アヲイ報◆愚痴とか落語とか小説とか。

創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

今ファミレスでぼんやりしているんだけど…

午後三時くらいである。

れた席に一人座っているおっさんが、電話をはじめた。店の中はぼくとおっさんだけなので、マナーについては不問としたが、その内容が丸聞えになってしまうのが、こちらが盗み聞きをしているようでなんともバツが悪かった。

おっさんといっても、もうおじいさんだった。

彼はどこかの会社に電話を掛けていた。

「あの、私は実は、お宅の社長と知り合いのもので、その、社長が入院しているという話を、ちょっと耳に挟んだものだから」

 名は明かさずに話をしている。

「で、あの、どんな具合なんですか? あと、その  ほんとに入院をされているのですか?」

よお訊くわ」と思った。

素性の知れない人物に社長の病気を教える会社なんてあるだろうか。社長の体調というのは、会社の情報としてそのビジネスにいろんな影響を及ぼす。武田信玄だって三年知らすなと言ったほどだ。
それがこのおっさん  見た感じ、そこそこ社会的地位のありそうな感じの人だったから、そういうことを知らないはずがないと思うが。

「いや実は、私、御社のお客さんの知り合いで、ちょっと知りたいと言われまして」

なるほど、おっさん、そうきたか。
しばらくし…

「ああ、そうですか。面会できない、と」

どうやら入院しているということは言ったらしい。電話向こうの人、若いんだろうなあ。「御社のお客」といわれ、揺れる思い身体中感じて。

その後おっさんは「じゃあまた一か月後くらいに掛けさせてもらいます」と言って電話を切った。

そうしておっさんはまた別のところに電話をかけ始めた。

さあぼくは、このタイミングで期待した。
「ぜったいこれは、探偵だな」
「銀行だな」
「保険会社だな」
「証券会社だな」
いまからクライアントに「ターゲットの病気は不明だが入院は確実である」とニュースを伝えるに違いない。

と思ったら、違った。

「〇〇さん? いま××さんの会社に掛けてみたよ」

どうやら共通の知り合いらしい。

「うん、教えてくれなかった。でもね、やっぱりどっか悪いみたいで。だからさ、また何度か電話かけて、うん……そんとき快気祝いしようや…」

ぼくは自分を呪ったよ。やましいなあ。小説脳をこじらせすぎだなあ、と。

 

としては、これだけなんだけど、ちょっとピーンと感じたことがある。
老境に差し掛かった自分の親のことだ。
年が年だけに、年に二、三回は病院に泊まって大なり小なりチューンナップを試みている。そのたびに、虫が知らせるのか、親の携帯に親の友人が電話を掛けてくる。だが、親は出ない。なぜでないのかと訊くと

「お見舞いとか迷惑をかけるし、お返しとかさ」
「前に向こうが入院した時に、何もしなかったから」
「入院姿を見られたら恥ずかしい」
「元気になったら会えばいいよ」

そう言って、自分たちの病をひた隠しにする。面倒を消すのである。親の友人たちにも同じ考えの人が多いようだ。

しかし老境に差し掛かると、軽いつもりで入院して、上記のようなセミ面会謝絶をぶっこいたまま、拗らせて永眠ということもありうる。

入院して着拒したまま逝く人はそれでいいけど、外で気掛かりにしている人にしてみれば、なんと薄情な友人であることか。後から死んだと聞かされて、ハードボイルドに「奴の気持ちも分かる」と言ってみても、心の中じゃモヤモヤしたまんま。たまったもんじゃない。

無理してでも会っときゃよかった。

あの世で再会とか、ぶっちゃけ無いぞ。

 

しかすると、先述のおっさんは、そんな思いをいっぱいしているのかもしれない。だからこそ、疑われるのを承知で、拒否られて当然と分かって、突貫電話を掛けているのかもしれない。高齢にして世間知らずの汚名を浴びても、なお友人の安否を確かめずにはいられないのだ。

だとしたら、泣けてくる。。。

泣いたら笑ってください。
学園コメディ。

学園コメディ無責任姉妹: 超特盛マックスエディション

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投稿中年、ボヤく。

しく小説を文学賞に投稿しようと思っている。ほとんど気まぐれと言ってもいいのだが、その気まぐれは今年の正月あたりからくすぶっていた。どこの賞に、というのはとりたてて決めず、文学賞によくある傾向に則り、とにかく何か書いてみよう、と。

作品自体は5月くらいに仕上がった。その後は雑事にかまけて放ったらかし。ふた月に一度くらいファイルを開いて「チョイ直し」を試みたりした。そのたんび自分の原稿のボロボロ具合に愕然とし、たちどころにファイルを閉じるか、自己嫌悪が希釈されるまで手直しに興じてみたりした。

11月を過ぎたあたりで、「この賞がいいかな」とあたりをつけ、さらに直したり壊したり。12月となり募集期間がはじまり、昨日は百何枚かプリンタで刷り出した、というところ。こういうことをするのは十数年ぶりで、なにかこう、ムズムズする。尻が痒くなる。

あとはポストに咥えさすだけだ。だが、正直なところ、どんだけ推敲しても「これ!」という風にならずに悶えている。文章のはしばしどころじゃない。物語全体にしても「これおもろいか?」と疑念がわく。自分の作品に自信がわかないのである。我が子を愛せないのである。ううむ。それでも締め切りはくる。

グリーンボーイ・アッパータイム

グリーンボーイ・アッパータイム

間だから夢は見る。「賞をとったら賞金で云々」「もらった金で云々」「頂戴した報奨金で云々」全部カネだ。まあいいじゃないか。ところが、一旦現実に帰って、その投稿先のサイトなりなんなりをみると、「はぁ」とため息が出る。「この審査員の本を面白いと思ったことはないなあ」「この審査員の文章のリズム、あわないんだよなあ」。くわえて、どこの賞でもそうなんだが、一等賞になった小説を読んで「これいいなあ」「すばらしいなあ」と思ったことは、ない。こんな陣容の文学賞に、仮に「自分で愛せない自分の小説」が選ばれても、何が何だか分からないことだろう。

