アヲイ報◆愚痴とか落語とか小説とか。

創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

O村先生のこと。

※長さ:400字原稿用紙換算約10枚。

 

今回はちょっと思い出を書いてみようと思う。

 

村先生に初めてお会いしたのは、2012年の夏ごろである。ちょうどその頃、ぼくは急に独り暮らしをすることになり、時間を持て余してネットを視ていたところ、地元に文学サロンがあることを知った。それまでしばらく文学どころではなかったので、自分の時間を取り戻そうと、何にも迷わずに入り込んだ。

そこにたまたまいらしたのがO村先生である。O村先生は小柄なおばあちゃまである。お召し物やお化粧、たたずまいは、先生が長らく美容に従事されていたと知れば、大いに納得するところである。知性と気品が漂っている。強い目力を感じる。先生はサロンの利用者で、運営者とも懇意であったようだ。

先生は初対面のぼくに、とうとうとご自身の過去を語られた。戦争のこと、お仕事のこと、ご家族のこと  そして、ご自身が65歳で文学をお始めになったこと。すでに傘寿をお過ぎの先生は、年齢よりずっとお若く感じた。見た目や仕草以外に、とにかく熱が、パッションがすごい。先生はわずか三年前に地元文学賞をお獲りになられていた。ぼくは自己紹介程度に「自分も小説を書いたりするのが好きですよ」と言った。すると、

「あんたも(地元の)文学賞に出しなさい」

強くお勧めになる。ぼくは苦しげにほほ笑んだ。ぼくは文学賞というものについて、当時も今も大した重さを感じていないのだが……35歳のぼくは熱気に圧倒されて、返事もできない。先生の「ガッツ」「負けん気」「求道心」に食われていたのだ。

 

の文学サロンは、小説を書く人を集めて合評会のようなことをやっていた。まもなくそれは無くなったが、無理もあるまい。そもそもああいうものは共通の目標を持つ人たちが集まって価値観を一つにしてやってくものだと思う。でないと、たんなる好き嫌いの意見交換になり、喧嘩になるのが関の山。実際当サロンでもそういうシーンは散見されたらしい。まあ、文学サロンと銘打って集まりが結成された以上、そういった場を設けておかなくては看板に関わるようなことから、やったのかもしれない。

ある時、そこで私の作品が俎上にのった。誰からも大した声はあがらなかった。O村先生は難しい顔をして、「別の作品を読ませなさい」と仰られた。ぼくは戸惑ったが、人生の大先輩の仰せでもあることだし、お渡しした  のだと思う。もしくは郵送したか。その辺はちょっと覚えていない。紙に刷った50枚くらいの原稿。『贋物』という題である。

しかしそれ以来、先生にお会いする機会が無くなった。文学サロンと距離ができた  別に仲違いをしたわけではないけど、なんとなく足が遠のいた。その後、合評会は霧消したらしいと噂を聞いた。つまりお会いする場自体がなくなったのである。

けれども  O村先生に送った原稿は返送されてきた。なんだか送った時より随分厚みを帯びた封書。封を切って中身を取り出す  それは、はしっこがくしゃくしゃになるほど何度ももみほだされた、ぼくの原稿だった。おびただしいが入っている。全紙ほとんど真っ赤。赤々赤。書ききれない注意書きは紙の後ろに小さな字でビッシリ書き込まれている。ぼくはそれを全部読んで「あっ」と思った。大きな気付きがあった。それがあるから今があると思う。文末にはエールがあった。きびしさとやさしさが溢れていて、同じ書くもの同士、ということを強く感じさせる応援であった。

すぐにお礼の電話をした。

「あんた、作品を書いて文学賞に出しなさいよ」

と言われた。
「出す意味が分かりません」と答えた。そしたら

「書き続けるんだよ」

と。それには「もちろん」と答えた。

 

れっきり先生とご縁が途絶え、何度か季節が廻った。サロンに出入りするようになってから仲良くしてくださるN田さん。この人はぼくの大好きな人で、しばしばお酒をご一緒させていただく。年齢的に大先輩で、文学のキャリアも果てしなく違うこの方から、時折O村先生のお噂を伺った。いろいろ体調があれらしい、と。お年もお年だから、と思ったりした。それでも先生の強さみたいなのを思い出すと、まだまだ大丈夫、鋭意執筆中のはず、と思った。願うように思った。

