アヲイ報◆愚痴とか落語とか小説とか。

創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

無責任落語録(49)「映画ミーツ浪曲」観覧記

 

題の興行が2023年12月5日(火)に鹿児島市マルヤガーデン・ガーデンズシネマで催された。主催は鹿児島コミュニティシネマさん。
映画と浪曲の二本立て。最初に1940年に封切られた『続清水港』の上映。続いて、浪曲玉川奈々福師匠『お民の度胸』の口演。

 

YOUTUBEのおかげで浪曲を知って、音はいろいろ聞いていたけど、ライブは初めて。楽しみにしておりました。

映画『続清水港』は現代でいうタイムスリップ系異世界転生。『森の石松』の舞台演出家が、なぜか江戸時代の森の石松に転生する。「このまま史実通りに行くと、俺、殺されてしまう!」と思った演出家が、なんとか状況を変えようとするが……という筋立て。
清水次郎長伝の『石松代参』から『閻魔堂』くらいまでが扱われている。元の話を知ってる人じゃないと、ちんぷんかんぷんなんじゃないかな、と思った。もっとも、封切られた頃の人たちは、ラジオでさんざん聞いて、一般教養くらいになっていたのかもしれない。

浪曲玉川奈々福師匠。曲師広沢美舟先生。演目は『お民の度胸』。虎造映画のあとに次郎長ものをやることに躊躇っておられたが、いやいや全くの杞憂。圧倒的な声量・演技・節回し、啖呵の鮮やかさ。すっかり度肝を抜かれた。
刮目したのは曲師。録音だと目立たないが、ライブだとその重要さが分かる。演目に色と香りを添え、高座と客席を融合し、物語世界にいざなう。”においたたせる”とはまさにこのこと。これはライブじゃないとわかりませんね。

鹿児島だと、生の浪曲を聞ける機会は少ない。
是非また観覧したいです。

 

 

無責任落語録(48)「桃月庵白酒独演会」観覧記

 

題の興行が2023年11月18日(土)に鹿児島市の黎明館で催された。主催は落語を愉しむ会。『ゆるいと亭』様のお席である。


前日に首のホネが欠けていると診断され、爆弾を抱えた状態で観覧に出かけた。座っているだけとはいえ、2時間首をまっすぐにしとくのは、さすがにきつかったです。でも口演中はほとんど痛みを忘れさせてもらいました。

この日は午前中、かなり風が強く、その中を師匠は航空機で鹿児島入り(帰郷?)されたという。ひどく揺れて「飛行機が引き返せばいいのにと思った」と、笑いを取っておられました。やはり最初はしんどそうに見えたような……それでもエネルギッシュに努められ、一席目の中ほどには完全に疲労の色は払拭されていました。

『犬の災難』、出てくる皿料理が鶏で、「あれ? 鯛じゃなかったっけ?」と思ったけど、これはぼくの勉強不足。鯛が出るのは『猫の災難』である。
『猫の災難』はもともと上方噺で、三代目小さんが江戸に移したという。それを五代目志ん生が、猫を犬に、鯛を鶏に変えて演じた、とのこと(Wiki調べ)。白酒師匠は古今亭の系統なので、鶏の出る『犬の災難』を演るわけですね。

井戸の茶碗』はみんなが幸せになる&きっと受ける鉄板ネタだなあ、と改めて思った。筋立てを字で追っても大したことないのに、噺家の手にかかるとすごく面白くなる。『甲府ぃ』にもそれを感じる。演じるということの深さよ。

桃月庵白酒師匠  ほんと、この方こそ志ん生を継ぐ噺家であると思います。人間国宝よりもそちらを目指してほしい。落語界では「志ん生人間国宝」。今後も応援したい。

 

オチケン

オチケン

Amazon

 

 

 

無責任落語録(47)「目の健康講座・桂夏丸『つる』」観覧記

 

和5年7月2日、午前10時半より鹿児島県眼科医会主催『目の健康講座』が開催され、そのオープニングで噺家桂夏丸師の落語が一席もうけられたので足を運んだ。

同イベントは毎年7月恒例で(コロナ中3年程度お休みしたが)、毎回オープニングに噺家を招いている。

ぼくの憶えている限りでは、桂才賀師、林家種平師、桂竹丸師、このブログでも以前紹介した三遊亭遊三師等々。鹿児島にいるとお目にかかりづらい大看板の師匠方ばかりである(竹丸師はめちゃくちゃお目にかかるが)。

しかも入場無料

思うに『目の健康講座』は鹿児島の落語ファン必見の『隠れ落語イベント』であると思う。

 

