百貨店の最上階、余所行きを着てレストランでお食事…なんて話にノスタルジーを感じるのは、これはもう結構な年頃なはずである。小さい頃の思い出というのは固いもんで、なかなか抜けきらない。かくいう私もよく親に連れられて行ったものだ。
しかし、子供ながらにいつも思っていた なんてガサツでキタネエところだ、と。殊に我が郷土の某百貨店は、いまでこそファミレスなどがあるので多少の競争観念が働いているようだけど、当時は「メシなんか出しゃあいい」みたいな感じで、そりゃあ殿様商売であった。プライドみたいなものがあったんだろう。なんたって県下随一の百貨店のレストランだもの。コックも給仕も堂々としていた。レストラン自体、あんまりない時代だったから、そりゃあ花形だろう。
それから数十年の時を経て、今日、久し振りにその食堂に行ってみた。私のツイッターをご覧になった方は、それがどこで、小林が何を食したかお分かりになるだろう。ま、それは置いといて、事実、私は唖然としましたよ。フロアの見違えるような美しさ。広いダイニングに落ち着いたブラウンのテーブル。モダンな柱壁の拵えに、なにかこう大正時代の雰囲気を感じた。さすがこのへんの捉えどころは百貨店である。むかしはそんなんじゃなかった。鉄パイプの露出したペコペコの椅子、くすんだテーブルクロス。野暮な馬鹿デカい急須からは、安っぽい玄米茶がこぼれたものだ(あれはあれで好きな味だったが)。それがもう、お城だよ。
しかし、一つ変わらないのは、店員さんの佇まいである。ファミリー居酒屋じゃあるまいし、ドデカイ声で「おひとりさんごあんなーい」。セリフは全て体言止め。丁寧語を知らないのか使いたくないのか。席に通された後、メニューを決めて座っていると、ニッポンのおっかさんみたいな人が黙って横にぬっと立った。「あの、これを」私がおずおずとメニューを指差すと「はい、やきそば」と言って踵を返した。「やきそばですね」も「繰り返します」も「お待ちくださいませ」もない。うそーと思ってその人のことをずっと目で追っていたが、他の席でも同じような接客だった。ははあ、あの人だけああなんだろう そう思って他のスタッフを見たが、ほぼ同様。かのニッポンのおっかさんは、どう見てもベテランみたいだったから、他の若い人にもやり方が伝播したのだろう。そんなに忙しい時間帯でも無かったので、何か残念である。
見た目なんてのは、金をかければいくらでも変えられる。かの食堂は、数年前に巨費を投じてリニューアルした。当地の新聞に出ていたのを見た記憶がある。たしか一面だった。それだけ県民の関心の高い出来事だったのだ。だけど、そこに居る人や文化、いうなれば企業風土はそうそう変えられるものではない。変革だ改革だと考えることは大事だが、そういうのはほんらい時間を掛けてやっていくものなんだなとつくづく思った次第である。
といいつつ、自分だって何にも変わっちゃいないじゃないか、せいぜい皺が増えて腹が出たぐらいだ(やな変化だ)。腹が出たといえば、いやはや、健康重視の時代である。そのためか、久し振りに食べる名物“焼きそば”は、時代に合わせて野菜重視になっている気がした。