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創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

労使ニコニコ「私的」3つの採用基準

きょうもきょうとてガス抜きブログだよ。

つも爺臭い&貧乏くさいことばかり書いているので、今回は、どこかの誰かに役立ちそうな、ちょっとしたノウハウを書いてみよう。ノウハウと言っても、「私はこうやってきた」「それであまりしくじったことはなかった」という程度のことであり、必ずしも永久不変の黄金技ではないから、そのへんは承知で願います。

今日申し上げるのは「極私的・人を採用する時に見るべきところ」。
小林はいまでこそフワフワとお気楽ノベルを書き綴っているが、以前はちゃんと働いていた。その中で、人の採用に関わることがたびたびあり、実際に募集をかけたり雇ったりしていた。時には大当たりの人物にめぐりあい、時にはその逆もあった。前者はよいとして、後者はほんと心苦しく、雇う側も雇われる側もダメージである。

面接に来た人材のどこを見るべきか。

これは非常に難しいテーマだ。
ところが、ある時から「いくつかの基準」を用いて採用したところ、あんまりハズレを引かなくなった。
その基準を申し上げよう。

ブレイブガールスープレックス

ブレイブガールスープレックス

 

1)兄弟姉妹構成

どんな作業をしてもらうかにもよるけれど、それでもやっぱり、私は末っ子イチオシである。生物的にも優れていると思う。後の子は最初の子よりも母体のストレスが低い状態で生まれる。ポテンシャルも、ドラえもんとドラミちゃんじゃないが、先に生まれるのは上澄みで、あとに生まれる方が養分が沈殿して濃縮されている  ような気がする(疑)。ほら、あとの子の方が背の高いケースが多いでしょう。

…とまあ、そんな風に思っていのいちばんに挙げたけど、出産・子育てが便利になり一人っ子も多い昨今、末っ子神話は迷信に近いかもしれない。

ちなみに小林は長男です。

2)スポーツ歴

適度な成功体験を積んでいるかを知るために、スポーツ歴は面接で必ず聞く。別にスポーツじゃなくても、文科系の成功体験でもよさそうだが、文科系の成功体験は個人プレーの物が多く、芸術など主観的な評価であり、いつも適切な人格形成に結びついているとは限らない。私がスポーツにこだわりたいのは、チームで動けて/勝利という絶対目標から目を逸らさず/自分に自信を持てる結果を体験したことがある、というところだ。それに、体育系なら多分に健康優良だろうし。

ただし、あんまり大きな大会で優勝したとか、輝かしい結果を残している人は、ちょっと違う。雇う側にそういう人がいっぱいいればいいが、普通そんなことないでしょう。いろんな意味で意識に差が生じ、和を乱してしまうこともある。常にいい人材を、じゃなく、我が社に分相応の、ということもあるのだ。

3)学歴

内容を見るのではない。義務教育を終えて、浪人したか、留年したか、塾に通ったか、などなど、どういう過程をたどったかをうかがう。早い話が親から期待されてきたようなプロセスがあるかどうかを見る。お金持ちが湯水のように塾だ家庭教師だと注ぎ込んで作り上げた高学歴の子供でも、あんまり親との心のコミュニケーションが無い場合がある。逆に片親で貧乏してても、親が自分の人生をなげうって子供に費やしているケースもある。つまり、期待されること、それに応えようとすること、そういった交感に対するメンタルが健全に育まれているか。その結果、ある一定の学歴に達していて、それが彼(彼女)にとって何を意味しているか、そこを判断するのである。
まあ、この辺は雇う側にもバランス感覚が要求される。

 

じて「自分に対し健全な自信をもっているかどうか」ということだ。面接にはいろんな奴が来る。馬鹿デカい声で「ヤル気は負けません!」と騒ぐ奴、カードストックに資格免許証をいっぱい持ってくる奴、外国語が堪能な奴...etc。そやつらは確かにパッと見「どこそこに打ってつけだ」「アイツと気が合いそう」と、会社のメリットに結び付けやすい。しかし、ホントに見るべきところは、健全な自意識を獲得しているかどうか。そういう人の方があとあと伸びるし、ちゃんと接していけば裏切らない。案外地味で寡黙な人が適っている場合もある。やっぱりそういう人を採用したいもんじゃないか。

ところで、小林がかつて人を面接していたのは、小企業・零細企業ばかり。ある程度仕上がった人材を雇い、その能力にあずかろうというのが前提で、それにくわえて社会人として一人世の中に立つ強い自己を求めていた。
これが大企業になると、社員教育の中に人格形成を盛り込んで、会社で社員に自信をつけさすところまでやっちゃう。

いやああ、すごいな。そんなん。

自信付けたいから本を買ってください。

グリーンボーイ・アッパータイム

グリーンボーイ・アッパータイム

 

 

おいしい思い出

近は頼まれごとが多くてイライラしていることが多い。
そういうこともあってガス抜きでブログを連投しているが、そんなんでロクな記事がおこせるわけもない。まったくもって、皆様のお目汚しである。

けれどもガス抜きはガス抜きでしなきゃ前に進んでいけない。かといって、どっか遊びに行ったりするとなると、金も時間もかかるし、そもそも、頼まれごとをする時間を失くして本末転倒だ。

仕方が無いから机に座って、あれこれとガスが抜けそうなことを考えてみる。
小説のことなんか考えたらだめだ。かえって疲れてしまう。
何かやりたいことでも考えてみるか? これもだめだ、やりたいことの前に立ちはだかる現実があまりに大きい。もしくは、やりたいことが何にも出てこなくて虚しくなる。
いっそぶっとんだことを空想する? kindleがバカ売れして宮殿を建てるとか。苦しいねえ。

