10年前の3.11のことを書く。ずっと気にかかっている。苦い思い出である。
あのとき、ぼくは、地元鹿児島にいた。会社の車に乗って、出水駅から薩摩川内駅に向かって走っていた。運転しながら、ラジオのニュースに戦慄していた。
津波予報は30メートルと言う。「んなばかな」と思った。30メートルは、常識を超えている。
ところが、目的地の薩摩川内駅に着いて、会う予定だった人に会い、全て事実だと聞かされた。
「そういうわけですので」
彼はどうしていいか分からない顔で言った。
「イベントは中止です。JRからの達しで、九州新幹線全線開通に関する催事は全部中止です」
翌日3.12は、九州新幹線全線開通の日。沿線の全駅で記念イベントが催行されることになっていた。各駅前のロータリーに屋外ステージが設けられ、セレモニーや出し物が披露される。周辺に飲食ブースが並び縁日のような盛況をつくりあげる……そんな予定である。
ぼくは当時イベント会社に勤めていて、開通の約半年前からその業務に携わっていた。担当していたのは、屋外ステージで行われる芝居仕立てのショー。ちょっと変わった趣向で、新幹線の下り線に沿って一座も下り、駅ごとに披露する。阿久根、出水、薩摩川内、鹿児島中央の鹿児島県内五か所だ。ちなみにぼくは企画者ではなく、開催前は段取りと交渉の役をおい、本番時は舞台の裏方を務めることになっていた。
しかしこの寸劇、台本や衣装はともかく、背景の書き割りなどの大道具が、非常に貧相で軽量だった。五か所も回るので準備・撤去・移動の高速回転を考えればそうするしかなかったし、正直立派につくる予算は無かった。当時テレビで「イベント会場でテントが風にあおられて飛び、客にあたって怪我」といったニュースが報じられていた。その二の舞にならないか、ぼくは気が気でなかった。春は風が強い。そんな中での屋外イベント。書き割りが飛んで観客にぶち当たったりしたらどうする? 新幹線開通のめでたい日に怪我人がでたら? 大企業JR九州にも傷がつく。
ぼくは同じ会社に属する舞台監督に、対策と改善を、何度も訴えた。しかし監督は「問題ない」「補強しろ」「人を使え」。出演者が全員素人だったから演出で頭がいっぱいらしく、聞き入れてもらえない。
舞台上のことは全て監督の責任である。ぼくの仕事は監督の意志を台本に沿って実現すること。何か起きたら陰で「ほらね」「言わんこっちゃない」と嘲笑えばいい。
しかし、そうは思っても、危険が手ぐすね引いて待っているのに、見ないふりをするなんて、できない。もともとぼくは職場で「ビビり」で通っていて、しょっちゅうからかわれていた。しかしこういう仕事は微細な不安を炙り出して一つ一つ摘んでいくのも大事だ。本番一回こっきりのステージショーならなおさらである。
そういうわけで、ぼくはその後も何度も監督に注進した。
しかしぼくのビビりは監督には届かなかった。
近づく開通の日。募る悩みと胃痛。
そのあまり ぼくは、つい、願ってしまった。
「大きな地震が来て、イベントが中止になればいいのに」
それゆえ、イベント前日に車のラジオで地震津波の一報を聞いた時は心底ゾッとした。
本番を明日に控え、ぼくのビビりもさすがに腹をくくっていたから、中止になってホッとしたという気分はなかった。
ただもう、ただもうゾッとした。
結局イベントは全て中止となった。
新幹線は開通したが。
変なことを願うものじゃないな、と、10年経った今も悔やんでいる。
亡くなられた全ての方のご冥福をお祈りします。
いまなお避難生活を送られている方々の健康と安全をお祈りします。
被災して故郷を離れざるを得なかった方々の心の安寧をお祈りします。