アヲイ報◆愚痴とか落語とか小説とか。

創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

無責任落語録(29)「桜鯛」

にかく落語が好きで、ひんぱんに聞いたり読んだり、記事を捏ね上げたりしていると、たまにこんな風なことを言われる。

ねえ、落語演ってよ。

いくら好きでもできねえよw

あるいは合コンなど人の集まる席で誰かが私を紹介する際

こちらアヲイさん、落語家で~す。

おいおいw違うぞ違うから。

知り合い同士なら「落語好き=落語の話ばかりする=落語家」みたいな冗談めかした言い方は通用するだろう。けど、合コンなど初対面の席で言われると、相手は信じかねないではないか。最近、落語はなぜだかブームだし、同じ年齢の咄家もたくさんいる(もっとも、そうやって私を陥れようという知り合いの戦略かもしれないが)。

 

語なんて、ホントできるものではない
私はいつもこのブログで、語り継がれる大ネタや大名人たちの文句ばかり言っているが、プロの噺家さんはやっぱりスゴイと思う。尊敬する。
噺を覚える記憶力、人前で芸をする度胸。息や仕方の創意工夫  芸道は複雑な一本道である。とても真似などできない。

ごくたまに、宴会芸的に落語をやるオッサンがいる。会社の忘年会などで披露しているのだ。見ていると「へえー」「ほおー」という感じがして、周りは

なるほど、覚えりゃ誰でもできるのか。

と勘違いしがちだ。

だが! 私としては、落語研究を重ねれば重ねるほど、落語というものがいかに難しい物か分かってきて、知れば知るほど出来やしない。宴会芸のオッサンは、その難しさを知らないから、無邪気にやれるのである(ウケは別として)。

なぜ私がこれほどまでに「真似できねェ」を強調するのか。
その理由は  ごく単純。

覚えようと思って、練習したことがあるのである。
全然できない。超むずかしい。

別に本職のように大ネタをガンガンやれるようになりたいと考えたわけじゃない。前述のように、「何か演ってよ」と言われた時、全然応えないよりは、ちょっとした小噺でもできた方が、相手はせっかく気を遣って言ってくれてるのかもしれないから、いいと思ったのだ。

ま、あくまで小噺。軽く「演ってよ」と言って、いきなり文七元結なんか演られても相手は困るだろうし、こっちだって出来やしない。

 

噺はいろいろある。
古典では「頭山」が有名だ。

頭山志ん生):
ケチな人がサクランボの種を捨てるのがもったいなくて飲み込んだら頭から桜の木が生えてきた。あまりに見事に咲いたので、人々がケチの頭に群がって花見をしはじめる。ケチはうるさくてたまらないから頭の桜を引き抜いた。すると後に出来た穴に水がたまり、きれいな池に。舟遊びやら花火やら、また人が群がる。ケチはイライラしてその池に飛び込み自殺した。

この噺はショートフィルム化されて外国の賞をもらってた気がする。シュールで面白いのだが、誰にでも受けそうでは無いし、クスって感じじゃない。

桝落とし志ん生):
 昔は桝で罠を作ってネズミを捕った。
 ネズミがきたら桝がパカッと落ちて捕まえる。
「おう! いま桝でネズミを獲ったぞ。大きいぞ!」
「桝の端から尻尾が出てら。大きくねえよ。小せえ」
「大きいやい!」
「小せえ!」
「大きい!」
「小せえ!」
 すると桝の中からネズミが
「チュー」

