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アヲイ報◆愚痴とか落語とか小説とか。

創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

無責任落語録(23)「めけせけ」

落語録 電子書籍

書の秋だというのに、KDPにまつわるあれこれを眺めていると、混沌としている。講〇社が抗議文みたいなメッセージを掲出して引き揚げたのをはじめ、読み放題の失策をあげつらう噂話が方々で聞かれる。読み放題以外にも、最近はアカウント画面の反映が遅かったり、数値が違っていたり。アマゾン屋さんは、きっと滅茶苦茶忙しいのだろうな。

そういえば、読み放題とは関係ないけど、こないだ「オヤ?」と思うことがあった。先日、何気なく自作のとある巻のアマゾンページを見たら、162円に設定していた値段が勝手に0円になっていたのである。実はその巻、よそのサイトでは常時0円で配布をしており、アマゾンのみ有料にしていた。でも……プライスマッチの申請は出していないのになんで? 

私は100%アマゾン屋さんの手違いだと思い、さっさと戻してもらうべく問い合わせた。ところが、アマゾン屋さん曰く「それでいい」のだ、とのこと。そのココロは…

Amazon では、価格競争力を最大限に高め、Amazon の出版者様にとって最適な販売環境を実現するために、慎重な協議のうえで本の価格を決定しております。また、すべてのマーケットプレイスの小売価格は Amazon の判断により決定させていただくことになっております。云々

なんとまあ。

まあ0円のままでもよかったんだけど、試しによそのサイトの値段を162円にしたら、いつと知れずアマゾンの価格も同額に戻っていた。こちらから「よそを有料にしたよ」と伝えたわけではない。一時期「0円にしたいのにプライスマッチ申請が通らなかった」というツイートが流れていたことがあったので、無料にするのは大変なのかと思っていたが、まさかの強制0円には驚いた。

それにしても、ほとんど売れてやしない私の作品に対して、リサーチというか、チェックというか、アマゾン屋さんの注意が行き届いているのは、すごいなあと思う。ご苦労様です。ほんと、最初は何が起こったのかと、わけが分からなかったよ。

 

の中、わけの分からないことだらけだ。
私たちの社会は、秩序の枠内で回っている。秩序は「常識」の集合体である。人は、互いが常識を有していることを前提にして初めてまっとうに交流できる。常識の無い人とは話にならない。信用できないから、物事も進展しない。

もしかしたら落語は常識的世界と非常識な世界を橋渡しするものかもしれない。なぜなら、ほとんどのネタが、非常識なモノゴトを「オチ」という常識的調和の中に引きずり込み、「笑い」という認識可能な方法に変換する作用を持っているからだ。つまり非常識は、落語を通じて常識的に理解されうるのである。

非常識を笑いの「燃料」とすると、笑いの点火プラグは皮肉を理解する知性であろう。個人と個人、個人と社会の間に横たわる非常識が、皮肉として知覚され、笑いに昇華される。笑芸において演者は基本的に常識的な立場に立ち、語りの中で非常識を紐解いていく。時にオーバーに、時に鋭く、時に哀しげに。本来笑芸とは、ネタそのものより、その技芸を楽しむものだと思う。

こういったロジックを落語に落とし込んだのが、五代立川談志のイリュージョンだと思う。古典落語を下敷きにすることで、どんなに過剰な逸脱であろうとも制御が可能だった。

だが、談志がイリュージョンを提唱するよりずっと以前に、聴衆を非常識の彼方に追いやるネタが存在していた。

それが今回紹介する「めけせけ」である。

 

けせけをこのコーナーに載せるべきか  。実は非常に迷った。この噺は古典落語ではないし、それ以前に落語じゃない。むろん、寄席で掛かったこともなければ、実演されたこともないだろう。

そもそもこのネタは、タモリがレコード「TAMORI2」の中で発表したものだ。日本語のハナモゲラ様式を古典落語の風合いに落とし込んだ、いかにも日本語らしき、いかにも落語らしき「思想模写」の一例示である。そういうわけだから当初は【番外編】として載せようかと思った。しかし「めけせけ」自体は最後のオチらしきところをのぞけば落語としての技芸  人物造形や所作仕草、語りの技術  を必要とするものであり、先に述べた笑芸の本来的な部分を十分要求するものだと思うから、連番に加えることにした。このネタの唯一の演者であるタモリに落語家としての熟練を認めて掲出するわけでないことは、前もって申し上げておく。あくまでネタの豊かさ、面白さである。

個人的にはタモリさんの芸は超がつくほどツボです。中洲産業大学や密室芸、一連のハナモゲラ語は、落語を愛好する前からハマってました。オペラ昭和任侠伝なんて最高ですよ。タモリさんは不世出の芸人です。

 

コードに収録された「めけせけ」は、タモリの得意な物真似や世界観の演出が功を奏し、あたかも本当の落語のように作られている。

出囃子は「野崎の送り」。華のある出囃子で聞き手の気持ちが盛り上がる。のっけの語り口は三遊亭圓生を彷彿とさせる。野崎を聴けば黒門町を思い浮かべてしまうだけに、なんだか妙な感じだ。軽くて滑らかな語り口は、本職顔負けである。ネタに入り登場人物の掛け合いになると、おかしみのにじみ出る柳家小さんの語り口に。たまに圓生に戻り、再び小さんにかえる。名人上手のいいところを抽出している。さすが物真似上手だ。音源にはお客さんの笑い声が入っているので、寄席にいるような雰囲気が見事に仕上がっている。動画共有サイトを探せばどっかにあるかもしれない。ぜひ聞いてみてほしい。

