アヲイ報◆愚痴とか落語とか小説とか。

創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

ロス感。

文学フリマが終わって、ごくごく軽くロス状態になっています。だけど、仕事のおかげで誤魔化せているかなと思う。忙しさにかまけて自分の内面の整理を先送りにしているのです。まあもっとも、自分の内面の整理など、わざわざしなくても、どんなにとっちらかっていても、そのうち忘れたり記憶が改ざんされたりして、どうにでもなってしまう。これは悪いことでは無く、人間の生理だし、防衛機能でもあると思う。ともあれ、年末に忙殺されて自分のことをうっちゃっている隙に、ロス感も消えていくことでしょう。それでよい。

しかしまあ考えてみれば、こうしてブログにあてもなく何かを書こうとする行為自体が、私の内面の奥底に、おのれを整理したい欲求があるのだと思う。そんなものは放っておいていいと言いながら、放っておくべき大義名分を言葉の中に見つけようと、いまこうしてキーボードを叩いているのです。読まされている人はいい迷惑ですよ。ほんと。

ひとつ創作のことと言っても、小説だけのつもりが、キンドルに手を出せば表紙などビジュアルのことを考えるようになり、フリマで小間物屋を広げようと思えば、色だの設営だの考えることになる。最近では動画もやっとる。そんなふうに、小説を中心にしていろんなクリエイティブをあっちにぺったん、こっちにぺったんとくっ付けていくと、なにか楽しみが無限に広がる感じがしてよいけれど、じゃあ根幹にある小説という作業がそれらを包含してなお盛り立てるべき中心軸なのかと言われると、小首がボキッと折れる。ポキッ。

まあ好みなんて、潮の満ち引きと同じで、寄せては返す波のように、盛り上がったり醒めたりする。中には沖に流れたっきり帰って来ないのもあれば、浜に上がったきりにっちもさっちもいかないのもある。やはりある程度、あっちにぷかぷか、こっちにぷかぷかしているくらいのほうが、「波にもまれて」いいのかもしれない。あ、今言った「いい」も「かもしれない」も、どっちもいい加減な気持ちで私の口から出た。予測というより希望である。

あ、毒と薬にも例えられるね。
うん。

「大丈夫、きみたちなら例えられるよ」

12月です。しわすです。
作家は先生なんでしょ? 走んなさいよ。
ぼかぁ寝る。では。

アヲイ、文学フリマ東京に初出店するの巻

 

この記事、長いです(原稿用紙20枚程度)。

 

2019年11月24日、第29回文学フリマ東京に参加しました。普通に客として行ったことも無いのに(これを一般参加というのだそうですね)初参加初出店、おまけにわざわざ鹿児島からヒコーキで2泊3日、思えば結構な暴挙と蕩尽をやりました。私の希望を汲んで一緒に「赤鉛筆同盟」を運営してくださった恭仁涼子さんには感謝しきりです。

 

はじめに、文フリに初参加した率直な感想を申しましょう。
ズバリ
「とっても楽しかったです^^!」

理由は主に2つ。
一番は人に会えたこと。
もう一つは名付けようのない感覚的なもの

人に会えた」というのは、普段ツイッターなどで交流のある方に実際にお会いできたことです。これが実に不思議な感覚で、ネット上のパーソナリティというのは、やっぱりどうしてもバーチャルな感じがするんですが、実際に会う  本物の人間に会う  というのはインパクトがありますね。正直、名前を知ってる芸能人に会ったくらいの感動がありました。その方々から「小林さんですよね?」とお声を掛けていただく。そらよろこびますよ。

もう一つの「感覚的なもの」というのは、ひと口に説明しにくいのですが、私の中にいつまでも残っている「ああよかったなあ」という余韻みたいなもので、こういう感覚はもう何十年も忘れていたような気がします。最近では、年のせいか、身の回りで何かちょっとした慶事があっても、喜ぶのはその時ばかりで、たいして後を引かなくなりました。けれども今回のイベント参加は、3日くらい経っても「ああ、あの場にいたんだな」と、いまだに情景がありありと浮かび、感動をもって思い起こされるのです。たぶんそれは、体験した内容が自分主体の出来事であること、つまり、自分の書いた本を自分で売るという、自分に深く根ざすことだからだと思います。他人のスポーツやライブで全く感動しない自分が、これほどまで余韻に浸れたことはほとんどなく、裏を返せば「どんだけ自分好きなんだよ」ということですね。はい。

 