 

の後、2019年。春。ぼくが禁を破って投稿した小説が、地元文学賞で最終選考に残り、で、ぽしゃった。O村先生はN田さんからそれを知り、お電話をくださった。

「あんた、惜しかったね! でも、残るだけでもたいしたものだよ!」

七年ぶりにお声を聞いた。先生の声はきらきらしていた。

先生はぼくの作品が残ったと知り、わざわざ新聞社に言って原稿を取り寄せ、何度も読んで、言うことをまとめて、お電話をくださったとのことである。手が悪くて赤を入れられないから、直接伝えようとお考えになられたのだと思う。

それから約二時間、あそこがああで、ここがこうで、それで、こうで……。電話口の特別講座。先生は全く疲れを知らない強い口調だった。そして「秘中の秘」を教えてくださった。ぼくはまだその必殺技を使うほどの筆力を持たないのでふところにしまったきりだが、ずっと忘れないでいようと思う。

先生はひと通り講義を終えると、最後に

「また(地元)文学賞に出しなさいよ」

とお言いつけになった。
ぼくはわざわざお電話くださった大先輩にさすがに「そんなの無意味だ」と言えず「いえいえ」と言葉を濁した。

「一度最終に残ると、次に有利だよ」

「じゃあ次は、地元じゃなくて全国の賞に出します」と言い逃げる。すると

「馬鹿を言いなさんな。まずは地元、次に九州、そして全国を目指しなさい」

まるで戦国時代の島津家のような天下統一のシナリオをお示しになられた。やっぱり先生は違う。

 

んな交流は、ぼくにとって非常に貴重である。
ぼくには師匠はいない。憧れの作家もいない。むしろ居てはいけないくらいに思っている。小説は自分の都合で書いているのであって、憧れをなぞってる時間はぼくにはない。また、上手に書く必要もない。作為はあとから読み返して嫌味に感じるからだ。

それでもぼくにとってO村先生は、数少ない貴重な道しるべである。

O村先生にはお弟子がたくさんおられる。地元鹿児島を中心に、いろんな文学賞が出ている。先生のおっしゃるには、朝起きて新聞受けをみると原稿を突っ込んでいる弟子がいる。お弟子がやってきて投稿前の作品をチェックを求めたりする。それだけしてみんな先生の教えを乞いにやってくる。

なのに、ぼくなんぞはまったく不遜な態度で、電話もいただく一方で、言われてしぶしぶ原稿を送る(しかもお持ちするのではなく郵送!)。われながら生意気な若造だと思う。

しかし…誰に何を言われようと引けない部分もある。文学賞は嫌いだし、ましてや他人の手の一ミリでも入った原稿を自分の名前で投稿するなんぞ、いかがなものかと思う。そんなものはもう自分の作品じゃない(Amazonに出している『贋物』は先生の赤を全く反映させていない)。

一度そのことを先生に正直に言ったことがある。そしたら「分かる」と。「だから私も無理には言わない」と。先生は文章を書くだけでなく、書く人の気持ちも  しかもいろんなタイプの物書きがいることを  許容し、理解しておられるのだと思った。

それはすごいことだと思う。
なかなかいないと思う。

そんな方が、不遜な若造の襟首を捕まえてわざわざ指導してくださるのだ。ありがたがらないとバチがあたるだろう。バチは怖い。

あと、それでなくても、O村先生そのものが、ぼくにとって興味津々である。だから、従う従わないは別にして、先生のお言葉には全て耳を傾けたい。

先生には、実地に教えをいただき、本当に感謝しています。また、文章書きがどういう矜持で作品に向かうべきか、教わりました。先生の後ろ姿にそれを見せていただきました。多くのお弟子さんが先生の弟子であることを誇りに感じていると思います。ぼくは、正規の弟子じゃないけれど、隠れて師匠だと思っていこうと思います。

 



で。
このたび先生の米寿のお祝いがありました。
八年ぶりにお会いしました。
あんた太ったね」と言われました。
へこみましたが、正解。前にお会いした時より増7キロです。
「先生おめでとう」と申し上げたいだけだったのに、逆に「あんたの小説は冒頭部分がまずい」「あれがだめ」「これもダメ」といろいろとご指導いただきました。

