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アヲイ報◆愚痴とか落語とか小説とか。

創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

無責任落語録(5)「三方一両損」

落語録

始草々、付き合いの関係から、生命保険の話を聞いた  というより「聞かされた」。
日頃そういうことに疎いものだから、成程勉強になることも多々あった。だがどうしても「聞かされている感」が強くって、何をどう説得されようとも決して勧誘されまいと意地だけが色濃くもたがり、きっと私の顔は始終イヤな奴のそれだったに違いない。

 

いたいそもそも、生命保険というのはいつからあるものなのだろう。
そう思ってその人に聞いてみたところ、戦前にはすでにあったのだという。だがこれは特別で、限られた金持ちにのみ許された備えだったとか。
一気に拡大したのは戦後だそうだ。
戦後、世の中には戦争未亡人が溢れかえっていた。彼女らは何とか職に就いて自分たちの口を糊し、老いた親や残された子供を養わねばならなかった。そこに目を付けた生保会社は、保険外交員として彼女らを雇用し、その身内を勧誘させることで規模を拡大したという。
いわゆる「セールスレディ」の始まりである。

 

ょっと話が逸れた。保険のことだ。
戦後からウーンとさかのぼり、江戸時代はどうだったのか。
将来の備えという考えはあったのだろうか。

古典落語三方一両損には、当時の考え方が垣間見える。

三方一両損」とは…

政談物のひとつ。神田白壁町の長屋に住む左官の金太郎は、ある日財布を拾う。中を見ると<神田堅大工町の大工・熊五郎>の書きつけと金三両。金太郎は熊五郎を訪ね、返そうとするが、熊五郎は「一度俺の懐から出ていった金などいらん。持って帰れ」と突き返す。金太郎は「金を拾って届けてやって喧嘩を売られてたまるか」とやりかえす。喧嘩になったところを長屋の家主がわって入り、事は奉行所にまで発展する……という噺。

そもそも江戸っ子は「宵越しの金を持たない」ことを潔しとして、とりわけお職人衆は稼いだ日銭をその日のうちに飲んでしまい、きれいさっぱり使い切ったという。

こういう発想はどこからくるのだろう。
九鬼周造氏の「『いき』の構造」によると、意気とは「媚態」「諦観」「意気地」であるという。突き詰めると滅びの美学というか、死に様の美学というか  江戸っ子はやはりどこか将軍の膝下らしく武士道に似た哲学で人生観を感得していたのかもしれない。

こんな川柳がある。

江戸っ子の 生まれ損ない 金を貯め

貯め込むことを忌み嫌うというよりは「浮世に生まれた者なら滅びは定め。先々を永らえようとする生き方より、今をよく生きることを優先するべきだ」という考え方のようだ。「生まれ損ない」という言い回しは、そこまで思いが至らない野暮天を揶揄した表現であろう。

これらの考え方にかざせば、熊五郎の美学も、金太郎の憤りも、分からないでもない……気がする(所詮私は江戸っ子じゃないから分からんよ)。

 

らに「三方一両損」は教えてくれる。

熊五郎の暴言に、熊五郎の長屋の大家は「奉行様に願い出て白洲の上で詫びをさせるから」と金太郎に謝罪する。その話を金太郎から聞いた金太郎の長屋の大家は「お前の顔は立ったかもしれんが、俺の顔が立たん。こっちからも訴え出る」と訴状を出す。

長屋が登場する噺では「大家といえば親同然、店子といえば子も同然」という言葉がしばしば出てくる。大家と店子は親子みたいなもの。この当時は、長屋など近所の付き合いが色濃く、顔の立つ立たぬにまで及んだようだ。このくらいが深ければ、きっと相互扶助も強固であったに違いない。今日でも田舎の集落などに行くと「祝儀不祝儀」の習慣がある。助けたり助けられたりする日々に、わずかでも安心感と感謝を抱くのだ。

これこそ、今でいう保険の始まりなのかもしれない。

それを思うと、一生懸命研究していい保険に入るのもいいが、それ以前に、良き家族や友人を持つことの方が、将来的にもずっと素晴らしいような気がする。

もちろん備えは必要だけどね。何ごとも、先立つものが要るのは確かだ。地獄の沙汰も何とやらと言うし。

  おしまい。

追記:これってよく考えたら「共済」の話だよね。「保険」というと、ちょっと違う気もする。さてはや今回は話題が執筆的な要素と絡まなかった  途中までは「保険をかける書き方」みたいな何かを言う計画だったんだけど。もう眠くなったので、END。

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