アヲイ報◆愚痴とか落語とか小説とか。

創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

無責任落語録(28)「三代古今亭志ん朝」

年ウン歳になる。

……まあ、何歳でもいいでしょう。

ついては区切りの年だというんで、同窓会のご案内をたくさんいただく。知らない間に中学校の同窓生のライングループに混ぜられて、しょっちゅう何らかのメッセージが飛んでくる。着信音がまことやかましい。あんまり絡みたくない私は未読スルーだ。

そうはいっても、たまに懐かしい友達の名前を見つけると「おお」と思ったりする。女子は名字がかわって分からない  そんな中、一人の女子のメッセージが印象深かった。その人は名字が変わっていなかったので、すぐ思い出せた。ラインの流れを見ていると、いかにも特徴的・傾向的だった。

「明日東京でーす。会える人いない?」
「〇〇君ありがと。会お!楽しみ」
「友達も連れて来たりしない?」
「来週帰郷します。××子久々に女子会しよ」
「友だち連れてきます。××も友ありOKで」
「え~連れてきてよ。一人でもいいから」
「話するだけだよ」
「えー。〇〇君も知ってるよ」
「怪しくないって。ウチもしてるし」
「大丈夫だってば」
「再来週大阪でーす。同郷いる?」

あああ推して知るべし、だ。きっとア〇ウェイみたいな何かに決まってる。
同窓生たちよ、頼むから印鑑なんか持っていくんじゃないぞ。

この女子のことは、よく覚えている。成績優秀。常に上位五人に入っていた。色白でソコソコ可愛らしく、控えめで、休み時間はいつも読書をしている。口数が少なく、友だちは女子だけほんの数人。男子とは接点も無かったんじゃなかろうか。とにかく、クラスに限らず学年全体で寡黙で可憐な優等生で通っていた。

何が彼女をこうも変えたのか  

卒業後の人生がどんなだったのか知らないので、そんなこと分かりゃしない。でも、源流はやはり育った環境に求められると思う。そして大筋は定石通りの変化をたどるものだ。

そう、地味な優等生は、たいがいロクな大人にならない

これは私が勝手に定めた人間の法則シリーズの「『感謝々々』とのべつ言ってる奴に大したヤツはいない」に並ぶ大原理である。


等生には優等生の孤独がある。性格が真面目で控えめならなおさらだ。私の中で古今亭志ん朝はまさにそのイメージの噺家である。

親父が大名人の聞こえ高い五代古今亭志ん生。二世のプレッシャーたるや、相当なものだっただろう。しかも親父は他人に真似できない天衣無縫の芸風。同じ事をやっても絶対勝てない。

そこで身に刻みこんだ落語は、三代金馬の歯切れの良さ、八代文楽の明るさ、六代圓生のクサさ(良い意味)...追及しうる限りの落語を徹底的に修めていった結果、志ん朝の落語は、他のあらゆる名人のエッセンスが詰め込まれ、いかにも贅沢で豪華絢爛な芸風となった。

わずか五年で真打昇進。36人抜きという大抜擢である。五代談志、五代圓楽、五代柳朝(のちに円蔵)と共に「落語四天王」と並び評された。芸はどう見ても志ん朝が図抜けて上手かった。しばしば「最後の名人」と称される。彼の没後、肩を並べたと言えるほどの噺家は出ていないのは確かのような気がする。


かし…
志ん朝以外の四天王は、何かと印象が強い。早世した柳朝はさておき、

志ん朝にはこういったものがない。

談志も圓楽も芸では志ん朝には敵わなかったと思う。けれどもこの二人はそれぞれの立場から落語について背負うものがあったので、それがおのずと芸に厚みを持たせ、スケールの大きい落語になった。

だが真面目な優等生、古今亭志ん朝  ああ、何と言えばいいのか  光が当たりきらなかった。落語協会分裂あたりからミソが付いた気がする。え? 住吉踊り? ウーン…。

晩年は、芸についても不安を感じさせた。病気をして徐々に体力がなくなっていく。それでも志ん朝は、ポーズに挟む「ェエッ?」「ォオウ?」を若い時と同じように使い、昔と変わらぬテンションで演っていた。

この芸風、年を取っても同じようにできるのか…?

談志は志ん朝の死後、インタビューでそのことに触れ、「いい時期に死んだ」とさえ言った。死んですぐそれを言っちゃうのが談志の談志たるところだが、全くその通りだと思ったものだ。

世情に掉さす芸人として、伝統芸を担う落語家として  
志ん朝は真面目な優等生ゆえに、どこか慎重で融通が利かず*1、思ったほど拡がりきらなかった。むろん、芸道三昧が本望なら、本人は最高の人生だったかもしれない。しかしオーディエンスとしては、もっと幅広いものが観たかった。戦後馬鹿売れした圓歌と三平は、トコトン芸人だった。かたや志ん朝は職人芸だった。

ろいろな名人上手のエッセンスを取り入れただけに、志ん朝の持ちネタは多い。思いつくものをざっと紐解くと

二番煎じ/黄金餅/火焔太鼓/寝床/搗屋幸兵衛/そば清/付き馬/大工調べ...