ろいろやって、最後に辿り着いたのが「おいしい思い出」を手繰り寄せるという試みだった。以前食べた美味しかった品々を思い返し、机に一筋の涎を垂らして脳内ホルモンを絞り出す。味と匂いの思い出というのは、案外鮮明に思い起こされる。結構何を食べてもおいしいと感じる馬鹿舌なので、思い返せば無限に出てくる。
金も時間もかからない。それでいてひとときの幸せ心地。おお。特許取ろうかな。

一番最初に思い出したのは、こちら。

日本橋 玉ゐ 本店
〒103-0027 東京都中央区日本橋2-9-9
4,000円(平均)2,500円(ランチ平均)

日本橋玉ゐ」のあなご箱めし。
訪れたんではなく、お客さんのところでお昼に出していただいた。煮詰めと山葵、あなごの細かい食感。あゝ、思い出してたら涎が。

私、プロフィールのところに書いてますけど、大のうなぎ好きであります。が、このお弁当をいただいて「うなぎもいいけどあなごもいいね」と思わずにいられなかった。うなぎの方がたしかに満足感は高い。だけど、ちびちび呑みながらとか、のんびり食べるならあなごの方がいい。胃もたれしないし、お値段もやさしい。

小説など、ものづくりにも通じるところがある気がする。うなぎみたいにどりゃあっとゴージャスなのは、みな求めるし、作り手も挑戦してみたいと思うものだが、やはり飽きる&疲れる。地味だけどじわじわずっと楽しめるあなごみたいな作品の方が、長期的に見て満足感は高いかもしれない。受け手にも送り手にも。

…と、ここまで読み直して「何の例えじゃ?」とあきれ返った。いくら趣味だからって、何でもかんでも創作に結びつけることはなかろうに。

ちなみに、この記事は広告じゃありません。おいしかったのをおいしかったと書いた、それだけです。

い出は思い出にとどめとかなきゃいかん。「じゃあ今度食べに行こう」などと思ってしまうと、時間も金も無いので、思いは遂げられず、かえって消沈してしまう。

結局どうしたいのか分からないけど、当分はギリギリの味回顧でガス抜きするしかないですね。

11月が終わる。
今年はこのまま暮れてしまおう。

学園コメディ無責任姉妹 4: 孤高少女の放心

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あゝ思ひ出の“最上階レストラン”

貨店の最上階、余所行きを着てレストランでお食事…なんて話にノスタルジーを感じるのは、これはもう結構な年頃なはずである。小さい頃の思い出というのは固いもんで、なかなか抜けきらない。かくいう私もよく親に連れられて行ったものだ。

しかし、子供ながらにいつも思っていた  なんてガサツでキタネエところだ、と。殊に我が郷土の某百貨店は、いまでこそファミレスなどがあるので多少の競争観念が働いているようだけど、当時は「メシなんか出しゃあいい」みたいな感じで、そりゃあ殿様商売であった。プライドみたいなものがあったんだろう。なんたって県下随一の百貨店のレストランだもの。コックも給仕も堂々としていた。レストラン自体、あんまりない時代だったから、そりゃあ花形だろう。

れから数十年の時を経て、今日、久し振りにその食堂に行ってみた。私のツイッターをご覧になった方は、それがどこで、小林が何を食したかお分かりになるだろう。ま、それは置いといて、事実、私は唖然としましたよ。フロアの見違えるような美しさ。広いダイニングに落ち着いたブラウンのテーブル。モダンな柱壁の拵えに、なにかこう大正時代の雰囲気を感じた。さすがこのへんの捉えどころは百貨店である。むかしはそんなんじゃなかった。鉄パイプの露出したペコペコの椅子、くすんだテーブルクロス。野暮な馬鹿デカい急須からは、安っぽい玄米茶がこぼれたものだ(あれはあれで好きな味だったが)。それがもう、お城だよ。

かし、一つ変わらないのは、店員さんの佇まいである。ファミリー居酒屋じゃあるまいし、ドデカイ声で「おひとりさんごあんなーい」。セリフは全て体言止め。丁寧語を知らないのか使いたくないのか。席に通された後、メニューを決めて座っていると、ニッポンのおっかさんみたいな人が黙って横にぬっと立った。「あの、これを」私がおずおずとメニューを指差すと「はい、やきそば」と言って踵を返した。「やきそばですね」も「繰り返します」も「お待ちくださいませ」もない。うそーと思ってその人のことをずっと目で追っていたが、他の席でも同じような接客だった。ははあ、あの人だけああなんだろう  そう思って他のスタッフを見たが、ほぼ同様。かのニッポンのおっかさんは、どう見てもベテランみたいだったから、他の若い人にもやり方が伝播したのだろう。そんなに忙しい時間帯でも無かったので、何か残念である。

た目なんてのは、金をかければいくらでも変えられる。かの食堂は、数年前に巨費を投じてリニューアルした。当地の新聞に出ていたのを見た記憶がある。たしか一面だった。それだけ県民の関心の高い出来事だったのだ。だけど、そこに居る人や文化、いうなれば企業風土はそうそう変えられるものではない。変革だ改革だと考えることは大事だが、そういうのはほんらい時間を掛けてやっていくものなんだなとつくづく思った次第である。

といいつつ、自分だって何にも変わっちゃいないじゃないか、せいぜい皺が増えて腹が出たぐらいだ(やな変化だ)。腹が出たといえば、いやはや、健康重視の時代である。そのためか、久し振りに食べる名物“焼きそば”は、時代に合わせて野菜重視になっている気がした。

グリーンボーイ・アッパータイム

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