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創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

演技における子供の棒読み・空泣きについて。

 

実の子供を観察していると、刺激に対し、固まっていることが多い。
たとえば「将来何になりたい?」と尋ねたとする。
普通の子供は、指をくわえて訝しげにこちらをじっと見、黙っている。固まったようになっている。
それで大人がもう一度「何になりたいの」と尋ねる。
すると、ようやく小さな声で、「あぶらむし」とかわけのわからんことを言う。

 

演技においては、このリアルをそのままやっても芝居にならないので、演出家も子役もそれなりの工夫を図る。
「将来何になりたいの?」
おませさんは間髪入れず自信満々のリズムで
「世情を鑑みれば公務員かしら!」
よく天才子役という評があるが、それはほとんど「この子役すげえ」「ガキのくせに」という違和感で、本質的な賞賛ではない。

 

どこの誰が考えたのか、前述の子供の固まり現象を抽象化し、棒読み・空泣きを開発した人は、空前絶後の演出家である。確かにぎこちなくて変だけど、いかにも子供を感じられる。不器用なありさまに同情を誘う。

空泣きの仕草は歌舞伎の所作で、両肘を耳の横に引っ張って、前腕を目の前で水平に構える。そして頭を左右に振って、「えーん、えーん」と声を出す。その時腕は一切動かさない。実際に泣いてる子供は頭を動かさず手を使って涙をぬぐうのだが、ここに演技の嘘と妙がある。…と、何かの枕で桂米朝師匠が語っていたような。

 

子役にしてみれば、おそらく棒読み・空泣きの方が、流暢な演技より難しいだろう。なぜなら、子役らしい演技を役柄にあてはめるという、劇中劇じみたものを要求されるからだ。
「私1歳から出てるの。芸歴10年よ? まだそんなことさせるわけ?」
「先生、そこをなんとか」
さすがにガキでも芸歴が重なれば、演技がこなれているはずだ。緊張だってしないだろう。その子に、子役の演技で役をやれという。矜持としても引っ掛かるし、かつて立川談志師匠も「ヘタの真似をやるのはむずかしい」と言っていた。

 

かし、この技芸を「腹芸」と呼びかえるなら、大人だって必須のウェポンである。仕事の難局に、恋の修羅場に、借金の踏み倒しに、肘を張って「えーん、えーん」と空泣きすれば、「しかたねえなこいつ」と、なりゃあしないか。

いや、ならないよw

 

▼天才子役に演らせたい。

 

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