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アヲイ報◆愚痴とか落語とか小説とか。

創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

無責任落語録(14)「六代三遊亭圓生」

落語録 電子書籍

コだけの話、数年前、設立から関わった文芸同人を破壊してしまった。そのことは非常に残念で、いまなお心にわだかまっている。破綻の原因は文芸論の違いといったイカニモな話ではなく、所属していた文芸同人にあらたな側面  すなわち「商業  を加えようとしたこと、それにともなう個々人々の価値観や技術の違い、とでも言おうか。

いま振り返っても、どちらが良いとか悪いということは無かったように思う。

変化を加えずこれまで通り純粋に文芸の真髄を標榜するのも良かったろうし、商業的側面を加味してより現代に肉薄するも悪いことではない(と思う)。ただし後者の場合、人によってはおのれの研鑽してきた文章や思想が結果を伴わないケースがある。でも、その体験とて糧にならないではないはずだ  と思うのは商業的改革論者だった私の言い分に過ぎず、客観的では無いかもしれない。

まあ、ひとつ言えるのは、どちらの立場にも「自分の標榜する世界」があり、その建設のために邁進するしかないということだ。こんなふうに言うと聞こえはいいが、現実的に文芸同人が開店休業の壊滅状態にあることを考えると、得たもの以上に失ったものが大きいのは否めないのである。

 

つの相容れない理想の衝突は、どんな世界にもあることだ。当事者はアワを喰ってバタバタするが、傍目にはイデオロギーのぶつかり合うちょっとした物語である。

  これはおなじみ落語国の物語。

1978年、六代目三遊亭圓生落語協会を脱退し、落語三遊協会を設立した。大量の真打昇進を許した落語協会に「ノー」を突きつけたのである。その理由は

「安易に真打を増やすべきではない」

この経緯の眼目は、真打に対する考え方の違いである。時の落語協会会長・柳家小さんは「真打昇進は落語家のスタートライン」ととらえていた。一方圓生は「真打は落語家の最終目標」という考え方。どちらも言い分としては筋が通っていると思う。

遊亭圓生をざっと紹介しよう。
幼くして義太夫語りになり、のちに落語家に転身。父・五代目三遊亭圓生の名を継ぎ、六代目となる。ややキザッたい芸風で好まれなかったが、戦中に満州で苦労の限りを尽くし、戦後は「妾馬」でブレイク。八代目桂文楽・五代目古今亭志ん生の死後、名人の名を恣にした。「首提灯」で文部省芸術祭賞、落語家初の御前口演など演者冥利を重ね、さらに伝統への貢献として「圓生百席」や「人情噺集成」を録音するなど、噺を後世に残す活動も行った。

そんな圓生について、私は不思議に思うところがある。

三遊派の芸風は圓朝以来、人情噺を要にしている。つまり人の情についての洞察は、落語家の中でも尽くされているわけである。
また、ある時桂文楽圓生を評し「圓生は無駄ばかり。私のは全部が十八番」と言ったのに対し、圓生

「あの人のは無駄が無さすぎます。噺はあんまり固めすぎると芸に血が通いません」

つまり芸には「緩み」が必要というのである。

これらを総合すると、一人の落語家のあるべき姿  それが真打だろうが何だろうが、古典落語家だろうが新作落語家だろう  に対し、思想的に融通を聞かせられるのが圓生の立場であるように思える。

だが、現実は真逆だった。

古典落語至上主義。芸の無い噺家はどれだけ売れても認めない。芸のあり方によっては弟子でさえ切り捨てる。中には非業の最期を遂げた弟子もいる。

異常なほどのストイックは、落語という融通無碍な世界の裏返しで、だからこそキッチリとしたものを望んだのだろうか……不思議である。

を戻そう。
圓生にとって落語とは何だったのか。そして彼が相容れないと考えた落語協会の落語とはなんだったのか。
私見で甚だ恐縮だが、答えはどちらにも無かったのだと思う。
彼らが考えていたのは「落語家」のことであり、大衆の愛する「落語」ではなかったのかもしれない。無論、落語家がいなければ落語は存在しえない。けれども伝統だ芸能だと呼ばれる以上に、落語は「客」のもので、それが両方になかったのではないか。そんな風潮が兆してか、分裂騒動以降しばらく落語は低迷の時代を迎えることになる。

 

て、圓生を教訓に、先の私的な文芸同人の解体は、どこに視点を置くべきなのか、改めて考えてみる。
……私にはたぶん答えは見いだせないだろう。おそらく、同一平面上で対立する片っぽである私には知り得ない別次元に、答えがあるのだと思う。
あるいは「解なし」「ゼロ」「無限大」……。
時が経ち、縁が寄り、その時また新たな価値観が生まれ、過去の因果を止揚してくれるのを祈るばかりである。

   *

それにしても圓生は皮肉だ。
パンダとの死亡記事の面積の比較は今でもネタにされる。落語協会の席では今なお圓生の弟子の川柳川柳三遊亭圓丈という新作の二代巨頭が活躍している。圓楽一門は日本テレビ笑点」を通じ、落語協会の向こう岸である落語芸術協会と近づきつつあるようだ。

最近少しずつ落語は人気を呼び戻しつつあるように思われる。落語オタクの私としては、仲間が一人でも増えるのはうれしい限りです。

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