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創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

無責任落語録(21)「搗屋幸兵衛」

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無責任姉妹 3: 機械少年の憂鬱 (さくらノベルス)

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無責任姉妹 4: 孤高少女の放心 (さくらノベルス)

無責任姉妹 4: 孤高少女の放心

 

さて…

 

突だが、文芸は哲学無しに成り立たない。哲学と言えば、なんちゅうか「」である。終わりがあるという事実が、生をより深く考えさせる気がする。人を描こうとする創作に、死の洞察は不可欠だ  なァんて言うと小生意気だが、まあ文芸に携らなくても人は死ぬし、死んでいく人を見送るのも人生であるからして、誰でも死についてはいろいろ思うわけである。

は、社会によって、時代によって、捉えられ方が様々だ。

私は80年代以前のアメリカンプロレスが大好きで、スーパースターの逸話などを好んで読んだりする。そんな中で昔とあるエピソードを読んでショックを受けたことがある。

日本で力道山が一大旋風を巻き起こしていた頃、アメリカではバディ・ロジャースというレスラーが天井知らずの大人気だった。キザでナルシストだがめちゃくちゃ強い。ダーティーチャンプの家元みたいな人で、元祖ネイチャーボーイである(リック・フレアーは彼の後継者だ)。力道山はこのドル箱レスラー・ロジャースをなんとか日本に呼びたかったようだが、あまりに人気があり過ぎて時間が取れず、結局来日することはなかった。

バディ・ロジャースは71歳で没した。その死因が哀しすぎる。スーパーマーケットで落ちていたクリームチーズに足を滑らせ頭を打って亡くなったのである。華やかの限りを尽くした人生が、どうしてこうもまあトムとジェリーのような最期なのか、無情を感じる。それよりも、このように死に方を公表するのはアメリカでは普通のことなのだろうか。死因は単に「事故死」とだけにして、スーパーだのクリームチーズだの、具体的なことは言わなくても良さそうなものを。そうでなければ、死に方によっては故人の名誉にかかわる気がする。私だったら黙っていて欲しいし、私の身内がそんな死に方をしたとしても、言わないだろうなぁ。アメリカというところは、きっと死についての考え方がドライというか、淡白なんだろう  なんて思ったものだ。戦争ばかりやってる国は、そうなるのかね……?

 

常と死の距離感は、世相に拠る。先の震災で多くの日本人が死について考えさせられた。戦中戦後は生きて帰ることが不名誉とされた頃もあった。どういう時代が良いとか悪いとかではないけれど、時代ごとの死生観を比較するのは文明文化の変遷を知る上でよい学びになると思う。

いにしえの日本を知る手立てとして古典落語を紐解くと、死を扱ったネタをいくつも見つけることができる。一般に古典落語とは御伽衆の時代から明治末までに出来たネタを指すが、そこで扱われる死は、やはり現代とは考え方・感じ方が大分違うんだなと思う部分もあるし、一方で変わらない部分もある。

う部分は、死と日常の近さだ。昔は医療が発達してなかったろうし、疫病や飢饉、天災に見舞われたらひとたまりもなかったろう。きっと日常のすぐそこいらに死がごろごろ転がっていたに違いない。死の登場する落語を一部紹介すると、「粗忽長屋」では行倒れを担いで持ち去ろうとするし、「黄金餅」では焼き上がった死体の腹をほじくって金を手に入れる。「らくだ」では屑屋と熊五郎が死体にカンカン踊りをさせたり髪をむしったりするし、「算段の平兵衛」では人々が死体をたらい回しにする。「ふたなり」や「夢八」なんてのもある。どの話も死体の扱いが随分ぞんざいだ。

むろん、こんなのはぜんぶ作り噺なので、何がどう語られようと大真面目に論じられるべくもない。けれどもじゃあ実際にこういう噺を創作してみろと言われても、死についてだいぶ柔軟というか、身近というか、あっさりとした感覚を持っていなければ、思い浮かばないような気がする。むろん現代の映画やドラマでも死はしばしば表現されているが、死体をどうこうしようという筋立ては、あんまり無い。日頃死体に触れる・接する機会が無いからかもしれない。

 

わらない部分はというと、先のバディ・ロジャースじゃないが、そのあっけなさである。死は誰にも及ぶもの。だが死に方は千差万別。「人ってこんなことでも死んじゃうんだ」そんな儚さが心をヒンヤリさせる。

なかでも搗屋幸兵衛はそれを如実に教えてくれる噺で、狂おしいほど「あちゃあ~」感のあるリアリティを醸す。

搗屋幸兵衛は、端折って云うとこんな噺である。

 長屋の家主・幸兵衛の家に搗米屋がやってきて、空き家を貸してほしいという。幸兵衛は搗米屋と聞いて昔話をする。

 昔、荒物屋をやっている時に人に勧められて、とある姉妹の姉と結婚した。しかしまもなく姉は病に罹り、「のち添えには妹をもらってくれ」と言い残して果てた。幸兵衛は言われたとおりに妹と結婚。ちょうどこの頃、裏に搗米屋が引っ越してきた。