次にネタとしての「めけせけ」に触れてみよう。
簡単に言うとこんな話だ。

留公がご隠居に『めけせけ』とは何かと尋ねる。ご隠居は「『めけせけ』も知らんのか」と呆れる。
「それじゃお前、『はかめこ』は知ってるな」
「はい、それは知ってます」
「その『はかめこ』の上が『めけせけ』になるんだ。わかったか」
「へぇ……、はい」
やっぱりわからないので寺の和尚に聞きに行く。すると
「『せけめけ』は仏教でいう『へれまかし』のことだ」
それでも合点がいかないので今度は若旦那に尋ねると
「ちょうどおれも『せけめけ』について話したいところだった」
「で、『せけめて』って何ですか?」
「お前に『へけまか』と『せけめけ』が分かってたまるかい。じゃあ『もろ』なら分かるな?」
「ああ、『もろ』は分かります」
「じゃあ『もろ』に『せけめけ』ときたらどうなる?」
「ええと、『はかまか』ですね」
 そんなやりとりがしばらく続き、
「じゃあ『むかしね』の横には何がある?」
「え?」
「『むかしね』の横には何があるかってんだよ!」
 ここで地の口調になりサゲ。
『むかしね』の横には『うりしらべ』がございます。

だいたいこんな感じである。

ず理解しなくてはならないのは、二重括弧(『』)の単語は全て意味が無いということである。しいて言うなら、いかにも日本語的な音の並びであるという点  タモリは四か国語麻雀など疑似外国語ネタで人気を博したが、これはその逆の発想で、外国人が聴いたらいかにも日本語に聞こえるだろうという音の羅列を表現しているのである。

途中から『めけせけ』が『せけめけ』になるのは、なぜか分からない。レコードに吹き込むくらいだから間違いでは無いのだろう。留公のおっちょこちょい振りを表現しているのかもしれない。

噺の主眼は、留公が『めけせけ』の意味を追っていく過程で新しい言葉に出会い、ますます混乱していく様子の描写である。ご隠居・和尚・若旦那という落語界常連の顔ぶれと掛け合いは、まさに落語の空気であり、落語素人どころか、ちょっと聞き齧った人でも落語として聞いてしまうだろう。

 

の噺の特質すべき点は、オチのひと言だ。

『むかしね』の横には『うりしらべ』がございます。

非常識な世界を常識に変換し、笑いに変えるのがオチの役目である。どんなに不思議なネタも、オチを聞いて「ああ、そういうことか」「なーるほど」となり、聴衆は常識の世界に帰ってゆく。

ところがこのネタは、噺のきっかけである『めけせけ』は解決しない上に、『むかしね』という意味不明なものが『うりしらべ』というもう一つ不明な物の横にあるということを言って、いかにも満足気に噺を切り上げてしまう。聴衆は常識世界に帰してもらえず、非常識に置き去りにされる。しかも録音された観衆の拍手と歓声によって、自分だけ常識世界に帰ってこれなかったような感じがし、非常に孤独な気持ちにさせられてしまうのだ。

類似した噺に古典落語「転失気」がある。分からない言葉の意味を追いかけるという点が同じだ。こちらはオチで聴衆を常識世界に帰してくれる(超くだらないダジャレで噺が客と決別する)が、「めけせけ」は聴衆の帰還を落語の常識ごと拒絶する。まるでタモリの嘲りが聞こえてきそうである。

 

けせけ」は、常識の織りなす予定調和を遮断し、さらに、世に有り難がられる常識の根拠が実は衆愚にあることを間接的に暴露する、常に常識の対極に位置するネタである*1。 談志のイリュージョン落語にはこれは無かった。イリュージョンは常識の向こうに非常識があることを伝えながら、立地点はあくまで常識側だった。それはそれでいいのだ。そうでなくては落語でなくなってしまう。

それじゃやっぱり「めけせけ」は落語じゃないのかと言われたら  落語じゃないんだろう。無辺にカテゴライズされる落語蘊蓄の中の一つには加えてもよさそうだが、やはり落語ではない。私の中の一つの基準は「それ、寄席で掛けられるの?」である。「めけせけ」は客層を選びそうだし、後に上がりにくいだろうし、少なくとも笑いを保証できないから、厳しいのではなかろうか。

誰か勇気ある噺家さんがいらしたら、ぜひ演っていただきたいものである。

   *

今回はイヤに小難しくなりましたな。
たまには美味しいものを食べないと、脳が屁理屈ばかり言いたがりますな。
次回はもっと『ほふらわ』とした感じで書きたいと思います。
そういうわけで、次回も読んでくれるかな?
いいともー
お時間でございますm(_ _)m

無責任姉妹 1: 漆田琴香、煩悶ス。 (さくらノベルス)

無責任姉妹 1: 漆田琴香、煩悶ス。

*1:なんとなればタモリの芸風は、大衆そのものを題材にとって風刺的な傾向が強く、寄席芸のように前提としてお客様のご機嫌を伺うものでは無い。タモリはテレビ専門の芸人なのである。

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