アヲイ報◆愚痴とか落語とか小説とか。

創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

プロレスについて、ちょっと語ってみる(暴論気味)

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◆序論

ブレイブガールスープレックスをリリースして一か月半くらい経過した。売れ行きや評価はさておき、今年はとりあえずこれでおしまいかなと思っている。例年年間一本しか出してないからとりあえずもクソもないんだけど。

これまで趣味で小説を書いてきた中で、自分の人生経験を題材にとることはそこそこあった。だが、あまりにも自分に身近すぎること・好きなことは、かえって書けない。書こうと思っても、何か見えない力によって阻止されるような気がする。想像力に文章力が追いつかないということもあるが、それ以上に、いたずらに想像をくわえることが何か崇高なものを侵犯するような気がして、意識的に避けてしまう。タブー化してしまうのである。

私の場合、そのタブーの中にプロレス等格闘技が含まれていた。

私のプロレス観戦歴はそれなりに長い。加えて、学生時代に格闘技をかじっていたこともある。そういうわけで私は長らく自分の小説に、あるいは随想的なものにすら、格闘技要素を盛り込むことは無かった。それだけ夢中になっていた。

それが今回書けたということは、禁忌の呪縛が解けたということだ。

プロレスを観戦しなくなって久しい。かつて贔屓だった選手が引退したり死去したり、あるいは不様な醜態をさらしてまで選手を続けたり。こうして徐々に見なくなっていった。TV放送が地上波から消えたこともある。

「私の観ていたプロレスは終わってしまったんだな」

そう思うものの、不思議と淋しさなど無い。
案外そんな人は多いのではないか……とも、思う。

なぜなら  

プロレスには、時代をデフォルメして観衆に婉曲になんらかの答えを  しかも各人が各人に符合するような全方向型の答えを  示唆し、カタルシスを与える力がある。然るに、長らくプロレスを観戦している人でも、時代感覚を欠いてプロレスが指し示す時代から外れてしまえば、たちまちプロレスへの情熱も興味も失ってしまう。

人は時代への足がかりを失った途端、プロレスまで色褪せて見えはじめる。あるいはプロレスの方からマーケティング的にひとつの時代との断絶を図るかもしれない。プロレスだってビジネスなのだ。いつまでも一つの時代を相手していては生きていけない。


◆美学としてのプロレス

批難を承知で綴るが、日本の初期のプロレスを民族文化的に考えたら、期待された公開処刑のように思えてならない。

戦後のプロレス・力道山の人気は、日米戦争で敗れた日本人のフラストレーションの解放だったとしばしば言われる。大きな外国人選手を空手チョップでバッタバッタとなぎ倒すシーンに、日本国中が釘付けになった。しかし、私の考え方は違う。いくら負けた側でも、スポーツで勝ったからといって憂さを晴らせるほど日本人は短絡的な国民ではないと思うからだ。

力道山は言うまでも無く日本のプロレスの父である。背が低くガニ股でずんぐりむっくり、一人だけ長タイツ。戦う外国人選手は長身・大型。プロレスファンならずとも知っている選手もいる。ルー・テーズザ・デストロイヤーフレッド・ブラッシーボボ・ブラジル等々。そんな相手を力道山は手刀でえげつなくぶちのめす。分かりやすくはあっても、正直格好良くは無い

おそらく、力道山に求められていたのは、強い日本人像では無く、浪曲清水次郎長伝」に登場する森の石松のような何かだったのではなかろうか。喧嘩に強い石松。子供に好かれた石松。やくざに強くて堅気に弱い石松。閻魔堂で斬られて死ぬ石松  日本人は勝ち続ける力道山の向こう側に、石松の生き様を重ね、同様に無残にやられるシーンを渇望しやしなかったか。勝っては欲しいが、いつかは負けるものとして、その日が来るのを街頭テレビに待ち続けていなかったか。浪花節カタルシス、御涙頂戴の人情劇を望んでいなかったか。

弁慶に義経楠木正成織田信長西郷隆盛坂本竜馬……日本では、ヒーローは非業の死を遂げることになっている。滅びの美学が最期を輝かせるからこそ、生前の覇道がすべて許されるのである。

黎明期のプロレスは、イコール力道山である。つまり、彼の存在によって日本のプロレスは産声を上げた時から浪花節的な「美学」として存在する宿命にあった。

その後、プロレスは観衆とともに急速に成長した。技は多様化し複雑になり、ファンの目はますます肥えた。もともと日本には武道があり、アメリカ直輸入のままでは通用しない部分があった。

