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創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

健診で「膵腫瘍疑い」になった件

 

日、集団健診、国民健康保険加入者向けの健康診断を受けた。毎年恒例である。受診して2,3週間経過すると、結果が郵送されてくる。一通にまとめてくればいいものを、血液・胃がん・肺がん・大腸がん・腹部超音波それぞれ別便で送ってくるのは郵送代の無駄遣いだといつも思っている。

このうち血液検査の結果は封書で知らされるのだが、ほかの四つは貼り合わせのハガキが送られてくる。すみっこをつまんでぺろりとめくると結果が記されている。だいたいは「今回は異常所見は見受けられませんでした」「再検査の必要はありません」と言った具合で、たまに「ポリープがあります」とかイレギュラーがあるけど、それでも「経過をみましょう」など温和なことが書かれている。


ところがだ。

今回、手元に届いた腹部超音波検査の結果は封筒だった。いつもと違う様式にさっそく不安になる。引き出しからハサミを取り出し、封筒の右側の短辺を2ミリくらい切り落とした。口を下にしてふると、落ちてきたのは四つ折りの紙と、「紹介状」と記されたひと回り小さい封筒。「封筒の中に封筒とはまるでマトリョーシカじゃないか」と突っ込みを入れる前に目に飛び込んだその三文字は、事態の切迫を伝えていた。

封筒を見る前に四つ折りの紙を開いた。「要精密検査」「あなたは腹部超音波検査の結果、異常が見つかりました、すぐに病院で精密検査を受けてください」云々。
主な異常として、太字ゴシックで「膵臓系疾患」とある。

膵臓! キーボードを打てばすぐだけど、ペンで書けと言われても書けない臓器だ。病気になるとヤバいと聞いている。人体のど真ん中で検査しづらく、特にがんは早期発見が難しい。見つかった時点でダメなことが多い。その膵臓に異常があるというのだ。すでに生唾が出まくる。

さらにこう書かれていた。「同封の紹介状を病院に提出してください」「紹介状は開封してはいけません」。切迫しているから紹介状までお膳立てしてくれているのだろう。紹介状や内申書というのは通常開けちゃいけないものだから、当然従うまでである。

それで、紹介状の封筒に手を伸ばすと――

 

あれ、開いてる?

 

封筒の端が縦に切れ、口が空いている。開けちゃいけないって自分で言ってながら、もう開いてるじゃないか。開いてるからには中を取り出して見ようとするのは人情だ。引き出した中身は薄い複写式の紙。物々しい主治医様という明朝体文字の下に、ペン書きでこう書かれていた。

膵腫瘍?

なん……だと……ッ。

ぼくのような病気素人に「腫瘍」という文字の破壊力はでかい。が、疑問符があるからにはそうでない可能性もあるということだ。しかし……紙にはクリップでとめられたエコー画像の写真が添付されていた。ぼやぼやっとした白いモヤ(膵臓らしい)の中に、うすぐろくて丸い影が映り込んでいた。わきっちょに15mmのなんちゃら(英文字手書き・判読不能)と走り書きがしてある。

こいつはばっちり撮られた証拠写真じゃないか!

疑問符の持つ「かもしれない」のニュアンスは、脳内から瞬時に消し飛び、絶望の鉄槌が振り下ろされた。

すぐに近所の病院に電話して精密検査を段取りし、その日のうちに採血してもらった。「明後日もいちどエコーして、血液検査の結果もみましょう」ということに。
血ぃ抜いてから明後日までの、遠いこと遠いこと。おきまりのごとくネットで「膵腫瘍」「膵臓癌」等々をしらべまくり、一時的に隣近所における膵臓がんの権威になりかけた。採血した日は忘年会のハシゴが予定されていて、全箇所回ったのだが、いずれも生きた心地がせず、酒に身を任せて飲み過ぎた。

 

二次検査当日
検査の結果  何にもなかった(唖然)
採血データは良好で画像診断に異状は映っていなかった。元の写真については

「なんかガスでも重なってたんでしょーあはは」

とのこと。

なぁんだ……はは、は(脂汗)

安堵に胸を撫でおろしたのはいうまでもない。

それにしても、なぜ健診の検査結果にこれほどまで振り回されたのか、改めて考えてみたところ、やはり紹介状に記された「腫瘍」の二文字の印象は大きい。

……や、まてよ?