明烏船徳愛宕山/鰻の幇間...


居残り佐平次/小言幸兵衛/百年目/百川...

分かる人には分かるだろう。上は親父譲りの古今亭の芸。中段が黒門町、下段が柏木だ。

珠玉は「二番煎じ」。「火焔太鼓」もいい。この他にも名人伝「宋珉の滝」「抜け雀」「浜野矩隨」など、聴かせる噺もいい。おそらく声が、長く聴いていて耳に心地よいからだと思う。しかし、「ちきり伊勢屋」「文七元結」など一部の長講物は、六代圓生、八代正蔵と聞き比べるとやや聴き劣る。ちなみに文七元結については、談志が非常に良い。

志ん朝師匠の芸を聴いていると、パリッとした感じが心地よく、落語を聴く喜びを教えてくれます。ちょっと今回は批判的な論になっちゃったけど、やはり私は、志ん朝落語が大好きです。

同窓会は、こわいから止しとくことにします。

学園コメディ無責任姉妹 1・2巻コンプ版

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*1:だいたい、死ぬまで鰻断ちするなんてエピソードも、生真面目の極地をよくあらわしている。豪邸を建てたり外車を乗り回すなんてのも、真面目な人間の典型的な反動パターン。いわゆる「〇〇デビュー」的なものではなかろうか。

無責任落語録(27)「芝浜」

になって、とにかく眠い、腹が減る。

腹が減ることについて、他の人に聞くと「俺も」「私も」とみな声を揃える。これはたぶん、人間の遺伝子の中に、かつて生命進化で袂を分かった冬眠動物のゲノムが残っていて、穴から出てすぐに栄養を補給しようとする働きが体内時計の春アラームで動きだし、ハングリーを呼び覚ますのだろう。

それはさておき、眠いのと腹減りなのと、あと仕事がドヒマなので、目下小説を書いている。今度のは、なんというか、その……よく分からん。書き上げてみないと。一人称の小説なのだが、実はあんまり一人称で書いたことがない。たぶん大学生の頃書いたっきりだ。以来、三人称でばかり書いているうちに「実は一人称ってヤバいくらいむずかしいんじゃね?」と思ってから、敬遠していた。人称についてはいろんな議論がある。神の視点だとか、肩越しの視点だとか、アリアだとか、内省だとか。まあ、とにかくグダグダッと書き上げて、後でしっかり直せばいっか……なんて、何でもかんでも未来の自分に押し付けている。

それにしても、仕事がヒマなのは実に深刻だ。完全に仕事が絶えたわけじゃないが、先々がいよいよ細まっている……。といっても、そんなことは昨日今日の話じゃない。だのに、ここ最近になって、なぜか急に心細く思うようになった。明日の貧を憂う切なさと、開き直って飲む酒のまずさ  なぜあれは、まずいのに病みつきになるのだろう。

 

しさと酒の噺といえば、「芝浜」である。
落語の人情噺の分類で、もっとも有名な噺だろう。最近は、年末に「芝浜会」みたいな落語会があるという。四、五人の噺家が参加して、みんな芝浜を演るんだとか。客も噺家もみんなそんなに芝浜が好きなのか?

私は正直言って、この噺がそんなに面白い噺だとは思わない。サゲはいい。これ以上ないというくらいの名サゲだ。だが中身については……もともと大圓朝の三題噺で、それから幾人かが手を加えて今日の形になったのだろうけれども、そんなに豊かな噺とも思えない。

記事をつくりにくいからザックリ筋を追うと  

酒浸りで仕事をしない魚屋の夫が、金の入った財布を拾う。その後いろいろあって、表通りに店を持てるまで成功する。ある年の大晦日。妻から「お金が下りてきた/酒を飲んでもいいよ」。んで「夢になっちゃあいけねえ」

ザックリにもほどがあるねえ……。

この流れの中に、どれだけ魚屋の夫の苦労譚があるだろうか。やはり血のにじむような貧乏と這い上がりの逸話が無ければ、ラストの二重幸運(成功した・金が下りてきた)は、ヒューマン的に受け入れがたい。しかもこの噺、よくよく聴けば、「イキ」でも「オツ」でもないし、サゲに至ってはどこか「キザ」だ。

苦労の末の幸運噺はいっぱいある。どの噺も、幸運になる前にどん底の人生観が示される。「文七元結」では、娘を預かられた男に自殺しようとする文七の絶望が重なるし、「鼠穴」では、夢で破滅し兄を憎む業が、男のダークサイドを強調する。噺の中ほどで一旦抗いがたい苦悩が示され、それがコントラストになってはじめて、聴衆はラストの幸運を「よかったネェ」と受け入れることができる。