学フリマへは、3月くらいからこころづもりをし、準備を重ね、本番に臨みました。ありがちな「期待しすぎて拍子抜けした」とか、そういうのは一切ありませんでした。それとですね、まだ一回参加しただけなので漠然としていますが、文学フリマにはなにかこう、中毒性があるような気がします。多くの書き手さんがドハマりして常連化するのもうなづけますね。だって私、開場1時間後くらいには思いましたもん。「ああ、また出たいな」って。

私は鹿児島から行ったけど、1200くらいブースが出ていれば、まだほかにも同県人はいたかもしれない。地方から出てくるのはいろいろハードルがありますよ。でも、鹿児島に限って言えば、きょうびLCCが飛んでるので、東京は随分行きやすくなりました。大阪も名古屋もそうです。ビジネスホテルも上質でお安いところが増えました。むしろ福岡に行く方が交通費は掛かるかもしれません。そういうわけなので鹿児島の人がどんどん行ったらいいなあと思います。

* * *

…とまあ、興奮冷めやらぬ状態なので、言うことがどうしても五月雨式になってしまうのですが、以下に私の「文学フリマ東京」参加の備忘録を記します。思ったことや感じたこと、注意すべき事柄を、ここに書き残しておきます。
この記事が、どこかの田舎からはるばる「文フリ東京に参加したい」と夢を抱く人の参考になれば、と思います。

 

 

1.目的

準備期間にモチベーションを持続し、本番を楽しみ抜くためには、文学フリマに出る目的をある程度しっかりさせておいた方がいいかもしれません。一人で出る分にはテキトーでも構わないでしょうけど、複数名で出る場合、そのへんを共有しておけば、もっともっと楽しめます。

単に出る」つまりオリンピック憲章的な「参加することに意義がある」みたいなのは、大学同人とかなら十分成立するモチベーションだと思います。しかし社会人が貴重な時間を割いて出店しようと思ったら、この程度じゃちょっと物足りないかもしれない。

売って売って売りまくる!」という目標設定もありでしょう。しかしこれはいろいろと難しい。私のような無名人がこのためだけに行ったら確実に大赤字で、帰りは東京湾に投身ですよ。しっかし東京のどぶ川は臭いなあ…今回の上京でつくづく思いました。

誰かに会う」というのはとても素晴らしい目的で、おすすめです。でもこれを参加意義にするには、事前にSNSなんかで知り合いができてないといけないよ。

 

ブースを歩いていると、あんまり明確な動機の見えないお店も散見されました。ぶっつわって本を読んでいるだけの人、ブースに人がほとんどいないところなど。でもみんな、それぞれなにかしら胸に秘めているのでしょう。

で、出店者を大別すると次の2つのどっちかだと思う。

  • 作者として参加している人
  • 作品を参加させている人

ブースに近寄るとなんとなく分かります。前者はボソッと「はいどうぞ……」とか言って、ざっとあしらう感じ。目が笑ってない。照れてるのかもしれない。
一方、後者は目が合ったら作品の解説をおっぱじめてなかなか帰してくれない。「そんだけ聞いたらもう本要らないじゃん」と思うくらい。よっぽど自分の作品が愛しいのでしょうね。
どっちのタイプも好きですよ。気持ちは分かるし。
ただこれが「両方とも!」って人は、眩しすぎてちょっときつい。

 

2.準備「申込・商品・設営など」

話が前後しますけど、文フリに出るにあたり準備したことなどを書いておきます。

文学フリマの申し込み

これは共同出店者の恭仁さんに全てお任せしたので、あんまりよく知らない。ネットから申し込みます。そして、出店要項とかがきて、よく読んで、で、参加するのです。

・本の印刷製本

同人誌を専門とするたくさんの印刷屋さんがあるから、いろいろ見て選びましょう。印刷屋さんによって得手不得手があるので、そこは数を見るしかありません。表紙の装丁なんかは、出店者が自分でやれたらコストは安く上がります。イラスト制作、写真加工、デジタル版下制作、入稿データづくり等々…知り合いに焼肉を奢ってやってもらうべし。
ついでにいうと、印刷の知識があるとなおよいです。紙厚・紙質・PP加工・綴じ方等々。
多くの印刷屋さんが会場搬入してくれています。ありがたい。

・無料グッズ

無料配布物です。ハンドビラのようなバラマキものから、封筒、栞など、買ってくれた人にあげるプレミアムなんかも、余裕があったら用意すればよいでしょう。そういうのを考えるのも楽しいことです。
ちなみに私は今回、小説「受給家族」封筒を用意して、本を買ってくれた人にはこの封筒に入れてお渡ししました。うん。包み紙に最適な小説のように思えたので。

