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創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

無責任落語録(20)「二代三遊亭円歌」

つもタイミングが悪い。

横断歩道に近寄れば赤になるし、バスも電車(路面)もすんでのところで走り去る。これはもうお祓いをしないといけないのじゃないかと思うくらい、タイミングが悪い。

最近一番タイミングが悪かったのはキンドルアンリミテッドだ。

長らく自分の電子書籍をいろんなところで販売していたが、アマゾン以外があんまり売れないので、去年の暮れくらいにアマゾンオンリーにした。しかし、それから半年ばかりして、「単純に考えて、ネット上にたくさんページのある方がユーザーの目に留まる可能性はあがるのぢゃ?」と、大部分を多店展開に戻した。

その作業を終わらせたところで、アンリミが始まった。

アマゾンオンリーのままにしていたKDPセレクト作品がバカバカ出る。ところが多店展開した作品はKDPセレクトに入れないから読み放題対象にならず、出ないのがますます出ない。BWさんでちょっと出たから救われたけど、どうせならアンリミの効果を堪能してから多店展開しても良かったなあと臍をかんでいる今日この頃である。もっともKENPの数値如何によってはKセレ撤退を考えたくなるかもしれないが……。

 

ラックコーヒーを飲んだ後にみかんを食べるとヒッジョーに酸っぱい。フラれてから観る映画は余計に心に沁みる。こういったことは、物事のタイミングというか、順番に影響された結果である。芸事でも同じことが言える。たとえば落語では、同じ笑い話・人情話でも、笑い話の後に人情話を聞くのと、人情話の後に笑い話を聞くのとでは、だいぶ違って聞こえる。私はそれを思う時、二代目の三遊亭円歌師匠のことを思う。

艶っぽくって明るくって、客席が一気に華やぐ芸風。その後に上がる芸人といったらカタナシだ。どんなに名人上手でも霞んでしまう。戦後の落語批評を裏付けるには円歌との対比を語れば十分である。仮に円歌の後に出たら……圓生はキザに映るだろうし、文楽は型にはまって下手にすら見えるだろう。柳好・志ん生は元来の良さが霞むに違いない。

戦後すぐは円歌師匠の天下だった  と私の愛読書「名跡問答(立川談志)」には書かれている。動画共有サイトにもかなりの量の音源が残っている。ということはレコートが相当出た、つまり持ちネタも多かったいうことだ。一番ヒットしたのは新作の「社長の電話」。兄弟子金馬の創作の改作である。自身でも新作をつくって演っている。それ以上に古典落語のレパートリーも多い。小咄やバレ噺もたくさん持っていて、それだけで座持ちする。高座では噺の後に手品をやったり踊りもみせたという。芸に色気があり、観る者をうっとりさせる。芸人中の芸人である。

 

んな二代目三遊亭円歌だが、こんにちの落語批評を紐解いても、その名はまず上がってこない。「やまのあなあな」の三代目圓歌の方が目立っている。なぜだろう。改めて円歌のネタを聞いてみると…

  • 聞きづらい
    ちょっと聞いた感じはべらんめえ調で、私のような九州の端っこに住んでいる人間には良い感じの江戸弁に聞こえる。が、実際生粋の東京育ちの江戸弁というのは妙に滑舌がよくって、それが地方の人間にはキザで嫌味に聞こえるものだ。円歌の口調は音と音がつながっていて、正直言ってよく聞き取れない。が、なぜか聞き心地は良くて、音楽に近い感じがする。
    ちなみに円歌は江戸っ子では無い。新潟訛の上にひどい吃音。克服のため、相当な努力を積んだという。
  • サービス精神旺盛
    芸人が観客をわかせるのは、仕事であり喜びである。ところが物事は何でも過ぎたるは及ばざるってやつで、良かれと思ってやることが、案外裏目に出ることがある。
    前述したように円歌は噺だけでなく手品も踊りもやれる器用な芸人だ。だが、噺を聞いていると、声音を使ったり、妙にりきむところがある。
    落語では登場人物で声色を変えてはいけない。セリフ回しだけで年齢や性別、職業柄を演じ分ける。円歌の「女」声はやや耳に障る。ちょうど“向こう岸”で古今亭今輔がおばあさん落語で風靡していたが、声色を変えるのはこの頃は解禁されていたのだろうか? もっとも円歌も今輔も地方出身であり、役分けのスキに出自の訛がでないように敢えて使ったのかもしれない。
    りきみというのは、聴いている中で「ここはおもしろいですよーっ!」と迫ってくるようなうるささで、オチの前にちょっとやるくらいならいいが、ダレ場に近いところでやられると、聞いているのがかなりきつくなる。呂律をきつめに廻すようなところに特にそれを感じる。このブログでも言ってきたが、小さんも志ん生も「演らないのが良い落語」と言うくらいのものだ。
  • 描写が無い
    これは落語にとって絶対不可欠なことでは無い。たとえば柳好も志ん生もそんなに描写はしない。
    戦後落語は、柳亭痴楽や林家三平など大衆に特化しまくった一部を除き、桂文楽三遊亭圓生桂三木助林家正蔵(彦六)など、芸術的に観賞する落語がもてはやされた。評価の基準は写実的描写の巧拙である。この傾向は衰微してはいるが、基本的に今でも変わりは無い。映像文化が当たり前のご時世、まるでドラマを見ているように視覚的な落語表現が好まるのである。そんな時代だから、柳好も円歌も人口に膾炙しない  のだと思う。
    しかしこれもタイミングの問題で、桂文楽が談志との対談で「流行はぐるぐる回り」と言っているように、落語人気の波、流行る内容にも波がある。近代落語は圓朝で文学的になり、反動で珍芸芸人の勃興、さらにまた反動で落語研究会の発足……など、行ったり来たりの繰り返し。どの時代に身を置くかで評価は違ってくる。
    円歌の評価が総じて低い
      というより「無い」のは、円歌自身の芸がどうこうというより、そののちの落語批評のあり方に理由があると思う。
    でもまあ、ウケる時代に大ウケしていたのだから良いじゃないか。生まれたタイミングは良かったのだ。

 

の人の人生は、本当に一冊の本になるほど豊かだと思う。
新潟生まれで横浜の貿易商に勤めるも色恋沙汰で北海道へ。そこで天狗連に加わり「東京の重鎮・三遊亭柳橋」なる名前で勝手に興行。ちょうど巡業に来ていた小圓朝志ん生・金馬らに見つかり、叱られると思いきや意気投合。金馬の勧めで初代円歌に入門した。ここまででも十分物語になる。

そののち、誰もが認める大看板になりはしたが、結局落語協会の会長になることはなかった。最後の最後でタイミングを外したようにも思える。
とはいえ、現落語協会に円歌一門の数は多い。芸協の小文治一門とあわせ、残した功績は大きい。

 

   *

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