志ん生師匠の小噺は、独特のゆるい口調「へぇ~……てぇのは、……ですから、へぇ~とォ~……」これだから面白い。天衣無縫の至芸、真似は無理。

かたや「江戸の鰹」黒門町の小噺は

ことしゃみせん文楽):
 田舎過ぎて鏡というものを知らない郷の男連中が浅草見物。鏡屋の看板「かゝみや」を見て
「かかみや?」
「嬶(かか)ァ見せる店か?」
 店を覗くと綺麗な看板娘。
「えれえきれいな嬶ァだな…村のモンに教えっぺ」
 一行は存分に鼻の下を伸ばして帰郷。仲間に言う。翌年仲間らが浅草見物へ。
「嬶ァ見せる店があるって聞いてたが」
 ところが、この一年の間に鏡屋は無くなり、後は三味線と琴の店になっていた。
「ここらと聞いたが、かゝみやなんてないぞ?」
「おい、今年はやってないみたいだ」
「どうしてだ?」
「看板を見ろ。『ことしゃみせん』としてある」

ま、ダジャレで面白いんだけど、なんかねえ。田舎言葉とか、男の業というか。素材があんまりきれいじゃない。
桂文楽は小噺まで楷書の芸だ。こんなのもある。

コイが高い文楽):
 泥棒の大将が子分らを引き連れ、今夜の標的、料理屋の前に辿り着く。
「こんな店、俺一人で十分だ。おめえらは待ってろ」
 大将、料理人の寝床に侵入し、だんびらを喉につけ
「おきろ、百両をよこせ」
 料理人はびっくりしたが、命は大事と百両渡す。
「素直なやつ。ところで俺は腹が減った。お前料理人だろ。何か食わせろ」
「時化で魚がありません。できるのは鯉の刺身と鯉コクでございます」
「いいぞ」
「しかし大将。あなたは人から物を盗るのが商売。私共は料理を提供するのが商売。商ったものには対価を頂戴します」
「おう。払ってやるぞ」
 料理人、料理をこさえる。大将、あっという間にたいらげ
「美味かったぞ。いくらだ」
「百両でございます」
「なに? 高いな。しかし……約束だ。ほれ」
 大将、獲ったばかりの百両を払い、やれやれと表に出る。待ち受けていた子分らが勢い込んで尋ねる。
「大将、中の首尾は?」
「シーッ。……コイが高い」

江戸訛りだと「こえ」が「こい」になる。すなわち、「声」と「鯉」が掛かっている。面白いんだけど、訛りに理解が無いとなんのこっちゃか。それにしても文楽は駄洒落小噺が多いなあ。

「こえ・こい」については、自分でも小噺をこさえたことがある。

コイに落ちる(アヲイ作):
田んぼのあぜ道を歩くのは、年頃の高校生カップル。
男子生徒と女子高生。触れ合う指と、指の先。
その時、一陣のつむじ風が吹き  
こうして二人はコイに落ちた。

これはつまり「恋」と「肥え」が掛かっている。田んぼ脇の肥え溜めに落っこちたってことさ。いわゆるクサい仲。御粗末。

談志師匠はまるでコレクションしているかのようにたくさんの小噺を持っている。まくらとして使う感じじゃない。
「ええ、小噺を少々……」
いつもこんな感じで唐突に入る。洋の東西を問わず、かなりのラインナップだ。心底小噺を愛しているのが分かる。

 ご婦人が犬を連れて散歩している。男が見て
「おや珍しい、ブタを連れてお散歩ですか?」
「何言ってるんです? これは犬ですよ?」
「今私は犬に話しかけたつもりだったんですがね」

「そっちかよ!?」一人語りゆえに効く噺。類似したのに伯爵夫人の噺もある。

次は私の大好きな談志小噺。

「車掌さん、次の駅はトイレがありますか?」
「あります」
「お弁当は売ってますか?」
「売ってます」
「お茶は?」
「あります」
「週刊誌は?」
「あります」
「何分停車ですか?」
「通過です」

うーん。書いたって面白くないな。耳で聞いた時の最後のストンと落ちる感じはすごくいい。リズムが大事。

 

