プロフィールのところにも書いているが、八代目三笑亭可楽という咄家が私のお気に入り。とうの昔に鬼籍の人だ。
地味で暗い芸風だが、一度この方の魅力に取りつかれたら離れられない。
この人の凄いところは「省略」のテクニック。
ふつう一時間くらいかかる噺も、彼の手にかかれば20分以内に収まってしまう。それでいてどこを縮めたのかよくわからない。まんべんなく削られているのである。
どんなネタも15分前後。30分以上やっているのはあまり聞いたことがない。おそらく、寄席であまりトリをとらず、膝前なんかが多かったのだろう。
ところで、小説を書いている時に、既定の枚数を大幅に超えてしまい、苦労して書き上げた原稿を削らなければならないことがある。公募などの場合は特にそういうことがある。そうすると大幅に省略をしなければならないのだが、どうしても削げなくて困ることがある。
あれを削ったらこれをなかったことに、そうするとあの人のあれは知らなかったことにして、じゃああの件は誰がどうするの……?
可楽師匠ならどうするかなぁ、なんて考える瞬間だ。自分は書かないけどミステリーなんかだと大変だろうな。
もっとも私の文章はもともと無駄が多いので、推敲時に普通に削っても三分の二くらいになる。つまり100枚書こうと思ったら一度150枚くらい書かなきゃならんのだ。
そんなんだから、時々段落ごと削っちまうこともある。
「これ、よぅく考えたら要らんわな」
プロットの段階で破綻しているわけだ。
その時はいいと思っているんだが……不才を嘆く。
無責任姉妹もホントは一巻くらいで収まったりして。
もう一つ可楽の凄いところは、あくまで省略であり、カットではないことだ。
だから可楽の噺では、可楽の師匠世代のテキストのくすぐりなんかがそのまま残っている。くすぐりみたいなのが一番削りやすそうな気もするのだが、落語でその辺を削いじゃうと無味乾燥になるだろうから、そこは止めたのだろう。
※ くすぐりってのは、ギャグみたいなもんだよ。
もう一人、削りの達人みたいな人として八代目春風亭柳枝という人がいるが、この人はまずもってくすぐりから切っている。そんなだから「という人がいる」という表現をとらざるを得ないところを、お察しいただきたい。
また小説の話に戻る。
書き上げた原稿を推敲している時、
「嗚呼、切りたくないよ切りたくないよ。でも入らないよ」
と言って泣く泣く大幅カットしたとする。
それから2日ばかりして読み返した時
「嗚呼、やっぱり切らなきゃ良かった」
と言って戻した試しはない。
私の場合、切って良かったと思うケースがほとんどだ。
でも、ホントのことを言うと、良いか悪いかなんて分かっていない。脳が自分の作品の姿をそういう形に見ようとしてしまい、判断が現状に流されるのだ。案外他人が読んだら削りすぎて意味不明か無味乾燥になっているのかもしれない。
だがそれを筆者自身が知るには、作品の内容を一度忘れ去るくらい時を経なきゃならないだろう。
基本的にストーリーの省略やカットというのは、一度やると戻せないのである。
だが、可楽は戻せたという。
寄席でお次の咄家が到着していないから自分の出番を伸ばしてつながなきゃいけない時、可楽はいつも15分で演るネタを20分、30分と伸ばしたそうだ。伸縮自在である。こういうのは、その話の構造を熟知しているからこそできる芸当だ。
可楽師匠はやっぱりすごいなあ。
おススメは「味噌蔵」「八五郎出世」「うどん屋」など。
かなり持ちネタの多い師匠である。
▼かなり珍しい八代目可楽師匠に関する単著。