アヲイ報◆愚痴とか落語とか小説とか。

創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

商才、ありますか?

才ということにかけて、私は何にも知らない。解っていない。言葉の意味するところの輪郭すら分からない。「天才」みたいに生まれもって備わるものなのか。潜在能力のように、あとで水や肥料をやれば一定まで伸びるものなのか。それとも、ビジネス書などで言われている「チャンスを掴む」「機にして敏」みたいな特殊な感覚・能力なのか。しかしそうなると運みたいな感じもするが。

アラ40(最近そんな話ばかりしてるな)ともなり、同世代の生き様を比較すると、多種多様に分かれ、暮らし向きに差が生じている。多くの人が月給取りである。企業の規模にもよるけど、係長だとか課長だとか役付きになり、そこそこの銭をもらっている。その一方で、私みたく、暗闇のドブに手を突っこんで金物でも浚っているような、一向にうだつの上がらない個人事業に喘いでいる奴もいれば、起業後さっそうと成功し法人化・上場しちゃう人もいる。過日、とある友人の新築事務所開きに招かれたのだけど、同じくらいの年で、家とは別に箱モノを建てるというのは、これは並々ならんことだと思う。立派な成功者だよ(いまのとこ)。

同じ起業でも「暗闇ドブさらい」と「新築事務所」じゃ雲泥の差だ。何だろうね、この差は。ここらに「商才」が関わってくるんじゃなかろうか。すくなくとも、ハコを建てるくらいの人は、暗闇ドブさらいよりは商才があるんだろう。じゃその商才ちゅうのは何なのか。皆目見当がつかない。経営学とか金融学とも違うんだろうね。

 

とつ思うのは、お金に対する興味関心、これの強い人は、やっぱりある一定レベルの成功に登りつめていると思う。モロに「金」じゃなくても、やれ車が欲しいだの、旅行がしたいだの、家を建てたいだの……。欲求が原動力と言っちゃうと、非常に底の浅いオハナシになるが、まあ実際そんなもんだろうなあ、と思う。欲しいものを得るために、てっとりばやく・たくさん金を手に入れるには、どうしたらいいか。そんな手練手管を考えまくった結果、その人の中に何かが蓄積されていき、その蓄積が堆積し結晶化したのが商才というものになるのではないでしょうか。知らんけど。

そう考えると、私、たしかに商才は欲しいけど、それ以前に金とか欲しい物が無いというのは、矛盾しているのかもしれない。だって、欲しい物が無いのだから、金も要らんし、そうなると商才も事業的な成功も要らんはずである。私の中では何一つ、蓄積も堆積も結晶化もしない。嗚呼、そんな人生。

移民対AI?日本残飯株式会社

移民対AI?日本残飯株式会社

 

 

WEBと若さと、もうおしまいの話。

がらくWEB制作も自分の業務の一つに組み入れていたが、今年いっぱいで廃止することにした。本業務じゃないし、だいたい客もついていない。前職の広告屋からお願いされて作っているという程度。客は実質その1軒で、売上構成比も極めて低い。

広告屋を辞める時に、ノウハウごと引き渡したつもりだったが、どうやらうまくいかなかったらしい。その会社では映像部門がWEBを兼務。引き継いだ奴は映像一辺倒で、ほかのことまで手が回らなくなったようである。まあ、解らんでも無い。映像とWEBをまるっと一人でやれっちゅうのが土台無理。

そんなわけだから、こっちとしても、甘い引き継ぎで辞めてしまって悪い気がしていたので、ヘルプを乞われたらいささか贖罪の気持ちで引き受けていた。

ところが近年、その会社が体制を変えるにあたり、実制作を減らして外注態勢に移行するという。ちゅうことは、私が罪滅ぼしの気持ちで手伝う理由は無くなる。

「今年いっぱいにすっか」

下請けになる気はないしね。けれども、後輩にいじらしく拝まれたら断れないなあと思っていた。

けれども決意の時が来た。

今年の春先からこのかた、めんどくさい通販がらみのWEB案件をずっといじっていた。これも贖罪業務の一貫である。まさに有終の美(?)をかざるかのような難解さ、めんどくささ。判らんことだらけ。ほぼほぼお手上げ。

「これ、ぼくもうムリだな」

ズバリ現実をつきつけられた。技術だけでなく、体力や精神力の問題もある。徹夜もできず、興味も湧かず。いろんな意味で自分がダメんなっていた。お金をもらえるほどの仕事ができなくなったと、自分ではっきり察した。

