アヲイ報◆愚痴とか落語とか小説とか。

創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

読書。

多読も濫読も積ん読も称賛される世の中で、逆に一冊の本を徹底的に読み込むという経験も推奨されるべきだと思う。

だが、注意が必要だ。
そもそも人は本からは自分の知っていることしか読み取ることができない。
だから独りで一冊の本を繰り返し読んでも、独りよがりが強まるだけで、偏った読書になってしまうのである。
そういう意味では本なんてザッと読み通すくらいが健全なのかもしれない。

でも、それを言っちゃあ身も蓋もないので、話を「徹底読書=徹読(マイ造語)」前提に進めよう。

徹底的な読書は、大学の文学や哲学の卒業研究みたいなものでなくては経験できない。担当教官の指導の下、読む前にその本の書かれた時代背景や作家の生い立ちをさらい、ゼミで議題にし「何をどう読むか」をある程度決める(複数人で読むのだ)。準備が整ったら一行ずつ舐めるように読んでいく。途中、章ごとにゼミでディスカッションをする。引用された文献を読む。

そんなこんなで半年ばかりかけて一冊を読み通すのである。

本との絆はスゴイものになるよ。
学生時代にこんな感じで共産党宣言なんか読んじゃうと、ずっと赤なままになるのも分かる気がする。だから注意が必要だ。

何もこういう読み方が正しいとか、有意義だとは言わない。
徹底的に読み抜いて出した答えが、筆者の思惑とはまるきり違うなんてこともあるだろう。
場合に依っちゃあ、筆者の方が徹読した人から自著の感想を聞いて「ああ、そうですね! そりゃ気付かなかった!」というのもある(というのをどっかの作家のエセーで読んだ記憶がある)。

でも、こういう読み方も経験しておいて損はないと思う。
私はしばしば感じる。
「読む」ことは「書く」ことよりずっと難しい
読んだ本の量も大事だか、もっと大事なのは豊かな読書体験だ。

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