後に「桜鯛」をご紹介しよう。
なぜ最後にもってきたかというと、この噺こそ、私が覚えようと思って練習したネタだからだ。

桜鯛圓生):
 昔、大名の食事には必ず鯛がついた。殿様は飽きていて、いつも片面に一箸付けたらおしまいだ。
 ある春の日の昼食。殿様は城の庭の眺めながら食べている。そばにはご家老がついている。
「これ、今日の鯛はよいな。かわりをもて」
 びっくりしたのはご家老。いつも食べないから代わりなど用意が無い。一計案じ、
「殿、庭の桜が見事でございます」
「なに?」
 殿様が庭の桜に目を遣った隙に、鯛の表裏をひっくり返した。
「殿、ご所望の鯛でございます」
「おお、早かったな」
 よろこんで食べる殿様。やがて
「うまかった。もうひとつ代わりを持て」
 さあ困ったご家老。もうひっくり返せない。ウーンと悩んでいると、殿様
「もう一度桜を見ようか?」

家老の機転、展開の緊迫感、最後の殿様の粋なセリフ。この三つが混然一体となっていて、小噺の割に実に豊かである。

いわゆる大名小噺というのは、このほかにもいろいろあって、そのほとんどが「目黒のさんま」「盃の殿様」「妾馬」「蕎麦の殿様」など、大名ネタのまくらに来ることが多い。基本は殿様や家老が面食らう噺で、本ネタ前に観客に大名世界の予備知識*1を与える役割を担っている。だからそもそも大名小噺そのものを単独で成立させるのは難しく、私はスッパリ諦めた

 

そもそもどうして私がこの噺にフォーカスしたか。

それは、六代目三遊亭圓生の最後の高座に由来する。習志野での催し。体調不良のため小噺で降りることをお客様に事前に断っての一席だった。その時のネタが桜鯛だ。

安直な私はこの話を聞いてこう思った。

桜鯛は、一席分もつ小噺なのかぁ  

まったくもって、素人の浅はかさである。

ちなみに、この噺は何度口先で練習しても、しゃべれた感じがしなかった。セリフは覚えられても、身につかない感じ。やはりちゃんと師匠につかなきゃだめですね。


っとこの記事を本職や研究家の人が見たら、「あったりまえだ、べらぼうめ」とお怒りになるかもしれない。「出来るもんか」「出来たと思ったところで、悪い癖だらけで聞けたもんじゃないぞ」なんて言われたら、ごもっともだ。

けれども、下手なりにチャレンジしたことは、かなり勉強になった。三遊・柳・桂での微妙な芸風の違い、登場人物の描き分け、酒飲みの酔い加減の段階的な仕方……おおっと、これじゃ桜鯛以外にもいろいろ練習してたことがバレそうだ。

とにかく、聴いているだけでは分からない難しさが次から次へと体感できた。耳専門の人も、ものは試しで体験されることをお勧めする。もうね、驚いちゃうから。

落語家はかくも複雑なことを一人でやっているのだと思うと、感嘆極まる。私が拙い練習で演っていると、噺を進めるうちにだんだん余裕がなくなってきて、いつもいわゆる熱演というか、気負いまくった状態になってしまった。これを超えるには、やはり人前に出て芸をさらけ、場数を踏まないといけないんだろうなあ。

