人が生まれるかもしれない。ぜひいっぱい聴いてどんどん落語好きになってほしい。実は私の身内の子供(幼児)に落語好きがいて、たどたどしいながら寿限無などを口演する。いつか芸人になればいいと思っている。そこで、何か落語の音源を送ってやろうと思うのだが、子供向けの噺って、ありそうでなかなかない。子供向けの線引きをどこに引くかが論点だが、難しくなく一応サンダラ煩悩のどれにも引っ掛からないことを前提とすると……、寿限無/饅頭怖い/初天神/化け物使い……あんまりない。圓生師匠・金語楼師匠はほんの子供のころから寄席に上がっていたらしいが、一体どんな噺をしていたのだろう?
でもねえ、粋だと思うんですよ。幼稚園児で「お初徳兵衛浮名桟橋」なんて演ったら。自分の子だったら覚えさせたいな。

というわけで、実にお久しぶりの落語コラムでした。
一度破った禁は、何度でも破ります。噺回が続くかもしれません。
以上です。どうぞよろしく。

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