以下、表題の通りです。
「実はもう書きたいことなど何もない」
それに気づいたのはもう思い出せないくらいずいぶん前だが、それよりもずっと前から自分の精神構造は「物語というものを、何のたのしみも好奇心もなく書き続けている状態」となっていた。
それでも書くのはなぜか 暗示とも催眠術ともいわぬ、ただもう強迫観念で、心臓が意志せずとも鼓動してやまぬように、漫然と物を書いている。
泳ぎを止めれば窒息死する鱶のように、空虚な日々において、自分固有の世界を発散していなくては居ても立ってもいられないのだろう。
一時はやたらと長いものを書いて、自分も周りも辟易としていた。長いがゆえに、執筆にかまけ、やがて仕事に障るようになる。400枚とか600枚とか、こんなに長いものはもう止そうと決め、昨今では地元文学賞が60枚なのにかこつけて、その縛りで遊ぶことで留飲を下げた。
この妥協は案外うまくいった。「幸いなるかな、人生で書きかけの小説があることの!」。短い小説を、飴玉でもねぶるように、あそこを削り、ここを足し、そうやっていつまでも完成させずに耽る。
そのころすでに、ぼくの想像力は脳髄から腐り落ち、新たなものをこしらえることは不可能に近くなっていた。それだから2年が前の投稿作品では、8年まえの学園コメディの登場人物を引つ張りだし、人物造形の手間を省くなど、手抜きをし、楽をし、おのれを茶化し、胡麻化した。それがその時の最後の選考にひっかかったのは、いろいろとよくなかった。なにかこう、ある種のやりかたが存するような、間違った悟りを招いたのである。
まあ、その結果生み出されたのが、今回の小品である。
そもそも、ぼくがしこしこと物語を書くようになったのは、世間の誰とも好みを合わせることができず社会の流行をとんと理解できぬその孤独の裡に、わが身をなぐさめようと思い立ったがためだった。
それなのに、いまやおのれの創作の本来を忘れ、いまさら誰かのご機嫌を伺うようなもんぴつをなそうとするのは、根本的に矛盾しているのだ。誰にも認められぬ、顧みられぬことをもって、ぼくの創作は初めてぼくにとって意味が成り立っていたのだから。
ああ、しかし、小説という方策があってよかったと思う。もしぼくがその手段を持たず、閉ざされた肉壁の内部に囚われ続けていたら、いつか鬱憤瓦斯が破裂し、平成末期からおなじみの猟奇的な迷惑者になったかもしれぬ。
ぼくと小説の付き合い方は、間もなく新たな局面に入りそうだ。
ぼくの想像力は、そう遠からず、声を失い、手は腐り落ち、ペンを持てず、キーボードさえ打鍵できなくなるだろう。しかし眼というものには、残っていてほしい。見るという行為には、「物書く」という行為の深淵にある「知との戯れ」と「喜び」が秘蔵されているような気がする。
もの見れば、そこに文字や思念がなくても、知が発酵膨張し、自然と物語の態をなす。それは自然であるがゆえに、万象の粋と響き合い、つながり、形象し、無辺の娯楽となるだろうね。
その境地が幸福かどうかは、扨も知らんが、たぶんそこに落ち着こうとすることが、私をあやつる何者かの意図なんじゃないかと、空想している。
おわり