その二文字は紹介状の封が切られていなければ、視ることは無かった。ぼくが見れたのは「膵臓系疾患」という漠然とした文言だけだったはずである。

 

なぜ紹介状は開いていたのか。

種明かしをすると簡単だ。封筒は開いていたのではない。ぼくが開けたのである。

時系列が前後するが、封筒が届いた直後、保健所に電話で尋ねて解決していた。

「あの……紹介状が開いてるんですけど?」
『え? おかしいですね』
「おかしいですねって、そちらがさぁ(憤)」
『紹介状の封筒の切り口、どんな風です?』
「鋭利な刃物で切り落とされてる感じです」
『あー、それ、お宅様が開封する際に一緒に切ってる可能性があります。切れ端、あります?』
「えっ?(ごみ箱を漁る)……あー!」

上が外封筒、下が中封筒。

結果が届いた時、ぼくは封筒の右側の短辺を2ミリくらい切り落とした。その時、紹介状の封筒が中で右端にくっついていて、一緒に切り落としちゃったのである。

あはは! ぼくの馬鹿ッ!

封筒を切る時、中身を一緒に切らないように、机でトントンってしたんですよ。でも、中の封筒は外の封筒の折りかえし部分の糊にくっついて、寄ったきりになっていたようだ。そのせいで、見なくていいものを見て過剰に不安になり、おびえさせられた……というのが真相である。

 

れにしてもこの二日間、死や残りの人生について、随分まじめに考えた。今回は何事もなかったけど、ほんとに不治の病を得て余命を告知された場合、仕事はどうするか、関係者にどう伝えるか。ぼくはフリーランスでひとりものだから、自分の問題は自分で抱えることしかできないけど、責任あるお勤めの方や、配偶者や子供がいる人は大変だ。

その一方で、解放を感じるところもあった。ぼくは自分の商売がいつだって風前の灯火で、先々を考えるとストレスでマジでおかしくなりそうなくらいなのだが、ぶっちゃけ老後の生活を心配する必要がなくなったと思った。少なくとも、もう年金は払わなくっていいや、と思った。そんな風に思ってしまうのは、ぼくが悪いのだろうか? それとも政治?

こういったことを考えているうちに思考が集約されて、ぼくは一つの結論に達した。結局ぼくが死に対していだいているのは、不安でも嫌悪感でもなく、むしろ解放・安息だった。厄介なのは死ぬ直前、まだ生きてるうちの痛み、病で肉体が崩壊する軋り、これからもっと痛くなるのではないかという痛みの増悪への恐怖しかない。キリーロフ氏はこれに付け加えて「死んだあとどうなるのか分からない恐怖」を挙げていたが、単細胞なぼくはそこまで論理的にはなりきれていない。


以上、年の瀬に健診結果で振り回されたお話しでした。

ネットで調べたところによると、健診を受けて「要精密検査」になる人、さらにそこから実際に何らかの病変が見つかる人は、実はめちゃめちゃ少ないそうだ。いずれも0.1%を切るくらいだったと思う。「何でそんなに精度が低いんだよ」と思う人もいるかもしれないけど、腹部エコーに関して言えば、おびただしい人数を10分そこらで観察し、紛れもない真実を掴むのは土台無理だ。検査側はちょっとでも変だと思ったら最悪を想定して二次検査に回すのが適切だと思う。通知を受けとる方はビビるけど、最終的に「何もなくて良かったね」となれば御の字ではないか。すばらしいぞ、国民皆保険、集団健診制度。

ただ、封筒で告知が来たら、二重に切らないように、みなさん気を付けてハサミを入れてください。ハサミじゃなくてペンナイフを使うのがいいかもね。

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