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・売場の設営

1ブースは間口900ミリ×奥行450ミリ。高さ70センチの一般的な長机の半分。いろいろなアイデアを思いつくかもしれませんが、できることはそう多くありません。当初いろいろ計画していたのですが、現場に入ると明かりの具合や周囲との比較で、臨機応変を迫られました。
で、これが最終的な売り場完成写真。

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振り返って思うに、あんまり高さを追求する意味は無いような気がした。むしろ着ていく服の色とかを考えた方がよいのかもしれないです。

設営…というより、今回「赤鉛筆同盟」が悩まされたのは、です。向かって右手に大きな柱があり、片方からの視線と通行を完全に遮断されました。隣を気にしなくていいのは楽ちんなのだが、これはマジでデメリットです。場所は割り当てられるので、運命と思って受け入れるしかありません。
そうしながら、私は思いました。文学フリマで大事なことは

1に立地、2にジャンル。
34は無くて、5に愛嬌。
67とばして、8人脈。
9にお値段、10に表紙。
(作品の質は圏外>_<)

あと、設営では完成形だけ考えず「撤去のしやすさ」も考慮しましょう。

 

3.いざTRC「気を付けろ東京トラップ」

羽田空港に降り立つ僻地からのおのぼりさんは注意です。

当日入りするモノレール組は、「東京流通センター」で降りればいいが、私は前日入りして大森あたりに宿をとりました。最寄り駅は平和島駅で、こっからバスが東京流通センターに出ているので、文フリには最適の場所です。

注意すべきところは、羽田から平和島へは京急一本で行けないということです。京急蒲田で乗り換えねばなりません。地方民はあんまり単一路線で快速から普通に乗り換えるという発想が無い。乗り替えというのは路線が変わるものだという固定観念があるので。

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平和島駅からでる東京流通センター行きの停車場は、交差点を渡って冷蔵庫の扉みたいなドアのある店の前あたりです。10分くらいで東京流通センターにつきます。
これがその東京流通センターです。

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出店者入場時間の10分くらい前にきたのにもう列ができていました。なにかもう殺伐とした風情。

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暗澹たる前途を予言するかのように、柄の折れた傘が落ちていた。南無。

どやどやっと設営して見本誌を運び入れたら、あっという間に開場と相成りました。イベントスタートです^^

 

4.開場

いやしかし、すごい人の数でしたね。6000人を超えたというから、大盛況です。

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しかし我が赤鉛筆同盟のブースが忙しかったということはなく…開場後はほとんどブースに座って「待ち」の時間でした。共同出店者がいたので、無人販売時間をもうけずに済みました。交代でトイレに行ったり、ぶらぶらしたり。昼食のカレー「ターリー屋」は定番でしょうか。おそらく文学フリマで一番売り上げてるのでは?

営業中、SNSで交流のある方がいくたりか赤鉛筆同盟をご訪問くださいました。
嬉しかったです。
ありがとうございます

お名前を列挙したいくらいですけど、もれがあっちゃいけないから割愛します。もうほんと、ラブですよ。

申し訳なかったのは、こちらから訪ねていくことが全然できなかったこと。これは小林の事前準備不足です。
文フリの公式サイトやパンフレットを見ると、全てのサークル名がリストになっています。公式サイトではサークルをクリックしたら誰が属しているというのは分かります。だけど逆に、誰がどこにいるかを割り出す方法はありません。どこに誰が居るかは分かっても、誰がどこに居るのかは分からないのです。
そういうわけなので、小林の頭の中には「誰々さんは文フリ参加しているはずだよね」と思っても、その方がどこにいるか分からず…断念。嗚呼苦い思い出。事前に「どなたが何というサークルに居て、場所はどこ」というのを紙にメモしておけばよかった。これは後悔しています(なお、ウチはサークル名に名前を入れておいたよ)。

 

5.祭りの後「片付けと懇親会」

17:00になり、文学フリマは終了しました。

撤収では、大きな会場があっという間にガランとなりました。机だの椅子だのみんなで片付けるんですけど、あれだけ会場に並んでいたのがわずか20分ですっかり消えて、壮観でした。売れ残り荷物はヤマト着払いで鹿児島に直送できました。助かった。梱包に使った段ボールは、搬入時に使われて不要になった空き箱が集積されており、それを頂戴しました。