ほんとお元気です。
勝てませんや^^;

 

贋物

贋物

 

ロス感。

文学フリマが終わって、ごくごく軽くロス状態になっています。だけど、仕事のおかげで誤魔化せているかなと思う。忙しさにかまけて自分の内面の整理を先送りにしているのです。まあもっとも、自分の内面の整理など、わざわざしなくても、どんなにとっちらかっていても、そのうち忘れたり記憶が改ざんされたりして、どうにでもなってしまう。これは悪いことでは無く、人間の生理だし、防衛機能でもあると思う。ともあれ、年末に忙殺されて自分のことをうっちゃっている隙に、ロス感も消えていくことでしょう。それでよい。

しかしまあ考えてみれば、こうしてブログにあてもなく何かを書こうとする行為自体が、私の内面の奥底に、おのれを整理したい欲求があるのだと思う。そんなものは放っておいていいと言いながら、放っておくべき大義名分を言葉の中に見つけようと、いまこうしてキーボードを叩いているのです。読まされている人はいい迷惑ですよ。ほんと。

ひとつ創作のことと言っても、小説だけのつもりが、キンドルに手を出せば表紙などビジュアルのことを考えるようになり、フリマで小間物屋を広げようと思えば、色だの設営だの考えることになる。最近では動画もやっとる。そんなふうに、小説を中心にしていろんなクリエイティブをあっちにぺったん、こっちにぺったんとくっ付けていくと、なにか楽しみが無限に広がる感じがしてよいけれど、じゃあ根幹にある小説という作業がそれらを包含してなお盛り立てるべき中心軸なのかと言われると、小首がボキッと折れる。ポキッ。

まあ好みなんて、潮の満ち引きと同じで、寄せては返す波のように、盛り上がったり醒めたりする。中には沖に流れたっきり帰って来ないのもあれば、浜に上がったきりにっちもさっちもいかないのもある。やはりある程度、あっちにぷかぷか、こっちにぷかぷかしているくらいのほうが、「波にもまれて」いいのかもしれない。あ、今言った「いい」も「かもしれない」も、どっちもいい加減な気持ちで私の口から出た。予測というより希望である。

あ、毒と薬にも例えられるね。
うん。

「大丈夫、きみたちなら例えられるよ」

12月です。しわすです。
作家は先生なんでしょ? 走んなさいよ。
ぼかぁ寝る。では。

アヲイ、文学フリマ東京に初出店するの巻

 

この記事、長いです(原稿用紙20枚程度)。

 

2019年11月24日、第29回文学フリマ東京に参加しました。普通に客として行ったことも無いのに(これを一般参加というのだそうですね)初参加初出店、おまけにわざわざ鹿児島からヒコーキで2泊3日、思えば結構な暴挙と蕩尽をやりました。私の希望を汲んで一緒に「赤鉛筆同盟」を運営してくださった恭仁涼子さんには感謝しきりです。

 

はじめに、文フリに初参加した率直な感想を申しましょう。
ズバリ
「とっても楽しかったです^^!」

理由は主に2つ。
一番は人に会えたこと。
もう一つは名付けようのない感覚的なもの

人に会えた」というのは、普段ツイッターなどで交流のある方に実際にお会いできたことです。これが実に不思議な感覚で、ネット上のパーソナリティというのは、やっぱりどうしてもバーチャルな感じがするんですが、実際に会う  本物の人間に会う  というのはインパクトがありますね。正直、名前を知ってる芸能人に会ったくらいの感動がありました。その方々から「小林さんですよね?」とお声を掛けていただく。そらよろこびますよ。

もう一つの「感覚的なもの」というのは、ひと口に説明しにくいのですが、私の中にいつまでも残っている「ああよかったなあ」という余韻みたいなもので、こういう感覚はもう何十年も忘れていたような気がします。最近では、年のせいか、身の回りで何かちょっとした慶事があっても、喜ぶのはその時ばかりで、たいして後を引かなくなりました。けれども今回のイベント参加は、3日くらい経っても「ああ、あの場にいたんだな」と、いまだに情景がありありと浮かび、感動をもって思い起こされるのです。たぶんそれは、体験した内容が自分主体の出来事であること、つまり、自分の書いた本を自分で売るという、自分に深く根ざすことだからだと思います。他人のスポーツやライブで全く感動しない自分が、これほどまで余韻に浸れたことはほとんどなく、裏を返せば「どんだけ自分好きなんだよ」ということですね。はい。