 さて妹は姉以上に器量が良く、家事も万端してくれるので満足していたら、ある時を境に妹は調子が悪くなり枕が上がらなくなった。わけを訊くと「姉さんが妬いている」という。毎日お昼に仏壇を開けて姉の位牌にお供えをし仏壇を閉めるのだが、翌朝開けると位牌がこちらに背を向けているという。あれは姉さんが私を嫌っているからだ。そんな馬鹿な。幸兵衛が確かめると果たして事実であった。不思議だなあと思っているうちに妹はそのことで気を病んで、ついにはこと切れた。

 やれ哀し哉。二人も嫁に先立たれるとは。幸兵衛は妹の位牌を姉の位牌の隣に置いた。昼お供えをして翌朝開ける。すると位牌が二つともこちらに背中を向けている。元に戻して翌朝見ると、やはり反対を向いている。うぬ妹妻の奴、こないだまで同じことで悩んでいたのに、いざ自分が死んだら姉貴と同じことをして俺を困らせるのか…と思っていたが、
「いや、これはきっと近辺の狐狸の仕業に違いない」
 幸兵衛は決意し、仏壇を開けて六尺棒を抱え、寝ずの番をする。夜が来ても、丑三つ時になっても何も起こらない。夜がしらしら明けてくる。隣で搗米屋が起き出して、謡いながら米を搗きだす。

 ドン、ドン……。

 米を搗く振動で、仏壇の中の位牌がズッ…ズッ…と回っていく。ちょうど昼過ぎになると二つの位牌は半回転してこちらに背中を向けた。

 ……はぁ、これが事の真相か。

 幸兵衛は家を借りに来た搗米屋に言葉を浴びせる。
「先の女房は病で死んだが二番目は搗米屋に殺されたも同然!」
「や、その搗米屋と私は違います」
「なんの、同じ商売だッ! 女房の仇ッ!」

「搗屋幸兵衛でございます  
志ん生はあっさり言って切り上げる。通常なら「~という馬鹿馬鹿しいオハナシ~」などと付けそうなものだが。照れるように小首を傾げてお辞儀をする絵が浮かぶようである。

兵衛の登場する「メンドくさい家主」シリーズは「搗屋幸兵衛」以外にもいくつかある。八代文楽の得意とした「小言幸兵衛」、三代金馬の「狂歌家主」「小言念仏」、類似した話に益田太郎冠者作の「かんしゃく」もある。幸兵衛は落語の世界では立役者で、「三十石」では小言幸兵衛長屋中という名乗りさえある。数ある長屋話の中で、幸兵衛はその代表格といえよう。

ところが「搗屋幸兵衛」はなぜかあんまり演じる人がいないようだ。動画共有サイトで見る限り志ん生志ん朝親子が演るばかりで、あとは見えない。まあ噺の構成は正直よくないし、演った割に受けも薄いのかもしれない。これ、逃げ噺に入るのかな?

 

れにしてもこれほど馬鹿馬鹿しい話はあるだろうか。私は数ある落語ネタでキングオブ滑稽譚は間違いなく「搗屋幸兵衛」だと思う。位牌の謎に、幸兵衛も最初のうちは「姉の悋気だ」「妹の妄念だ」「狐狸妖怪の悪戯だ」と、オカルトじみた思いで六尺棒を汗で湿らせる。だが、実際は  人が死ぬ理由なんていくらでもある。想像と現実のギャップに可笑しさがこみ上げる。

振動でモノが動く。これはまあ「ありがち」「思いつきやすい」「ベタ」なトリックと言えよう。隣の搗米屋の振動で位牌がちょびちょび動くのは想像に足る。けれども普通はどう考えても、一つの方向にツツツと進んだり、倒れたり、そんなもんだ。だがこの幸兵衛噺では、位牌が芯を軸に回転する。きっと仏壇の位牌を置くところの板が水平じゃないか、反っているか、ささくれが出ているかして、動くのを制限しているのだろう。それも二つも。私はこの点に妙にリアルを感じる。これは実際に何かが振動で回るのを見た人じゃないと思いつかない話だと思う。昔、テレビのビックリ映像で同じようなのを見た  立体駐車場でサイドブレーキを引かずに停められた車が何かの拍子で勝手に進むのだが、ハンドルが切られたままだったので、くるっと一回転して同じところに戻って停まるという奇跡映像だ。幸兵衛の仏壇の中にも似たような奇跡が起こったのである。滑稽な中にあるこの精緻なリアルさが、搗屋幸兵衛という噺の背骨を保たせているような気がする。

 

違いで死ぬってのは、実際にあるらしい。何かの実験報告をどっかで読んだ。被験者に目隠しをして、足かどっかに冷たい水をポタポタ垂らして、「あなた血が出てます。すごい量です。あと〇分出たら死にます」と言ったら、ちゃあんと〇分後に死んだという。

位牌の動きを気にして死んだ妹は、姉の悋気に苦しめられたという思いはあるわけだ。てことは、搗米屋に殺されたというより、姉に殺された  いや、心のどこかに潜んでいた姉への思いが発露して  。そう考えたら、死ぬ方にも問題があったように思われる。姉の跡目に嫁になることに、やはりどっか後ろめたさがあって、そこにひっかかったんだろう。受け入れちゃいけないな、こういう結婚話は。

この妹さん、素直な人だったには違いない。
でもまあ、死ぬべくして死んだのだろう。
同情はするけど  こんな死に方はしたくないね

   *

以上、お粗末様です。
あ、最初にも言いましたけど、無責任姉妹3・4無料です。取ってって

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