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創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

無責任落語録(32)「うどん屋」

も暮れかかるとスピードが速い。ま、実際は毎日同じように一日24時間で回っているんだが、なんというか、いろいろなことがあるからせわしなく感じるんでしょうな。

いろんなこと・いつもと違うことと言えば、こんなことがあった。【電子書籍堂オトギノクラフト】様に私の記事を掲載していただいたのだ。

ありがたいことです^^あんまり寄稿という体験をしたことがないので緊張しました。

「できるだけ気楽な読み物記事を」と思って書いたのだが、あとから他の先生方の寄稿文を拝読したら、みなさん意識の高いことゝゝ。「もっと格調高く書けばよかったか」と思いもしたが、すぐに「私にゃ無理」と。精一杯書いたし、そもそも私に意識や格調の高い文章なんて書けやしないのである。

なお【オトギノクラフト】のホストである御伽野様も、キンドル作家である。童話をリリースしておられる。

魔女物語リンカマール(1)

魔女物語リンカマール(1)


さて。

近、人生で初めてバリウムを飲んだ。お酒は二十歳になってからだが、そのおよそ倍ぐらいの年端で飲んだわけである。いやはや、想像をはるかに超える飲み物でした。バリウムなんて、ドリフのコントで「牛乳っぽい/不味い/ゲップしちゃだめ」くらいしか予備知識がなかった。

あんなに比重があるとは!
あんなに排せないとは!

そもそもあれは重晶石という金属らしい。飲んで半日頭痛がしたけど、内臓が微妙に金属アレルギーだったのかもしれない。まあ、正直あんまり飲みたくない代物だ。

今時分に健診を受けたのは、まだいくから温かい時期だからだ。真冬の寒い時期に受けたら内臓もあんまり良い状態じゃないだろうし、逆に酷暑の折りに受けるのも、バテてるかもしれない。春か秋か……じゃあ今、秋のうちに受けよう、となったわけだ。

けれども、11月は暦の上ではもう冬なのです。

 

の情景、寒さの描写  実は落語にはこれが多い。江戸時代の庶民生活を語る上で、貧乏と寒さは前提要素かもしれない。

冬の落語の中でとりわけて寒さを感じさせるネタは「うどん屋」を置いて他にない。主人公は、町に店舗を構えるうどん屋では無く、屋台を担ぐうどん屋だ。夜、寒風吹き荒ぶ路地裏を、細長く「ぬぁーべやーきー、ぅどぅん……」と流す声が聞こえてくる。もうそれだけで肌を切りそうな寒さが思い浮かぶ。そこで供される温かなうどん。噺家の啜る音と仕型が、味と温もりを伝えてくる。寒くないのに寒さを感じさせた上に、うどんの温みまで醸す。そこが芸どころの噺である。

うどん屋は二部構成である。

  • 前半:ごきげんな酔っ払いが「水を飲ませろ」とやってくる。「仕立て屋の太兵衛って知ってるか?」のくだりを繰り返す。散々絡んだ挙句「俺はうどんは嫌いだ」。
  • 後半:仕切り直して通りを流す。呼び止められて期待して行くが、「子供が寝たところなんで、静かにしてよ」。サゲは「うどん屋さん、あんたも風邪を引いたのかい?」

ラストはうどん屋がある家から掠れた声で呼ばれ、大口の注文を期待するシーン。噺家はうどんを作る仕草・喰う仕草をたっぷり演り、最後に「風邪ですか?」のセリフで落とす。大口発注を期待していたうどん屋がガクッとくるという、その落差が笑わせどころなのだろうけど、なかなかうまくいっているケースにお目に掛かれない。作ったり喰ったりの仕草があんまり長いと、聴衆は「掠れた声で呼ばれたこと」も「うどん屋が期待していること」も忘れてしまうし、あんまり巧く演りすぎても、感心のあまり忘れてしまう。ちょうどいい長さを、適度な仕草で演る必要があるんだろう……じゃ、どのくらいが良いのかと訊かれても分からないが。