そんで、この案件を最後にWEBの廃業を決意した。

 

林があまりにもできない奴なので、前の会社の若い人(後輩・30歳・その案件の担当者)が、みようみまね&ネットを駆使し、WEBを独学しはじめた。いやはや、責任感かのびしろか、ズブの素人だったのが数日単位でぐいぐいできるようになっていく。10くらい若い人なのだが、若いうちの吸収は実にはやいなと感心した。

おもえば私がWEBを初めて学んだのは27くらいだった。最初はやや圧が掛かったやり方で頭に叩き込み、あとは実地経験。おかげで、とりあえず十数年WEBで喰えた。

何か新しいことを学び、それを活かして生きていこうと思ったら、やっぱり30歳くらいまでにある程度収めておく必要があると思う。もちろん、何かに挑戦することに時間の制限は無い。でも、一定の成功を収めようと思ったら、はやいうちじゃないと。世の成功者の伝記をみると、みな着手が早く、基礎を若年でおさえている。上岡龍太郎が以前「男26歳原点説」と言っていたが、そういうのは確かにあると思う。30では遅いかもしれないが、ま、ギリギリ他人様にお見せできるくらいの技芸を収められるのではないか。

その後輩が今WEBをひいひい言いながらやっているのが、彼女にとって技芸取得のぎりぎりセーフになればいいと思う。そしたら私も心残りなくWEBを廃業できる。そしてようやく、前の会社を完全に卒業することができるというものだ。

と言いつつ、いつまでも夢見るのを肯定するオハナシを一席。

ブレイブガールスープレックス

ブレイブガールスープレックス

 

 

敢えて分かりづらく記す昨晩の首尾

一対一の合コンというか、お見合いというか、よく知る人の紹介で食事会と相成った。高級料理店である。前情報によると、年齢は同じくらいということで、これは傍目におじさんおばさんの食事会みたいになるのかしらんと思っていたが、会ってみると意外と若く見える方で、さらに眉目秀麗というか、痩身痩躯というか、実にその、現代的美意識に適うお方であり、驚いたのだった。しゃべればはきはきとし、うけこたえも卒なく、一を聞いて十を知り、察するに敏なり。おまけに社会的地位の高いお仕事に就いておられる。いやこれは、どう考えても私には過ぎたるものでしょうと、そりゃ思ったわけです。しかしこうなると、古典落語ファンの私としては「たらちね」とか「ろくろ首」とか  後者は題を挙げるだけでネガティブ臭むんむんだけど  まあ、そういうことを思ってしまう。けどそれって普通によくある常識的態度、危険予測能力でしょう。誰だってそう思うと思いますよ。で、いざ食事がはじまり、互いを具さに観察しあうのですが、けれどもこれはなんなんでしょうね。アラ40の交歓会には、大別して二つあると思います。「年も年だし言わなくても判るよね」とぐいぐい押し出すタイプと、カマボコが何で出来ているか本当に分からない(分からないまま来てしまった)タイプと。前者は大概ただの飲み会になって終わるんですが(つまり本意を成し得ずとも楽しい会合になるには違いないのですが)、後者は手応えが無いというか。そこに奥ゆかしさ、慎重さ、勤勉さなどの意味を付加しなければ、息苦しい席になることは請け合いなのです。ま、その晩は、そこまで極端では無かったけど、前者対後者の比率は3対7といったところで、酸素濃度は中盤くらいはホント低めでしたね。んで、しゃぶしゃぶは美味しく、その日はそれでさよならとなり、まあ、夜風はひんやりとしていたのです。数分後、紹介してくださった先輩(同性)が云うには「是上首尾也」ということでした。あの人はああいう人なんだ、心が態度にでない人だから……てぇことはキミ、案外ね、と。芝居がかってそう言われても、素直に「そいつぁいいや」とはなれない。だって、心が態度に出ない人と一緒にいるのは、なかなかなもんですよ。ほんと、私には分からないですよ。分からなかった。しかし、あれですね、この晩を振り返ってみると、アラ40で婚活をすること自体が、なにか現代という時代の定番的なワンシーンを体験しているようで、まるで私が現代人であることを裏付けてくれているようだなあ、と。そんなことを考えさせられた晩でした。そうそう、この日、お見合いの始まる前、予約のお店に向かって大通りを歩いていたら、はじめてみたんですよ。「バニラバニラ高収入」。前からいたのかもしれないけど、私が郷土でみたのははじめて。何か不穏な空気を感じたものです。

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