かしこのイベント、落語会として考えるとめちゃんこ特殊だ。

まず、毎回「日曜/朝10時頃」と、落語を観覧するにはちと早い。寄席の昼席の最初より早いくらいだ。

どのように広報されているのか不明だが、お客さんはおじいちゃん・おばあちゃんがパラパラッといった感じで、めっちゃ大盛況かといわれると、正直まったくそうではない

しかも、そのおじいちゃんおばあちゃん方も「なんか知らんがチラシもらったから来た」という感じで、必ずしも落語通・落語ファンではない。

もっとも、この催事のメインは落語の後の眼科医の講演と個別相談会で、落語は集客と会場の「あたため」のために用意されているに過ぎない。その任を、普段寄席でトリをとる師匠方が受け持ち、開口一番を務める状況は、落語ファンとしては驚天動地の人選なのだが、たぶんご参集のおじいちゃんおばあちゃんは、そんなのご存知ない……と思う。

また、地味にすごいのは、毎回ネタだしされていることだ。つまり、余程断らない限り、他のネタに変更できない。高座に上がってまくらを振って、いくらか客の空気を掴んでから「このネタにしよう」と決めることはできないのである。

正直に言って、招かれる師匠方は、ちょっと大変なんじゃないかな、と思ったりする。毎回落語ファンとして客席に座り、じいさんばあさんの微妙な反応にまざりながら、高座の師匠に勝手に感情移入し、ヤキモキしている。

とはいえ、師匠方も百戦錬磨。毎回必ず客席を温めて、おあと(医師講演)につなぐ。さすがだなーと思う。だが、やはりその席でその師匠の本意気が見られるかというと、難しい。見られるのは、プロの芸人が極北の海底みたいな状況でも人肌くらいにはあたためてみせる、その手腕である。

 

回のオープニングは桂夏丸師匠。これまでベテランが務めてきた席を、真打5年目の人気若手落語家さんが務めるということで、がぜん期待して行った。ネタだしは『つる』。こういうタイプの噺がネタだしされるのって、珍しい気がする。

持ち時間30分、半分以上はまくらであった。声が通って、かみ砕くように丁寧で、分かりやすい&たのしい。客席の空気がだんだんできあがっていく。朝10時にふらふらとあつまったおじいちゃんおばあちゃんたちが、じわっじわっと空気に馴染んでいくのが分かる。ぼくは後ろから見ていたが、みんな徐々に背筋が伸びていった。

夏丸師も、けちんぼの眼の小咄*1をした。目の健康講座だけに、今までもこれをやった師匠はいたと記憶している。毎回受けない。まあ、どう考えてもこの噺は現代には無理がある。というのは、この噺は「目で見た記憶は眼球に蓄積されている」みたいな前提があるわけだが、現代人はさすがに「それは脳でしょ」と分かっている。またこの席は一応医療にまつわるイベントの一部だ。落語とはいえ現代医療との乖離が大きすぎて、違和感がある。

そもそも、けちんぼの眼の小咄は、落語脳を要求する話だと思う。あれを聞いて笑う客は、客席から噺家に向けて「その方向で笑わせていただいて結構ですよ」と言っているようなところがある。

 

語初心者と思しきおじいちゃんおばあちゃんたちに『つる』は分かりやすい噺である。「つーっと来て」「るーっと来て」手の動きと音の面白さ。根問物らしい調和された笑いが起こり、ぼくも心軽やかにアハハと楽しめた。噺はスイスイとラストに近づいていく。

が、ラストは意表をついた。

急にさしはさまれた歌謡曲。軽い笑いが一気にナンセンスに昇華する。あの時客席に湧いた「は? 何で急に歌うのw」という疑問符。それでも噺が強引に進んでいく、いわく言い難い不条理。その二つによって不可解に合成される笑い。「空気が裏返る」とでも言うのだろうか。「なんかすごいものを見た」というに等しい、驚きの入り混じる幸福感が立ちのぼった。その幸福感はたちまち見も知らぬ客同士で共有された。それは、ぼくが見た中でこの席を務めたどの師匠にも無かった現象だったと思う。

ネタ終了後の歌もよかった。朗々と歌い上げたあとの客席の空気は温まっていた。直後に眼科医会MCが進行アナウンスを読んだが、なんとしゃべりやすそうなこと! みごとにお後につないだ桂夏丸師は、現代の歌謡音曲師である。芸は噺の一本道ではなく、歌や踊りなど二本も三本もあって全然好い……そう思った一席でありました。

 

 

さあ、来年はどなたがいらっしゃるかな?
いまからもう楽しみにしております(・▽・) 
以下、開催中です。みとくんなまし。

 

電子書籍も「つー」っとアクセスして「るっ」と買ってくれ。

オチケン

オチケン

Amazon

 

*1:二つの目を片っぽずつ使うと決めた人が、何十年か経って使う目を変えたら、知ってる人がいなくなった、というアレ。

  • アヲイの小説作品はアマゾンキンドルダイレクトパブリッシング(Amazon kindle Direct Publishing/KDP)にて電子書籍でお楽しみいただけます。
  • kindleの電子書籍はアプリをインストールすることでPC・スマートフォン・タブレットでもご覧いただけます。アプリは無料です。【ダウンロード(Amazon)

PR|自伝・小説・記事・手紙等の作成代行は文章専門・原稿制作
PR|文章代筆・さくら文研
PR|サクブン110番
PR|長編原稿+