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アヲイ報◆愚痴とか落語とか小説とか。

創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

無責任落語録(8)「五代柳家小さん」

子書籍のセルフ出版や投稿サイトに参加する人々の間で話題の中心となる作家さんや作品は、常に毀誉褒貶にさらされているようだ。賞賛と非難はいつも背中合わせである。そこには憧れや妬み、あるいは「俺の方が」という自意識……いくつものココロの事情があるのだろう。
「認知される」ということがまずもって重要なWEBの世界。良くも悪くも話題に上がらない人は、どんなに頑張っていても、作品が良くても、沈み切ったままのようである。

だからといって過剰に振る舞いすぎるのも考え物だ。
そういう点から考えると、落語界における五代目柳家小さん人間国宝認定は、頑張る人は報われるという一筋の光明のようにも思われる。

 

代目柳家小さんは、若かりし頃、2,26事件にクーデター側として従軍した過去のある噺家である。クーデターに関しては知らぬ間に加担させられたということで特にお咎めはなかったようだが、いずれにしても青春時代はガッツリ戦争で、同期は戦死したり廃業したり。そのせいか、同世代の噺家はあまりいない。彼が戦後寄席に帰って来た時、高座の上は若手が少なく、戦前から名人上手と呼ばれていた先輩方ばかりだった。
桂文楽禁演落語が解禁されて甘納豆をバンバン売っていたし、大陸から帰ってきた圓生は八五郎出世で春風亭柳橋を一気に追い抜いた。名前の落ち着いた志ん生は天衣無縫の芸に近づき、金馬はラジオで大人気、二代目三遊亭圓歌古今亭今輔三笑亭可楽桂三木助  とにかく死して尚こんにちまでファンがいるような噺家大豊作の頃である。

そんな先輩方もひとり、またひとりと死んでいく。最後に残ったのはやはり小さんだった。

だが噺の評価はほぼゆるがず、巷では相変わらず志ん生文楽圓生三木助・可楽だった。死んでしまった人間を追い抜くことはできない。当の小さん自身、人間国宝になった時に「(先に逝った)文楽師匠や圓生さんといった大名人がもらっていないのに、私なんて」と言っている。

 

が私はそれでも思う。五代目柳家小さんこそ人間国宝ふさわしい。なぜなら、彼には落語家としての落ち度がまずもってないのである。

他の名人と言われる人を振り返ってみると……

五代 古今亭志ん生
たしかに「国宝」級の存在である。だがいろんな意味で規格外過ぎて評価できない。たいした弟子がいない(志ん朝はどちらかというと圓生文楽系である)。

八代 桂文楽
女性関係が派手すぎる。国宝としてどうなんだろう。たいした弟子がいない。

六代 三遊亭圓生
晩年、落語三遊会を作って落語協会を分裂させ、落語の発展に大きな障害を与えた。加えてまともな弟子がいない。

可楽は寄席上手であって芸術としての落語観からすると若干距離があるような気がするし、三木助は逆に文芸要素が強いけどいかんせん「隼」だし……ま、ちょっと違うだろう。

ところが柳家小さんは、人柄は誠実・実直・温和、女遊びも博奕もせず、真打問題も穏便。弟子には立川談志柳家小三治人間国宝)など巧者があり、子も孫も噺家、名跡も絶やさなかった。
落語は地味で素朴だが、無駄がなく嫌味でなく、妙に癖もなく、噺そのものの面白さをそのまま演じることができる。
「落語を正しく導き、次代に正しく継承した」
ひとつの文化に身を捧げ、それを守り、次代に伝えたという点で、この人以上に人間国宝にふさわしい噺家はたしかにいないのである。

同様のことは上方落語にも言える。人間国宝桂米朝である。
上方四天王の中で桂米朝は一番地味だろう。笑わせれば松鶴、艶のある春團治、すっきりとした文枝……米朝船場の旦那はんというか、理屈っぽく小難しいイメージがある。だが、消えかけていた噺を復活させた数は計り知れず、弟子は可朝、枝雀、ざこばなど多種多様に育て上げ、米朝一門は一大勢力だ。こちらも「落語を正しく導き、次代に正しく継承した」と言えよう。

 

ている人は見ている。地味と言われても、上手と言われなくても、衒わずコツコツ努力していけば、どこかで誰かが分かってくれる。芸事に身を置く者はそれを信じてやるべきだし、また同時に、ひとつの芸事に携る者は、自分の芸の界隈に常に気を払い、それを汚すような発言や行動をとらないように、誠意をもって努めねばならない。

   *

でもやっぱり、芸人はウけてなんぼでしょうなぁ。
よく考えると庶民の娯楽に栄誉なんて、なんだか可笑しいよ。
そんなわけだから、みんなやりたいようにやればいい。けど、他人の芸をどうこう言ってるうちは、たいした芸人にはなれないでしょうな。

以上、御粗末です。

 

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