 

学フリマへは、3月くらいからこころづもりをし、準備を重ね、本番に臨みました。ありがちな「期待しすぎて拍子抜けした」とか、そういうのは一切ありませんでした。それとですね、まだ一回参加しただけなので漠然としていますが、文学フリマにはなにかこう、中毒性があるような気がします。多くの書き手さんがドハマりして常連化するのもうなづけますね。だって私、開場1時間後くらいには思いましたもん。「ああ、また出たいな」って。

私は鹿児島から行ったけど、1200くらいブースが出ていれば、まだほかにも同県人はいたかもしれない。地方から出てくるのはいろいろハードルがありますよ。でも、鹿児島に限って言えば、きょうびLCCが飛んでるので、東京は随分行きやすくなりました。大阪も名古屋もそうです。ビジネスホテルも上質でお安いところが増えました。むしろ福岡に行く方が交通費は掛かるかもしれません。そういうわけなので鹿児島の人がどんどん行ったらいいなあと思います。

* * *

…とまあ、興奮冷めやらぬ状態なので、言うことがどうしても五月雨式になってしまうのですが、以下に私の「文学フリマ東京」参加の備忘録を記します。思ったことや感じたこと、注意すべき事柄を、ここに書き残しておきます。
この記事が、どこかの田舎からはるばる「文フリ東京に参加したい」と夢を抱く人の参考になれば、と思います。

 

 

1.目的

準備期間にモチベーションを持続し、本番を楽しみ抜くためには、文学フリマに出る目的をある程度しっかりさせておいた方がいいかもしれません。一人で出る分にはテキトーでも構わないでしょうけど、複数名で出る場合、そのへんを共有しておけば、もっともっと楽しめます。

単に出る」つまりオリンピック憲章的な「参加することに意義がある」みたいなのは、大学同人とかなら十分成立するモチベーションだと思います。しかし社会人が貴重な時間を割いて出店しようと思ったら、この程度じゃちょっと物足りないかもしれない。

売って売って売りまくる!」という目標設定もありでしょう。しかしこれはいろいろと難しい。私のような無名人がこのためだけに行ったら確実に大赤字で、帰りは東京湾に投身ですよ。しっかし東京のどぶ川は臭いなあ…今回の上京でつくづく思いました。

誰かに会う」というのはとても素晴らしい目的で、おすすめです。でもこれを参加意義にするには、事前にSNSなんかで知り合いができてないといけないよ。

 

ブースを歩いていると、あんまり明確な動機の見えないお店も散見されました。ぶっつわって本を読んでいるだけの人、ブースに人がほとんどいないところなど。でもみんな、それぞれなにかしら胸に秘めているのでしょう。

で、出店者を大別すると次の2つのどっちかだと思う。

  • 作者として参加している人
  • 作品を参加させている人

ブースに近寄るとなんとなく分かります。前者はボソッと「はいどうぞ……」とか言って、ざっとあしらう感じ。目が笑ってない。照れてるのかもしれない。
一方、後者は目が合ったら作品の解説をおっぱじめてなかなか帰してくれない。「そんだけ聞いたらもう本要らないじゃん」と思うくらい。よっぽど自分の作品が愛しいのでしょうね。
どっちのタイプも好きですよ。気持ちは分かるし。
ただこれが「両方とも!」って人は、眩しすぎてちょっときつい。

 

2.準備「申込・商品・設営など」

話が前後しますけど、文フリに出るにあたり準備したことなどを書いておきます。

文学フリマの申し込み

これは共同出店者の恭仁さんに全てお任せしたので、あんまりよく知らない。ネットから申し込みます。そして、出店要項とかがきて、よく読んで、で、参加するのです。

・本の印刷製本

同人誌を専門とするたくさんの印刷屋さんがあるから、いろいろ見て選びましょう。印刷屋さんによって得手不得手があるので、そこは数を見るしかありません。表紙の装丁なんかは、出店者が自分でやれたらコストは安く上がります。イラスト制作、写真加工、デジタル版下制作、入稿データづくり等々…知り合いに焼肉を奢ってやってもらうべし。
ついでにいうと、印刷の知識があるとなおよいです。紙厚・紙質・PP加工・綴じ方等々。
多くの印刷屋さんが会場搬入してくれています。ありがたい。