力道山没後、唯一の団体だった日本プロレスは紆余曲折を経て新日本・全日本・国際の三団体となる。この点も世相とオーバーラップする部分が多分にあるが、また機会があったら語ることにしよう。ここでは人と時代とプロレスの関連性でとどめたい。


◆プロレスとセンチメンタリズム

昭和時代、プロレスは日本の変化に追従するように進んでいった。それはさながら高度経済成長であった。
半分冗談めかして言うとすれば  

  • 毎週血で血を洗う全日本プロレス。外人対日本人の図式はさながら日米貿易摩擦のようであった。プラザ合意以降、来日外国人の面子が変わった気がしたのは私だけではないだろう。
  • 格闘技世界一決定戦で売り込む新日本プロレス。常に新機軸を出し続けなければならない状況は、第三次産業の伸びを思わせ、消費社会・サービス産業そのものだった。

新日本プロレスの実況・古舘伊知郎は、特に分かりやすくプロレスと時代の関係を語っていたように思う。
私の頭の中には、こんなセリフが残っている。

アントニオ猪木入場の際)
「館内、割れんばかりのイノキコールの大合唱であります。人々は現実世界で叶えられぬ夢を猪木に託し、猪木を戦いの大海原、ブルーのリングに向かわせるのでありましょうか。現代の過激なセンチメンタリズムが、猪木を今日もリングに誘うのであります」

(増え続けるマシン軍団について)

現代社会におけるフラストレーション、ジレンマが、このマシン軍団を増殖させるのでありましょうか」

※ いずれも記憶を頼りに書いているので大意です。

高度経済成長を経て世界的な経済大国になった日本。そこで闘うサラリーマンは、社会の歯車になり会社と家庭を往復するばかり。豊かさとは? 人間らしい生き方とは? この頃から「過労死」「自殺」などの言葉が聞かれ始める。反動で「マイホーム主義」なる単語も生まれたが、それはいわゆる「ドブネズミルック」と呼ばれた現代の社畜と、止揚すれば同じことではなかったか。

こういった悲哀を古舘氏はプロレスを通して歌い上げたわけである。

これ以外にも、プロレスが社会をデフォルメして見える要素はいくらもある。

  • 軍団抗争=会社の派閥争い
  • 師弟関係=上司部下
  • 反則は五秒以内=ある程度無理が通る
  • ロープに投げたら帰ってくる=しがらみ・ジレンマ

私が観ていたのは2000年頃まで。今のプロレスはだいぶ様相が違うようである。とにかく女性ファンがおおい、レスラーはイケメンぞろい。もしかしたら草食系やBL的なものとのオーバーラップがあるのかもしれない。


◆プロレスは「秘すれば花

なんだか小難しくなってしまったのでここらへんにしとくが、最後にもう少しだけ。

「ブレイブガールスープレックス」では女子プロレスを扱った。けれども本当のことを言うと、私は女子プロレスをテレビで見たことは一度も無い。生観戦は後楽園ホールで一回だけ。おのぼりさんで田舎から出てきて、格闘技の聖地だからぜひ行ってみようと、何をやってるか知らずに行ったらやっていた、という程度のものだ。

「ブレイブガールスープレックス」のプロレスシーンはブック的な記述が多い。作中に出てくる試合数は3試合(最後は除く)だが、ほぼブックが話題になる。私はかつてのプロレスファンとして(あくまでも「かつて」だ)、この書き方がいかがなものか、正直戸惑った。

しかし、今の時代はそこを突いたからと言って別段問題になる様な時代でも無いと思いもした。むしろ逆かもしれない。たとえば、テレビを見ていると、タレントたちがこんなことを言う。

「滑った」「噛んだ」「そこ突っ込むとこやろ」「塩対応」「枕営業」「事務所がどうのこうの」

仕事の内容や業界の内情を包み隠さず吐露するのが流行りのようである(むろんこれも芸の範疇なのだろうが)。そういう意味ではプロレスも、内情を含めてアウトプットした方がマーケティング的に有効ではなかろうか。もっとも、著名なレフェリーの暴露本や、アメリカの団体が株式上場に際し台本の存在を公にしたこともあって、プロレスはすでに一定の開示を済ましていると思われる。

けれども、秘すれば花ということもある。プロレスは開闢以来ずっとその真偽を問われてきた。その議論が根底にあるからこそ、プロレスは人々の意識から消えることなく、息をしてこれたのかもしれない。

まことにプロレスは、芯まで美学でできている、つかみどころのないエンターテインメントである。

最後にこれだけは言っておきます。
「ブレイブガールスープレックス」もアヲイも、プロレスの味方です。

ブレイブガールスープレックス

ブレイブガールスープレックス

 

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