「じゃあなんでそんなところに出すんだよ」と言われたら身も蓋もない。
枚数とかの関係でして。

もしかしたら、私が文学音痴  文痴なのかもしれない。いや、かなりの確率でそうに決まってる。人が面白いと思うのはたいがい面白いと思わないし、なにごともひとりで面白がってばかりいる。えてして共感というものがない。それはぜんぶ感性が音痴だからだ。やはり文学賞の先生たちは偉大で、選ばれる賞は珠玉の作品なのであり、それが分からない私に問題があるのである。だって、そうじゃないと、文学賞の権威ってものがそもそも成立しないでしょう。みんなが投稿するってことは、それがすでに巷に確立しているものと、私は信じているのである。

 

こ数日、漫才コンテストの件で若い人が偉い人に何か言ったとか言わなかったとかで、ボヤ騒ぎが起こっている。そんなネット記事の関連記事で、ビートたけし明石家さんまといった有名な人たちが、「お笑いに点数を付けるなんてどうかと思う」と苦言を呈している。むろん件のコンテストは、売り出すためのコンテストであって、純粋な評価機関ではない。そうは分かっていても、やっぱりこう、一等賞がきまるとなると、世の中いろいろと動いてしまうもんだ。

文学賞もそうだと思う。80点の老人にやるより、70点の若者にやった方が、のびしろがあり、出版社を潤し続ける可能性は大だ。思惑、というものはどんな世界にもあるのである。いずれにしても、やはり、たけしさんまの言及通り、芸事に数量的な評価をくだすのは、そもそもどうかと思う。

どうかと思うと言えば、フィギュアスケートが、いつもひっかかる。あれは技術点のほかに表現なんかも点になるというが、そんならみんな音楽とか衣装とか、はては演目の技の流れとか、全部一緒にならないと、競技として評価できなくはないだろうか。
漫才コンテストも同じように、全部ネタを統一して基準とする  たとえば、全組みダイラケの「家庭混戦記」をやらせるとか。歯切れと間合いだけで審査する。ネタ自体を勝負するなら漫才作家コンテストをやればいい。落語のコンテストなら、全員「子ほめ」とか。

つまんなかろうなあ。興行として成立しない。

にかく、わたしの原稿は、あとはポストに放り込むだけだ。「もうこれで決行」と自らに断じているのだが、やはりいつまでたっても、どこまで粘っても、悶々とする。もともと完成が見えにくい芸道だから、いつまでもひっかかる。

世の中にはなんどもかんども投稿をしまくっている人がいる。すごい精神力だと思う。選ばれるのも選ばれないのも非常に不透明で多分に主観の強い世界において、投稿者は我が子たる作品の命運をまかしきる。そのメンタルは、並大抵ではないと思う。

ブレイブガールスープレックス

ブレイブガールスープレックス

鉄板を背負った一週間

ちょうど一週間前だった。覚えている。一週間前の土曜日、昼下りくらいからじわじわ肩が凝りだし、時間が経つにつれ浸食していくように背中じゅうの筋肉がこわばり、数時間でにっちもさっちもいかなくなった。広がっていく感覚を、よく覚えている。一時期、氷水をかぶるのがはやったのがあったが、あの病気に罹ったのかと思ったほどだ。

グリーンボーイ・アッパータイム

グリーンボーイ・アッパータイム

先週の金曜日  実は、「これまずいよな」と感じていた。久しぶりに外で仕事の原稿を書いた。ドトールで、モバイルパソコンで。久しぶりの外環境だったので、妙にはかどった、というか、のめりこんだ。モバイルパソコンというのは、小さい。しらずしらずのうちに、身体がまるくなる。肩がせばまり、首がのめり、背中がずっとまがったままになる。これはきっと肩か腰にくるなー、と予感していた。

案の定だ。翌土曜日に始まった異常な凝りは、日曜月曜と経つうちに、どんどん強張り、面積を増し、両肘、両ももの外側まで達した。しまいには息をするのも苦しくなった。その間も、原稿が溜まっていたので、ずっと仕事はしていた。さすがにモバP@ドトールではない。自分の家で、首にマフラーをぐるぐる巻きにして  コルセットの代わりだ:痛みのあまり首を自立できずにいた  、デスクトップパソコンで作業した。

いままで、肩凝りなんて、放っておいたら治っていたのに。
今回は全然治らず、火曜日の朝にこらえきれず整体に行った。
若い先生、こう言った。

「あちゃあ、重症だね」
(触りながら)「うはw」
「これは通ってもらわないと……」

マジかよ。
通う時間が惜しい。保険が利くとはいうものの、金もかかる。
良い事ないな。

肩凝り腰の痛みは職業病だ。パソコン仕事をする人は、避けられない運命かもしれない。自分でもそう思っていた。だましだましだよねえ、と。
けれども、今回のように、日常生活に完全に支障が出るクラスのやつは、だましだましというレベルじゃない奴は、どうしようもない。
まるで一週間鉄板を背負っていたかのようですよ。重いだけじゃなく、鉄板が身体に食い込んで痛い。一週間経って多少軽くなった気がするけど、それでも分厚い木板ぐらいの感じはするのです。

まあ、姿勢に気を付けるしかないんでしょうけどね。


▼これ私の本です。

ブレイブガールスープレックス

ブレイブガールスープレックス

 

整体の診療代に、ご寄附のつもりで('A`) おもしろいよ。

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