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創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

読み放談|御子柴くれは「セレブ社長と偽装結婚」を読む

は(と、断るほどのこともないのだけど)、人生ではじめて、官能小説を手に入れた。しかも、女性向けの。

最初に断っておく。私、twitter等々のアイコンは女性の面体を使っているが、男である。名前も女性的だが男である。「ネカマ」「キモい」といわれても何も言えない。が、別に女性と偽って活動しているわけではない。つまり、もしいま「うへえ」と思った奴がいたら、そっちが勝手に勘違いしているだけだ(`A')

まあいい。今日は許してやる('A`)

ええと、今回はその官能小説を解説していく。
あらかじめ言っておきたいことは山ほどあるのだが、なるべく抑えよう。ただひとつ云わせてほしいのは、女性向けにしろ男性向けにしろ畜生向けにしろ、私は官能小説の類を読んだことが、これまで一冊も一頁もないということだ。だから官能小説のレビューとしてトンチンカンなことを書いてしまうかもしれないが、そこは容赦してほしい。

 

回私が読んだのは「セレブ社長と偽装結婚」である。不勉強な私はすでにこの時点で戸惑う。こういうタイトルが、普通なのか、そうでもないのか。普段接しないジャンルだと、もうそれすら分からない。

セレブ社長と偽装結婚 箱入り姫は甘く疼いて!? (蜜夢文庫)

セレブ社長と偽装結婚 箱入り姫は甘く疼いて!? (蜜夢文庫)

 

そもそも官能というジャンルは、他分野と比した時、何かこう、読者の要求レベルが全く異なっているように思われる。たとえば、「SF」「ファンタジー」というと、作品全体に漠然とその世界観が広がっていればそれでよい。けれども官能は、世界観なんて書割程度で構わず、重要なのはまさにあの時間帯の一挙手一投足。濃厚で鮮明な描写と修辞。そここそが約束されていなければならない  のではないかと勝手に思ってるのだが、勘違いだろうか? だって、そこがぼんやりとしていたら、客が怒るだろう。官能に「ちょっと」はない。他ジャンルに「ちょっとSF」とか「ライトファンタジー」はあっても、「ちょっと官能」「ライトなエロ」は許されないのだ。それだけ目的意識がはっきりしたジャンルなのかなと。

書き手にしてみれば、これは大変なハードルだ。そんじょそこらの文学と違い、気障に説明したり、思想っぽいものを醸したりする程度では、読者は到底納得しない。完全かつ立派に、ある種の興奮というか反応というか、つまり、目と脳味噌だけで読ませてるようじゃだめなのだ。読むバイアグラとでも言おうか。

いやまて、今回取り上げるのは、女性向けなのである。

 

作を読んで思ったこと。大変陳腐なことかもしれないが、やはり女性の感性は女性固有のもので、男性がいかに女性との経験値に富もうと、耳学問がすごかろうと、たどり着けない部分がある、ということだった。
女性が社会に求めるもの、自分に求めるもの、異性に求めるもの  理想だとか、野心だとか、良心の導きだとか、狡猾な考えだとか  男性の思慮とは大いに違う。思うに、女性向け官能小説というジャンルは、男性のそれと比べると一層複雑なのではなかろうか。男は要は、ほにゃららだ。だが女性は違う。そこかしこのみならず、脳も心もお花畑にならねば気が済まない  のではなかろうか。
本作を読んで、正直私は「女性ってこんな風な考え方をするんだ、はー!」と、勉強になりまくったし、その感嘆の度合いたるや岩波の世界文学全集のどこにも読んだ記憶がないほどである。と同時に、女性に対する畏怖を一層強くした。男女が同衾し、同じ時間に作用反作用の関係を構築している背後で、実は両者はびっくりするくらい、違う意味を握り合っている。

いやあまったく。
こんなことを書いていると、どんだけ私が物を知らないか自分で触れて回っているような気がするよ。

 

ええと、もう少し中身に触れよう。

場人物について。主人公の女性は大学生。旧華族の箱入り「姫」。彼女の前に、タイトルにある「セレブ社長」があらわれて、物語が進んでいく。人物の造形は分かりやすく、今風に言えばテンプレ的である。さらにそこにリアリティが付加され、キャラクターにエッジがかかっていく。

物語の進行は、友人の存在がキーとなる。同じ作者の別作品(官能に非ず)を某投稿サイトで拝読したことがあるのだが、その友人と似ていた気がする。主人公のことをよく分かっており、厳しく叱ってくれて  と書くとご都合主義的なキャスティングと思われるかもしれないが、決してそこに収まらず、どこか人間的な部分があって、言うべき時に言うことができなかったり、自分にも事情があったりと、人間造詣が細かい。

この「友人」のあり方に、本作の作者の人間観や社会観がにじんでいるように思う。今後同氏の作品を追うなら、登場する「友人」に注目すべきである。

 

あしかし、文学というものは  文字を紡いで読者の脳内に絵空事をつなぎあわせていくという気の遠くなるような構成物の創造  は、描写の中に思惟による補正がさしはさまれるばかりに、いつも饒舌で小賢しくなりがちだ。これは感覚的なものを描こうとすればするほど邪魔になる、厄介な代物かもしれない。

ところが本作では、同じ組み合わせのくんずほぐれつ(?)が4乃至5回ほど展開される(ちなみに違う組み合わせは一つもない)が、それらは一度として饒舌小賢に陥らず、実に明朗に描写されている。毎回特別にシチュエーションが異なるわけではない。が、毎回新鮮な風合いなのである。これは非常に難しいことではなかろうか。

おそらく、その理由の一端には、文体の特徴があると思う。本作の文体は懇切丁寧かつ論理的で、こんなことを言うと失礼かもしれないが、男前の文体である。ゆるくはない。鮮やかに断裁する如く情景を切り取っていく。そのあっさりかつドライな加減が、饒舌小賢を抑止しているように思えた。

正直、官能小説をこんな風に解きほぐしていくなんて、野暮の極みのように思われるかもしれないが、ええ野暮で結構ですよ。

それにしても、よく考えたら官能小説のレビューというのは、なかなかないもんだ。みな自分のイメージみたいなものを気にするのかしら。ま、私なんかは何を言ったって、へっちゃらだからね。

それではみなさん、良き秋の夜長を。

グリーンボーイ・アッパータイム

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