18:00、同じTRC敷地内にある「アーコレード」なるレストランで行われた懇親会に参加しました。先着100名(事前予約)で参加費4000円。2時間飲み放題。さすがレストラン、食べ物はとてもおいしかったのです。

懇親会まで残った人は、大会場で小間物屋を広げていた中でも、とりわけ垢抜けているというか、いくらか表情筋の発達した顔ぶれだったような気がします。だって、着ている服の色からして違う。さっきの本会場では全体に黒々しかった雰囲気が、なにか淡く桃色がかった風合いになりましたから。懇親会参加希望者だけに、コミュニケーションへの意志を感じます。

宴の最中にPRタイムというのがありました。みなの前に立ち、自分の作品やらサークルやらを20秒でPRするというもの。私なんぞはリアルでは照れ屋さんなので、みんなの前で何かを言うなどもってのほか。共同出店者の恭仁さんも同じ気持ちで、私は「ああいうのは、実にもう、解せませんな」とか言って、すっかり引っ込んでおりました。で、「きっとみんなそうだろ」と思っていました。

ところがところが。

司会者が「PRタイムをはじめますから並んで頂戴」と言うやいなや、会場の半分くらいの人が一斉に立ち上がり、ワアワアガアガアあつまって、正面上手(かみて)に長蛇の列をつくりました。酔っているから列がうねる。みんな手に自分の本を持って、それがウロコのように光っている。すぐに私は「こりゃあ同人の“おくんち”だ!」と思いました。

PRがはじまると、みなさん実に熱く語っておられました。一部はほとんど絶叫です。何を言っているのか分かりません。ときたま普通の人がいますけど、なにかこう、普通であることが異常視されてしまうような、そんな時間帯でした。「みんなよく人前でしゃべるなあ」と思いましたが、考えてみれば当然のことで、自分の書いた本に自分で値段をつけて自分で売ろうという人々ですから、その程度の事は本来朝飯前なんですよ。みんなそういう自意識構造なのです。引っ込んでいる私の方がおかしいんです。

はてさて熱いPRタイムのおかげで、宴席の空気は一気にやわらぎ、ご挨拶、名刺交換、作品の売買・交換がはじまりました。むしろ、本会場よりもこっちの方が本が飛び交っていたかもしれない。本会場に劣らず、ここでもたくさんの人とご挨拶をさせていただきました。ありがとうございます。

あ、そういえば、23区に在住の「小説を書きたいけど書けない」と言っていたお兄さん、一般参加で懇親会に出られるあたり、おこころざしは十分かと存じます。頑張ってくださいね。お名前もうかがってないかった。あれ? 聞いたっけ。うん?

宴は20:00で幕となり、かくして、私が半年以上楽しみにしていた文学フリマ東京は、その全日程を終了したのでした。文学フリマ関係各位、出会った方、出会わなかった方、買ってくれた方、買わなかった方、みなさんありがとうございます。

 

総論

近々BOOTHやる予定です。商品ふんだんにありますよ^^
……と言ったら、つまり、どういう意味かわかるでしょ。

売り上げ? 野暮なことは聞かないでくださいよ。
平和島
の寿司屋で溶かしたよ。美味しかった^^

文学フリマ、楽しかった。だけど、まあ正直思うところはあります。
もう少し動きがあるかと思っていた…('A`)
いろいろ反省しました…次はどうやるべきか、と。
ぜひ捲土重来と行きたい。
東京と言わず、どこと言わず。。。

 

* * *

以上長々と文学フリマに参加した顛末を申し上げました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
久し振りに記事物のブログを書きました。疲れました。

おしまい。

 

ユトレシア・ブラックジャーナル・サーガ

ユトレシア・ブラックジャーナル・サーガ

 

 

消えたプロローグと恐怖の「魚群的観衆」

 

ツイッターで呟いたのを転載&ちょっと追記。 

し振りにkoboのPCアプリを開き、忘却のかなたにあった「無責任姉妹」を見つけ、開けて見た。何年か前にkoboをやる時、試しにDLしたものだ。現行にはないプロローグがあり(自分でも存在を忘れていた)、そこを読みなおして意外に「なかなか良い」と思った。でもこの部分は、のちにKDPでKENPが伸びなくなる原因箇所になっていたから、現在は外している。茶室のシーンである。

個人的にはいつも「小説なんて好きなことを好きなように書けばいい」と思うし言ってるけど、折角手に取ってくれた人には最後まで読んでほしいと思うので、泣く泣く切った記憶がある。みなざっと見てすぐに止めちゃう。「こいつにちょっとつきあってやるか」という数奇者読者はこんにちよっぽどである。