・無料グッズ

無料配布物です。ハンドビラのようなバラマキものから、封筒、栞など、買ってくれた人にあげるプレミアムなんかも、余裕があったら用意すればよいでしょう。そういうのを考えるのも楽しいことです。
ちなみに私は今回、小説「受給家族」封筒を用意して、本を買ってくれた人にはこの封筒に入れてお渡ししました。うん。包み紙に最適な小説のように思えたので。

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・売場の設営

1ブースは間口900ミリ×奥行450ミリ。高さ70センチの一般的な長机の半分。いろいろなアイデアを思いつくかもしれませんが、できることはそう多くありません。当初いろいろ計画していたのですが、現場に入ると明かりの具合や周囲との比較で、臨機応変を迫られました。
で、これが最終的な売り場完成写真。

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振り返って思うに、あんまり高さを追求する意味は無いような気がした。むしろ着ていく服の色とかを考えた方がよいのかもしれないです。

設営…というより、今回「赤鉛筆同盟」が悩まされたのは、です。向かって右手に大きな柱があり、片方からの視線と通行を完全に遮断されました。隣を気にしなくていいのは楽ちんなのだが、これはマジでデメリットです。場所は割り当てられるので、運命と思って受け入れるしかありません。
そうしながら、私は思いました。文学フリマで大事なことは

1に立地、2にジャンル。
34は無くて、5に愛嬌。
67とばして、8人脈。
9にお値段、10に表紙。
(作品の質は圏外>_<)

あと、設営では完成形だけ考えず「撤去のしやすさ」も考慮しましょう。

 

3.いざTRC「気を付けろ東京トラップ」

羽田空港に降り立つ僻地からのおのぼりさんは注意です。

当日入りするモノレール組は、「東京流通センター」で降りればいいが、私は前日入りして大森あたりに宿をとりました。最寄り駅は平和島駅で、こっからバスが東京流通センターに出ているので、文フリには最適の場所です。

注意すべきところは、羽田から平和島へは京急一本で行けないということです。京急蒲田で乗り換えねばなりません。地方民はあんまり単一路線で快速から普通に乗り換えるという発想が無い。乗り替えというのは路線が変わるものだという固定観念があるので。

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平和島駅からでる東京流通センター行きの停車場は、交差点を渡って冷蔵庫の扉みたいなドアのある店の前あたりです。10分くらいで東京流通センターにつきます。
これがその東京流通センターです。

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出店者入場時間の10分くらい前にきたのにもう列ができていました。なにかもう殺伐とした風情。

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暗澹たる前途を予言するかのように、柄の折れた傘が落ちていた。南無。

どやどやっと設営して見本誌を運び入れたら、あっという間に開場と相成りました。イベントスタートです^^

 

4.開場

いやしかし、すごい人の数でしたね。6000人を超えたというから、大盛況です。

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しかし我が赤鉛筆同盟のブースが忙しかったということはなく…開場後はほとんどブースに座って「待ち」の時間でした。共同出店者がいたので、無人販売時間をもうけずに済みました。交代でトイレに行ったり、ぶらぶらしたり。昼食のカレー「ターリー屋」は定番でしょうか。おそらく文学フリマで一番売り上げてるのでは?

営業中、SNSで交流のある方がいくたりか赤鉛筆同盟をご訪問くださいました。
嬉しかったです。
ありがとうございます

お名前を列挙したいくらいですけど、もれがあっちゃいけないから割愛します。もうほんと、ラブですよ。

申し訳なかったのは、こちらから訪ねていくことが全然できなかったこと。これは小林の事前準備不足です。
文フリの公式サイトやパンフレットを見ると、全てのサークル名がリストになっています。公式サイトではサークルをクリックしたら誰が属しているというのは分かります。だけど逆に、誰がどこにいるかを割り出す方法はありません。どこに誰が居るかは分かっても、誰がどこに居るのかは分からないのです。
そういうわけなので、小林の頭の中には「誰々さんは文フリ参加しているはずだよね」と思っても、その方がどこにいるか分からず…断念。嗚呼苦い思い出。事前に「どなたが何というサークルに居て、場所はどこ」というのを紙にメモしておけばよかった。これは後悔しています(なお、ウチはサークル名に名前を入れておいたよ)。