落語はたかが落語なんてもんじゃない。
まさに、ですよ。

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学園コメディ無責任姉妹 1: 漆田琴香、煩悶ス。

学園コメディ無責任姉妹 1: 漆田琴香、煩悶ス。

*1:昔は時代劇やら講談・浪曲が盛んで、誰もが大名の暮らしぶりに一定の共通知を持っていた。当今にはそれがない。

温泉記。その1<殿様湯>

最近通い始めた、とある道の駅の温泉。
住まいから車で一時間くらいのとこ。
週一程度の楽しみになっている。

行くのは平日の午前中。むろん人はほとんどいない。
いてもせいぜい5人くらい。
広い湯殿、きれいな施設。

ゆうべのお酒を抜くために、一時間かけて行ったらば、入口に大きな張り紙が。9/30まで工事で休業だと。長丁場過ぎる

「すいませんねぇ」

張り紙の横で、暇そうにしている受付のおばちゃんが言う。

前述のように、ここは道の駅の中にある温泉。温泉施設の他、食堂や物産の販売所もある。いわば三セクみたいなもの。


入浴するつもりで出てきているので、身体は寝汗かきっぱなしの清潔では無い状態。
こうなりゃ是が非にも湯船に浸かりたい。

車でさらに一時間。
進路を南に取り「殿様湯」なる温泉を訪れた。

ネットでたまたま見つけたので、もちろん初訪問である。
見る限りいかにも山村の温泉。
鄙びて、古びて、風情があるねえ。
板場の脱衣場。窓の外によしず。光と陰が閑散としている。
脱衣籠を見る限り…先客は一人のようだ。
古ぼけた湯殿を覗き見れば、痩せ細ったおじいちゃんが、床に寝そべって身体を干していた。

正直、最初は「人が倒れてるッ!」と思って息を飲んだ。
が、動いたのでホッとした。

 

すこし会話した。

「病気して、骸骨みたいに痩せちゃった」
「お湯に浸かれるまで回復したんですね」
「入退院繰り返して…三回死んだなあ」
「なんの。三回蘇ったんでしょう」

苦笑いでは無い、洒落た笑顔というか。

いい人だった。

 

 

無責任落語録(28)「三代古今亭志ん朝」

年ウン歳になる。

……まあ、何歳でもいいでしょう。

ついては区切りの年だというんで、同窓会のご案内をたくさんいただく。知らない間に中学校の同窓生のライングループに混ぜられて、しょっちゅう何らかのメッセージが飛んでくる。着信音がまことやかましい。あんまり絡みたくない私は未読スルーだ。

そうはいっても、たまに懐かしい友達の名前を見つけると「おお」と思ったりする。女子は名字がかわって分からない  そんな中、一人の女子のメッセージが印象深かった。その人は名字が変わっていなかったので、すぐ思い出せた。ラインの流れを見ていると、いかにも特徴的・傾向的だった。

「明日東京でーす。会える人いない?」
「〇〇君ありがと。会お!楽しみ」
「友達も連れて来たりしない?」
「来週帰郷します。××子久々に女子会しよ」
「友だち連れてきます。××も友ありOKで」
「え~連れてきてよ。一人でもいいから」
「話するだけだよ」
「えー。〇〇君も知ってるよ」
「怪しくないって。ウチもしてるし」
「大丈夫だってば」
「再来週大阪でーす。同郷いる?」

あああ推して知るべし、だ。きっとア〇ウェイみたいな何かに決まってる。
同窓生たちよ、頼むから印鑑なんか持っていくんじゃないぞ。

この女子のことは、よく覚えている。成績優秀。常に上位五人に入っていた。色白でソコソコ可愛らしく、控えめで、休み時間はいつも読書をしている。口数が少なく、友だちは女子だけほんの数人。男子とは接点も無かったんじゃなかろうか。とにかく、クラスに限らず学年全体で寡黙で可憐な優等生で通っていた。

何が彼女をこうも変えたのか  

卒業後の人生がどんなだったのか知らないので、そんなこと分かりゃしない。でも、源流はやはり育った環境に求められると思う。そして大筋は定石通りの変化をたどるものだ。

そう、地味な優等生は、たいがいロクな大人にならない

これは私が勝手に定めた人間の法則シリーズの「『感謝々々』とのべつ言ってる奴に大したヤツはいない」に並ぶ大原理である。


等生には優等生の孤独がある。性格が真面目で控えめならなおさらだ。私の中で古今亭志ん朝はまさにそのイメージの噺家である。

親父が大名人の聞こえ高い五代古今亭志ん生。二世のプレッシャーたるや、相当なものだっただろう。しかも親父は他人に真似できない天衣無縫の芸風。同じ事をやっても絶対勝てない。