自分の小説など些細なことだが、こんな現況を引き延ばして考えた時、気が滅入ることがある。
自分が「これいいよね」と本気で思っているのが世間で全く通用せず、且つまた、世間でもてはやされているものをぼくが全く理解できない…前者はともかく、後者はしんどい。この状態のまま現世を寿命まで生きるかと思うと、気が遠くなる。

世間の嗜好に合わせるのは困難だ。こないだサッカー観戦に誘われたのだけど断った。「都合が~」と言ったのだけど、ほんとのことを言うと、あの、競技場でみんなが一つの物を延々と熱狂的に応援している光景をみるのが、ほんとに気持ち悪くて、耐え難い。最近のラグビー熱もそうですよ。あれはどういうメカニズムなんだろう。貴様ら魚群か?と思う。たいがいのスポーツ・芸能はこんなふうだ。文芸も。

小説にしろなんにしろ、自分の言行を大勢の関心に合わせるのは、できないどころかむしろ恐怖で、やるにしても、こないだ動画で言ったようにそこに悪気がまじってしまう。いや、悪気どころか悪意だよ。別にへそまがりアンチであるつもりはない。もう、生理的に、受け付けないのである。

そんな中で、件の「無責任姉妹」について思うのは「せっかく自分のを手に取ってくれる人がいるのなら、最後まで読んでほしい」というのと「自分の書いたプロローグがそれを阻害するなら切り捨てるほかない」というのが、こう、ぐちゃぐちゃーっとなっている。正直複雑である。世間にあわない、あわせられない…そんな中で自分の表現物が手に取られた時、せめてその人とくらいは、なにかシンクロする部分を持ちたいと思うから……。

まあ誰しもそんなことは抱えているかもね。

とまあ、以上、まとまりはないけど、「おしまい」。

 

◆没プロローグ「無責任姉妹①」◆

 雨上がりの中庭は風の巡りが悪く、湿っぽい空気が蒸れるように淀んでいる。時折、花壇から季節の花の香りが届く。湿気と香りの重さが、どこか息苦しい。
 中庭の最深奥。影に佇む苔むした白壁の茶室。
 夕方の日差しは春めいて柔らかく、全てを桜色に包み込むようだった。だが、さすがに茶室の内部まで光を届かせてはいなかった。
 躙(にじ)り口から見える二人の姿。陰影に仄白い輪郭を描いている。
 左手に正座するのは、主(あるじ)。白紬の袖口から白磁の様に透き通った手が伸び、茶を点(た)てている。
 対面に客人(まろうど)。だぶだぶとしたズボンの腿の上に、小さく握られた拳が見える。
 二人の顔は、躙り口の狭さに阻まれ、外から見ることができない。
 やがて、緋毛氈の上に主の白い手が伸び、一鉢の抹茶を推し出した。
「時に、先生」
 主の声は、幼いくらいに瑞々(みずみず)しい張りを湛えた女の声だった。
「漆田のことなのですが」
「ああ。うん」
 こちらの声は、やや低め。大人の女性  といってもまだ若い。年の頃は二十七、八か。手を伸ばし、鉢を受け取る。
「もちろん先生のご意思も同じでございましょう?」
 無言。
 緋毛氈の上に鉢が戻る。
「いかがです?」
「結構な御点前(おてまえ)であった」
「ご冗談を。そうではございません」
「うん?」
「先生こそ、今日は彼女の件でこちらにお越しなのでしょう」
「ふん……。何もかもお見通しだな。一之瀬は」
「私と先生との間柄ではありませんか。判らぬことなどありましょうか」
「痴れたことを。しかし、お前の望みは何なのだ? 復讐か? 制裁か?」
「まさか」
 暗中に光が射し、主の女の口元を白く照らし出す。
 浮かび上がる唇の線。口角が歪むように、ひくりと上がる。
「先生もご存知でしょうに。ただ気に入らぬ、それだけです」
「そうか」
 乾いた声。茶室の空気が毛羽立つ。
「なぜお前たちは、そう虚しくあろうとするのだろうな」
「それは、そういうシナリオを書かれる御仁がおられるからでは?」
 茶室の外で、腐りかけた獅子脅(ししおどし)が、コン、と固い音を立てる。 

 

◆つづきは下の本をぽちんなさい。

学園コメディ無責任姉妹 1: 漆田琴香、煩悶ス。

学園コメディ無責任姉妹 1: 漆田琴香、煩悶ス。

 

 

 

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