 

5.祭りの後「片付けと懇親会」

17:00になり、文学フリマは終了しました。

撤収では、大きな会場があっという間にガランとなりました。机だの椅子だのみんなで片付けるんですけど、あれだけ会場に並んでいたのがわずか20分ですっかり消えて、壮観でした。売れ残り荷物はヤマト着払いで鹿児島に直送できました。助かった。梱包に使った段ボールは、搬入時に使われて不要になった空き箱が集積されており、それを頂戴しました。

18:00、同じTRC敷地内にある「アーコレード」なるレストランで行われた懇親会に参加しました。先着100名(事前予約)で参加費4000円。2時間飲み放題。さすがレストラン、食べ物はとてもおいしかったのです。

懇親会まで残った人は、大会場で小間物屋を広げていた中でも、とりわけ垢抜けているというか、いくらか表情筋の発達した顔ぶれだったような気がします。だって、着ている服の色からして違う。さっきの本会場では全体に黒々しかった雰囲気が、なにか淡く桃色がかった風合いになりましたから。懇親会参加希望者だけに、コミュニケーションへの意志を感じます。

宴の最中にPRタイムというのがありました。みなの前に立ち、自分の作品やらサークルやらを20秒でPRするというもの。私なんぞはリアルでは照れ屋さんなので、みんなの前で何かを言うなどもってのほか。共同出店者の恭仁さんも同じ気持ちで、私は「ああいうのは、実にもう、解せませんな」とか言って、すっかり引っ込んでおりました。で、「きっとみんなそうだろ」と思っていました。

ところがところが。

司会者が「PRタイムをはじめますから並んで頂戴」と言うやいなや、会場の半分くらいの人が一斉に立ち上がり、ワアワアガアガアあつまって、正面上手(かみて)に長蛇の列をつくりました。酔っているから列がうねる。みんな手に自分の本を持って、それがウロコのように光っている。すぐに私は「こりゃあ同人の“おくんち”だ!」と思いました。

PRがはじまると、みなさん実に熱く語っておられました。一部はほとんど絶叫です。何を言っているのか分かりません。ときたま普通の人がいますけど、なにかこう、普通であることが異常視されてしまうような、そんな時間帯でした。「みんなよく人前でしゃべるなあ」と思いましたが、考えてみれば当然のことで、自分の書いた本に自分で値段をつけて自分で売ろうという人々ですから、その程度の事は本来朝飯前なんですよ。みんなそういう自意識構造なのです。引っ込んでいる私の方がおかしいんです。

はてさて熱いPRタイムのおかげで、宴席の空気は一気にやわらぎ、ご挨拶、名刺交換、作品の売買・交換がはじまりました。むしろ、本会場よりもこっちの方が本が飛び交っていたかもしれない。本会場に劣らず、ここでもたくさんの人とご挨拶をさせていただきました。ありがとうございます。

あ、そういえば、23区に在住の「小説を書きたいけど書けない」と言っていたお兄さん、一般参加で懇親会に出られるあたり、おこころざしは十分かと存じます。頑張ってくださいね。お名前もうかがってないかった。あれ? 聞いたっけ。うん?

宴は20:00で幕となり、かくして、私が半年以上楽しみにしていた文学フリマ東京は、その全日程を終了したのでした。文学フリマ関係各位、出会った方、出会わなかった方、買ってくれた方、買わなかった方、みなさんありがとうございます。

 

総論

近々BOOTHやる予定です。商品ふんだんにありますよ^^
……と言ったら、つまり、どういう意味かわかるでしょ。

売り上げ? 野暮なことは聞かないでくださいよ。
平和島
の寿司屋で溶かしたよ。美味しかった^^

文学フリマ、楽しかった。だけど、まあ正直思うところはあります。
もう少し動きがあるかと思っていた…('A`)
いろいろ反省しました…次はどうやるべきか、と。
ぜひ捲土重来と行きたい。
東京と言わず、どこと言わず。。。

 

* * *

以上長々と文学フリマに参加した顛末を申し上げました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
久し振りに記事物のブログを書きました。疲れました。

おしまい。

 

ユトレシア・ブラックジャーナル・サーガ

ユトレシア・ブラックジャーナル・サーガ

 

 

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