どん屋の演者は多い。特に八代目三笑亭可楽は、その風貌や口調がぴったり合致して、まさに冬を、哀れなうどん屋を醸し出す。五代目小さん、十代目小三治師匠も素晴らしい。どうもあのボソボソした口調に秘訣があるらしい。

私は前半の、うどん屋と酔っ払いのやり取りが好きだ。何かこう、ところどころに真実味のある笑いが潜んでいる。以下、可楽の口演から引く。

「うどん屋、どうだい景気は」
「どうもいけませんな、不景気でして」
「人間並みのこと言うなよ。景気が良ければうどんなんて間抜けな物を喰うけぇ。もう少し気の利いたものを喰うぜ」
>デフレ下の考え方は時代を問わないようだ。真っ先にファストフードや牛丼屋のことを思い出す。

「♪金時が金時が、熊を踏まえてマサカリも、…この唄が気になるんだ」
「その踊り、よくウチの隣の娘さんが踊ってます」
「…いや、踊りの話じゃねえんだよ。唄が気に入らねえってんだよ」
>「…」で間合いを視覚化したが、この間合いが、噛み合わない二人を実にうまく表現している。

「こう見えたって俺は客だぜおい。客の前で向こうッ鉢巻をしやがって」
「どうも相すみません、これは気が付きませんでした。取りますから」
「おう、言われたって取ることはねえだろ、それがおまえ皮肉なんだよ」
「あっ、どうもすみません。それじゃいたします」
「おおう、一旦取ったのを、またするこたぁないじゃないか」
>拗れきった感じを程よく抑えるのが、可楽師匠ならではだと思う。

ちなみに、可楽はしばしば「暗い・地味」と評されるが、私はそうは思わない。コントラストが強く、リズムで翳が強調される噺家なんだと思う。でなければ「悋気の見本」なんて噺はできないだろう。

 

ころで、あるジャズマンが「うどん屋」から引いた可楽評で

「仕立て屋の太兵衛って知ってるかい」
「畳屋の喜兵衛さんって人なら知ってますが」

このやりとりが可楽の妙味だと言っていた。韻というか、何か音楽的な点が音楽家の琴線に触れるのだろう。音楽を皆目かじらぬ私にしてみれば「そお?」としか思えないが、省略・短縮の芸と言われる可楽がこの部分を「いや知りません」で片付けないところを考えると、ここに何か芸の秘密があるように思われる。

似たような芸評で三代目桂三木助の「へっつい幽霊」における談志の弁がある。「板塀越しの話で間違っていたら~」のカットの妙技である。*1

落語のネタは多様な解釈が可能で、その人の感性次第で一見何でもなさそうなところが新たな論点になりうる。そこから磨き上げられた演出方法が聴衆に受け入れられ商品価値となり、次代に口伝される。このようにして、いわゆる「古典落語」は、多くの噺家によって磨き上げられ、時代ごとに新しい笑いの秘蹟を示すのだろう  

...なぁんてね。

じ屋台の噺で「時そば」というのがある。これが上方では「時うどん」の題で演られている。おそらく上方がうどん文化圏だからそうしているのだろう。とすると、蕎麦文化の江戸では「うどん屋」は「蕎麦屋」の方が良いんじゃないかと思ってみたりもする。だが、登場するのがどこか運の無いうどん屋だけに、「うどん=野暮」として収まっているのかもしれない。

ええと、拙著【ブレイブガールスープレックス】は、初動景気が終わってまさに冬枯れの状態です。アカウント画面のグラフには2つのコブできました。発売一週間で1コブ目が萎え出し、満を持して無料期間を投入。終了後に2コブ目がはじまり、今それが下降しきって落ち着いたところです。「あーあ」と思っていたら、死に体だった【無責任姉妹】が盛り返してきたから、分からないものですな。

ブレイブガールスープレックス

ブレイブガールスープレックス

なんと、読んでくださった方から登場人物のイラストをいただきました! あんまりうれしいので出力して額装しましたとも。気持ちがヘコんだ時に見ると、ケアルやホイミの効果があります。感謝です^^

*1:詳細は立川談志対談集「人生、成り行き(新潮文庫)」。志の輔師匠が談志師匠にこの件について直接尋ねている。

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