そこで身に刻みこんだ落語は、三代金馬の歯切れの良さ、八代文楽の明るさ、六代圓生のクサさ(良い意味)...追及しうる限りの落語を徹底的に修めていった結果、志ん朝の落語は、他のあらゆる名人のエッセンスが詰め込まれ、いかにも贅沢で豪華絢爛な芸風となった。

わずか五年で真打昇進。36人抜きという大抜擢である。五代談志、五代圓楽、五代柳朝(のちに円蔵)と共に「落語四天王」と並び評された。芸はどう見ても志ん朝が図抜けて上手かった。しばしば「最後の名人」と称される。彼の没後、肩を並べたと言えるほどの噺家は出ていないのは確かのような気がする。


かし…
志ん朝以外の四天王は、何かと印象が強い。早世した柳朝はさておき、

志ん朝にはこういったものがない。

談志も圓楽も芸では志ん朝には敵わなかったと思う。けれどもこの二人はそれぞれの立場から落語について背負うものがあったので、それがおのずと芸に厚みを持たせ、スケールの大きい落語になった。

だが真面目な優等生、古今亭志ん朝  ああ、何と言えばいいのか  光が当たりきらなかった。落語協会分裂あたりからミソが付いた気がする。え? 住吉踊り? ウーン…。

晩年は、芸についても不安を感じさせた。病気をして徐々に体力がなくなっていく。それでも志ん朝は、ポーズに挟む「ェエッ?」「ォオウ?」を若い時と同じように使い、昔と変わらぬテンションで演っていた。

この芸風、年を取っても同じようにできるのか…?

談志は志ん朝の死後、インタビューでそのことに触れ、「いい時期に死んだ」とさえ言った。死んですぐそれを言っちゃうのが談志の談志たるところだが、全くその通りだと思ったものだ。

世情に掉さす芸人として、伝統芸を担う落語家として  
志ん朝は真面目な優等生ゆえに、どこか慎重で融通が利かず*1、思ったほど拡がりきらなかった。むろん、芸道三昧が本望なら、本人は最高の人生だったかもしれない。しかしオーディエンスとしては、もっと幅広いものが観たかった。戦後馬鹿売れした圓歌と三平は、トコトン芸人だった。かたや志ん朝は職人芸だった。

ろいろな名人上手のエッセンスを取り入れただけに、志ん朝の持ちネタは多い。思いつくものをざっと紐解くと

二番煎じ/黄金餅/火焔太鼓/寝床/搗屋幸兵衛/そば清/付き馬/大工調べ...


明烏船徳愛宕山/鰻の幇間...


居残り佐平次/小言幸兵衛/百年目/百川...

分かる人には分かるだろう。上は親父譲りの古今亭の芸。中段が黒門町、下段が柏木だ。

珠玉は「二番煎じ」。「火焔太鼓」もいい。この他にも名人伝「宋珉の滝」「抜け雀」「浜野矩隨」など、聴かせる噺もいい。おそらく声が、長く聴いていて耳に心地よいからだと思う。しかし、「ちきり伊勢屋」「文七元結」など一部の長講物は、六代圓生、八代正蔵と聞き比べるとやや聴き劣る。ちなみに文七元結については、談志が非常に良い。

志ん朝師匠の芸を聴いていると、パリッとした感じが心地よく、落語を聴く喜びを教えてくれます。ちょっと今回は批判的な論になっちゃったけど、やはり私は、志ん朝落語が大好きです。

同窓会は、こわいから止しとくことにします。

学園コメディ無責任姉妹 1・2巻コンプ版

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*1:だいたい、死ぬまで鰻断ちするなんてエピソードも、生真面目の極地をよくあらわしている。豪邸を建てたり外車を乗り回すなんてのも、真面目な人間の典型的な反動パターン。いわゆる「〇〇デビュー」的なものではなかろうか。

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