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創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

読み放談|今田美奈子 柏屋コッコ「お姫さま養成講座」を読む。

 

たまにはコミックも。

フォロワーさんのツイートで知り、不思議と興味が湧いて即座にポチッた本である。

通常本を選ぶ時は、普段読まないジャンルであっても、何かしら自分の関心とリンクしているものだから、読む際はどこか納得しながらページを繰っていくものだ。

しかしこの本は、ぼくの知らないことばかりで  むしろ固定観念に毒されていた分野のことだったので  、格段の驚きと新鮮さ、圧倒的な知識をもたらしてくれた。

世間には様々なマナー本があるが、これほど効率的に伝統と美学に特化した、本場の社交界の雰囲気を網羅した書籍はないのではないか。もっとも、初歩の初歩、入門編的なものではあると思うけど。

 

姫様の道は広大かつ深淵である。本書はコミック形式でヨーロッパ貴族のお姫様のなりたち、ありかた、考え方を教えてくれる。

ぼくの抱いていたお姫様像は、おしゃれをしてツンと澄まして世間知らずで……等々、どちらかというと鼻につくイメージに近かった。だが、本書を読み通すと、実際はまるっきり違い、それどころかぼくが誤解していたお姫様像の背景にも「なるほどなあ」と納得するだけの理由があることを知った。

お姫様の存在を含め、伝統的な儀礼や形式といったものが今日まで残っているのは、それなりに理由がある。お姫様やそれを含む上流階級の存在意義を認識せざるを得なかった。

 

代は、19世紀以前のお姫様が活躍する時代と比べると、かなり事情が違ってきている。例えば、男女平等といった性における社会的役割の解釈や、経済格差による社会層の断絶は、お姫様や上流階級の存在意義を根本から覆してしまいそうだ。

それでもいまだに各国王家をはじめ上流階級が世界のあちこちで存続しているのはなぜか。

思うに、社会というものは、根本的にリベラルなものではないのだろう

平等や格差解消の精神は、確かに理想ではあるけれど、実現は不可能に等しく、富と権力を持つ上位の者が下位の者を矯正・指導した方が、秩序ある社会を形成・維持しやすい。むろん、上位の者はいろいろなものを兼ね備え、下位の者を引き付けるカリスマ性を養わなければならない。それが欠けた者が上位に立つと、下位の者は従わず、おのれの欲望のまま奔放に走り社会はめちゃめちゃになる。特権階級的な上流貴族の存在は社会秩序維持のために必要で、中でも抽象的なカリスマ性を醸すお姫様の役割は重要なのだ。

 

しかしたら、原作の今田先生は、どこかそのことを心に宿しているのではなかろうか。端々に意外に強い言葉が出てくる。

「口に手を当てるのは娼婦のポーズ」
「ジャージ類は捨て去ってください」
「(ハイティーは)優雅とはほどとおい労働者のお茶会」……等々

お姫様はみなの憧れの的になり、癒しを与えるような存在でなければならないというお姫様の根本哲学は、世間一般とは一線を画しておかねばならないことを暗示している。下々と同じことをしていたのでは、下々を導く存在たりえない。お姫様は必然的に超越的存在であることを求められるのだ。

こういったことをばっさりと言いのけてしまうのは、忖度や炎上のご時世において、気持ちいいくらいである。不思議と不快感は無かった。そして次の瞬間、なぜ不快感が湧かなかった理由が分かった。原作の今田先生の、いかにもお姫様らしい気風と鷹揚さが、厭味を感じさせなかったからだ。

 

以上、書評でした^^
希少ジャンルで読みやすく勉強になりました。おすすめします。

 

あ、そこのお姫様、ぼくの本を買ってください。

 

 

読み放談|サミュエル・ベケット「マロウンは死ぬ」を読む。

  

本とともに。

 

読み終わった。17年前に買ったきり積読の下層を守っていた一冊である。まるっきり意味が分からなかった。すじはわからんし、おもしろくないし、もうだめである。無理して分かろうとするとかえってこばまれ、流し読みするとほんとに流れていってしまう。「読み方が分からないから読めないんだ」と思い、あとがきから読んでみたが、こちらも意味不明。だいたい、あとがきの文章がベケット文体に毒されて、読みづらくってしょうがない。ただもう、読み終わった、それだけである、しかしこれは読み終わったというのだろうか、いや違う、正確には全ページをめくってみた、それだけのことだ。もしこれが分かったという人がいて、その人から説明を聞いても、何も分からないだろう。ていうか、これを読んで何か分かったという人は、きっと分かった気になっているだけで、かえってあぶなっかしい。注意しないといけない。だから、もし自分があとあと何か分かったとしても、人には言わず、胸に秘めておくのがいいかもしれない。

  と、一生懸命ベケット調を取り入れて、書評おわりw

ぼくは日本語でしか読んでないし、それ以外の言語で読むこともできないが、原語でもやっぱり読みづらいのだろうか、そして、原語圏の人はこれをどうとらえているのだろうか。

以上、さんざん言いましたが、「ゴドーを待ちながら」よりは好きですよ。

 

て、昔ベケット先生「モロイ」にあこがれて書いたものが、拙の短編集におさめられています。

二番目の「キートゥーザーハイウェー」がそれである。まあ、好きではあるのだ、このスタイルは。

あとがきの該当部分を。

二〇〇三年頃、当時サミュエル・ベケットの文体(邦訳)に憧れ、無改行の作品ばかり書き、所属していた文芸同好会の同人を辟易させておりました。こんにち巷には「ハルキモドキ」の同人が氾濫していますが、おそらく彼らも周囲を辟易させていることでしょう。芸事はしばしば真似から入ると言いますけど、その周辺には多くの「迷惑」がほとばしっているもの。まさに古典落語「寝床」の状態です。そして、えてして真似は真似を超えないものです。

自分の作品の宣伝を、ベケット大先生の感想より長々とやりまして、おひらき。

 

『級長 畠中賢介の憂国論』6/30書籍版がリリースされます

 

“書籍”と言っちゃうとアレだけど……w 

題の通りです。

リリース方式はAmazonPODのペーパーバックです。
仕様を申し上げると……

  • オンデマンド (ペーパーバック) ‏ : 276ページ
  • 寸法 ‏ : 12.8 x 1.75 x 18.8 cm(四六判)

結構厚手です、持ったらずっしりきます。で、PODの例にもれず割高です。2200円です。Kindle電子書籍でのご購入をお勧めします。こちらは760円。PODの65%オフですね。

下世話な話、ぼくの実入りとしても電子の方がありがたいんです。PODの利益は販売価格の一割を切っています。ぶっちゃけ電子をアンリミで読み通していただいた方がうれしいのです。

でも、紙の本には紙の本にしかない良さがありますよね!
「何」とは言えないけど…。
紙信仰みたいなものかもしれません。
あるいは、「むかしのまま」から抜け出せない頑迷さか……。

とにかく、いろんな形態の読書ニーズにこたえられるようにという純粋な思い(?)で、ペーパーバック版をリリースしました。

あと、このブログ、6月手を付けてなかったので、とにかく何でもいいからと思って、この記事を書きました。

世間はワクチンだのオリンピックだの、話題は尽きませんが、物憂さを忘れられると思いますので、ぜひ『級長~』を読んでくだされm(_ _)m

 

 

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