小説の公募への挑戦は、15年位前にやったきりだ。
かつて私の周辺に、高踏主義を宣言し「公募なんてェのは、商業出版への迎合だ」みたいなことをのたまい、脇に落ちたという人がいたらワァワァ言ってけなしている人がいた。
そういう人は好きではないな。
何ごとも、一生懸命やっている人をどうこう言うのはどうかと思う。投稿して受賞して何千部もバンバン売った人が言うならいざ知らず。でもそういう人は却って先程のようなことをのたまうことはないだろう。
投稿する人っていろいろなタイプがいる。
ざっと分類したらこんなじゃないか?
- 「有名」になりたい人
受賞の名誉・世間的な評価が欲しい。己のコンプレックスが育んだ表現物を権威に評価してもらうことで、世間一般に逆襲したい。 - 「作家」になりたい人
作家と云う商売に憧れている人。作家と云うとペン一本で感動を巻き起こす魔法少女みたいな存在だと思っている。実際は士農工商でいうと下から二番目の「工」。お職人なら渋いじゃんと思いきや、実情は市場のご機嫌をうかがう太夫(芸者)である。 - 「賞金」が欲しい人
でも後から応募作品にかけた全時間を算出したらコンビニのバイトの方がずっとマシというケースがほとんどだ。しかももらえるのは一番の人ひとり。
実際は「書き終わったものを放っておくのもなんなので、ちょうど公募ガイドをみたらタイミングが合ったから送った」みたいな人が多いのではなかろうか。私もそうだった。
さて、かく言う私は今日まで無冠である。
「出せばいいのに」
そんな風に云ってくれる人もいる。でも嫌だ。
何が嫌って、あの当落を待ってる間が嫌だ。毎日KDPの売上ページを覗くのもなんだか嫌なのに、何カ月も後の発表を待つのは精神衛生上よくない。
趣味で書いてるのに苦しむなんてねえ。
それもひとつの手応えなのだろうけど。
「送りたい」と思ったら送ればいい。
決める必要なんか、そもそもないわな。