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アヲイ報◆愚痴とか落語とか小説とか。

創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

遅読と自己嫌悪のためのアリア

章を書いている身でありながら、実はあまり読書をしていなかったり、非常に遅読だったりする。そのくせ意見を求められたりしたら「ああ、あれはああですよ」とか「これはああですからこうですな」なんて、勉強不足を棚に上げてホント恥知らずなんですよ。私は

もやっぱりどこか好きな世界であることに違いはないから、遅読は遅読なりに本を読むことにしている。
いわゆる有名な古典とか大著というのは、全然読まないではないけど、ページを開けばめんくらうばかりだし、周りの人もあんまり読んでいないものだから話題に出来ないので、避ける傾向にある。それに、実は背伸びして読んでいるのも自分で分かっている。だから「無理することはないじゃん」と割り切って、けっこう最近のも読んだりするようにしている。かといって書店をうろつくのは面倒だ。私は極端に出不精なのである。
そこで最近はいわゆる個人作家というのか、キンドルに出ているインディーズ的な作品を読んでいることが多い。家にいてダウンロードするだけだから、楽なので。安いし。

どれも……おもしろいなあと思う。

丸い作品、四角い作品、三角の作品、色んな形がある。中には「おいおい」というのもあるが、これはスゴイというのもある。

はり紙の本は、出版社のフィルタというか、ある程度利益が出る水準までブラッシュアップされるのでしょう。だから、既製品的というか、一つのカタの中にある。カタってのは、何と言っていいのか……良識とか、商品価値。つまりそれにより、紙の本は市場価値的に均整がとれているわけです。

こにきてインディーズ的な電子書籍の本は、買う側にとってみれば、お金にもそれを読む時間にも賭け的な部分があるけど、出版社的な価値観を経ていないから、普通売っていないような本が多くて面白い。先日私はとりわけ面白い&上手い作品にあたってしまい、自分のが情けなくて取り下げたくなるほど自己嫌悪に苛まれた。こんなに豊かな世界が広がっているなんて、正直知りませんでしたよ、ホントに。

そこで、思うのです。
そんな面白い電子の本が、仮に出版社の目に止まったとする。書いた側は喜ぶでしょうな。「おいらの作品が紙の本になって書店に並ぶ!」なんて。それでワリの悪い印税でもホイホイ了解し、ほとんど権利譲渡に近い約束でパブっちゃうんでしょう。
で、紙の本にするにあたり、出版社の意向から、ある種の普遍性を帯びさせるために手を入れられて……もしかしたら面白さを削いでしまう可能性も。

ちょっと「目黒のさんま」のことを言いたくなったけど、今日は落語回じゃないのでやめる。

野坂昭如氏が亡くなった。小さいころよくアニメ「火垂るの墓」を観たものだ。だいぶ大人になって小説で読んだ。ストーリーは同じかもしれない。でも全然違う。あの凄みのある文体には衝撃を受けた。何ていうんだろう。美術でいうと、鉈彫りというか、棟方志功というか……。小説を読む限り、あのストーリーはあの文体じゃなきゃ成り立たない、と思った。
アニメにするにあたり、あれは何処に消えたんだろう。
もしや、何かのフィルタがかかったのか。

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