最近は頼まれごとが多くてイライラしていることが多い。
そういうこともあってガス抜きでブログを連投しているが、そんなんでロクな記事がおこせるわけもない。まったくもって、皆様のお目汚しである。
けれどもガス抜きはガス抜きでしなきゃ前に進んでいけない。かといって、どっか遊びに行ったりするとなると、金も時間もかかるし、そもそも、頼まれごとをする時間を失くして本末転倒だ。
仕方が無いから机に座って、あれこれとガスが抜けそうなことを考えてみる。
小説のことなんか考えたらだめだ。かえって疲れてしまう。
何かやりたいことでも考えてみるか? これもだめだ、やりたいことの前に立ちはだかる現実があまりに大きい。もしくは、やりたいことが何にも出てこなくて虚しくなる。
いっそぶっとんだことを空想する? kindleがバカ売れして宮殿を建てるとか。苦しいねえ。
いろいろやって、最後に辿り着いたのが「おいしい思い出」を手繰り寄せるという試みだった。以前食べた美味しかった品々を思い返し、机に一筋の涎を垂らして脳内ホルモンを絞り出す。味と匂いの思い出というのは、案外鮮明に思い起こされる。結構何を食べてもおいしいと感じる馬鹿舌なので、思い返せば無限に出てくる。
金も時間もかからない。それでいてひとときの幸せ心地。おお。特許取ろうかな。
一番最初に思い出したのは、こちら。
「日本橋玉ゐ」のあなご箱めし。
訪れたんではなく、お客さんのところでお昼に出していただいた。煮詰めと山葵、あなごの細かい食感。あゝ、思い出してたら涎が。
私、プロフィールのところに書いてますけど、大のうなぎ好きであります。が、このお弁当をいただいて「うなぎもいいけどあなごもいいね」と思わずにいられなかった。うなぎの方がたしかに満足感は高い。だけど、ちびちび呑みながらとか、のんびり食べるならあなごの方がいい。胃もたれしないし、お値段もやさしい。
小説など、ものづくりにも通じるところがある気がする。うなぎみたいにどりゃあっとゴージャスなのは、みな求めるし、作り手も挑戦してみたいと思うものだが、やはり飽きる&疲れる。地味だけどじわじわずっと楽しめるあなごみたいな作品の方が、長期的に見て満足感は高いかもしれない。受け手にも送り手にも。
…と、ここまで読み直して「何の例えじゃ?」とあきれ返った。いくら趣味だからって、何でもかんでも創作に結びつけることはなかろうに。
ちなみに、この記事は広告じゃありません。おいしかったのをおいしかったと書いた、それだけです。
思い出は思い出にとどめとかなきゃいかん。「じゃあ今度食べに行こう」などと思ってしまうと、時間も金も無いので、思いは遂げられず、かえって消沈してしまう。
結局どうしたいのか分からないけど、当分はギリギリの味回顧でガス抜きするしかないですね。
11月が終わる。
今年はこのまま暮れてしまおう。