「芝浜」にはそれがない。無くは無いが、足りないのだ。

働かない夫を持つ妻の苦しみは分からんでもない。が、この夫は分からん。財布を拾ったのが夢だとだまされた時、安直に「死のう」などと言うのは、感情移入しきれない。「品川心中」の本屋の金ちゃんのように、日頃からボケっとしたキャラならまだしも、芝の浜で増上寺の鐘を聴きながら、水平線の明るくなる様をポエットに一人語りする奴に、そんな安直さを認めようが無い。

きっとこの男、「夢になっちゃいけねえ」と言った後に、絶対に飲んでる。そして妻は、一見穏やかにしているが、間違いなく根に持っている。ひもじさの恨みは、骨髄まで沁みとおっている。殺意すら抱いているに違いない。だからこそ、子供も作らずにいたのだ。いっそ玉子酒に痺れ薬を入れて飲ませ、懐の金子を抜いてトンズラすべきだ  と、これはまた別の噺だ。

 

の噺が今日かくもポピュラーになったのはなぜか。おそらく年末に五代立川談志が演っていたからだろう。本人曰く

「芝浜なんて噺は、俺が演らなかったら、どうってことない噺に過ぎなかった」

確かにその通りだ。談志の芝浜を観て落語にハマったという人は私の周りにいくらかいる(私個人はあんまり好きじゃないけど)。前述のように落語としてやや消化不良感のある「芝浜」を、人間の業を肯定する落語観で再解釈して演じ、最終的に大ネタ的な位置まで持ち上げたのは、談志師匠の大きな業績であると思う。

「芝浜」と言えば三代桂三木助三木助と言えば「芝浜」である。安藤鶴夫と磨き上げ、芸術祭奨励賞を獲得。「芝浜の三木助」と言われるまでになった。
三木助があのおっとりした口調で枕で語ると、まことに浜のしらじらと明けるような爽やかさだ。

~昔は江戸でも白魚が獲れたんだそうです。
翁の句に「明ぼのや 白魚しろきこと 一寸」~

芭蕉はこれを桑名で詠んだらしいけど。

さて、いろいろな書籍を読み漁ると、三木助に芝浜をつけたのは八代桂文楽だという。だが文楽三木助の口演を観て

「あんなに上手く演られちゃ、アタシはもう演りませんよ」

と芝浜を封印したとか。芸協から文楽を追っかけてきた三木助としては、嬉しかったんじゃなかろうか。

志ん生三木助没後の代演で

「ええ、三木助さんが遠くに行っちゃったんで……」

と前置きし、芝浜を演じている。他に録音がないようなので、これっきりだったのかと思いきや、意外にもしばしば掛けていたという。聴衆としては、せっかく志ん生を聞くなら「芝浜」じゃないのを聴きたいかと……。「富久」や「お直し」など、貧乏を笑い飛ばすネタの方が、しっくりくる。確かに芝浜も貧乏にまつわる噺ではあるが。本当の貧乏を体験した人間から見て、芝浜という噺はどう映るのだろうか?

 

浜は非常に演じ手が多い。登場人物が少なく、同時に二人以上出ることも無く、時間も短い。わりかし演りやすいんじゃないかと思う。
私が知っている限りでこの噺を演っているのは……

三代桂三木助
五代古今亭志ん生
八代三笑亭可楽
五代柳家小さん
五代三遊亭圓楽
五代立川談志
三代古今亭志ん朝
十代柳家小三治
九代入船亭扇橋
     など

意外なことに六代三遊亭圓生は演っていない。とある直弟子さんが「演ったら絶対すごかったはず」と言っていたが、私はきっとドキザで合わなかったんじゃないかと思う。私は圓生師匠の「らくだ」を未だに最後まで聞けない。
私のお勧め「芝ラー」は、八代可楽と九代扇橋だ。

ひさしぶりに無責任落語録を書きました。ここまでお読みいただきありがとうございます。

さて、自分の話ですけど、今書いている小説は、一人称のスポーツもの。主人公は三〇代で、人生をやや迷っているという、どこにでもありそうな設定のコメディくずれです。拙著「無責任姉妹」とはちょっと違った感じ。リリースは秋口になるんじゃないかと思います。それより、仕事をちゃんとやってかなきゃ。小説の完成が夢になっちゃいけねえ。

春だし、新作の季節で…

新しい小説を書きはじめました。

一人称のスポーツもの(?)です。
従来の拙作のようなナンセンス路線ではありませんが、コメディの方向でいきたいとは思っています。

長編です。書き始めたばかりです。
まあ、当分かかりそうですね。

 

乞うご期待  とは申しません。

忘れた頃にリリースしますので、見かけたら「ああ、これのことだったのね」と思ってください。

それにしても、小説を書くのはほんとに楽しいことですね。

 

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