読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

アヲイ報◆愚痴とか落語とか小説とか。

創作に許しを求める私の瓦斯抜きブログ

無責任落語録(26)「八代林家正蔵」

まさらながら、無責任姉妹3・4巻の合体本を出した。

ついこの前、各所に御免を蒙ってシリーズ全作をアマゾン一極集中、KDPセレクトに登録しキンドルアンリミテッド対応にしたばかりである。合体本のリリースは、全品がKU対応である以上、KUの利用者に大きな意味は無い。出す側にしても、ランキングを気にするならむしろ合体版なんかない方がいいのである。

それでも出したのは何故か。

うーん。自分でも分からない。

ただ、ひとつ言えることは「何かしてみたかった  それだけである。別に大それた野心を抱いているわけではないけれど、アカウント画面の折れ線グラフがほとんど動かないという閉塞感を打破するために、何かせずにいられなかった。あと、どうせ売れないのなら、安価でいいからできるだけ多くの人に読んでもらいたいという思いもある。

 

あ。
今うかつに閉塞感なんて言葉を用いたが、これはまさしくブーメランのように自分に返ってくる言葉だった。

だったら物語を書けよ。それが本懐だろ。

自分もまったくそう思う。書くのが好きなら、自分の道だと思うなら、そっちに邁進すればいい。一度公開した作品なんて、よほどのことがない限り振り返る必要は無い。いまのいま沸き立つ想いを、ただひたすら新しい原稿用紙に綴ればよいのだ。

だが、それができないから、本の表紙をいじったり、売り場の設定をいじったりする。閉塞感はあるけれど、沸き立つようなものは何もない。空虚な自分から目を逸らす現実逃避なのである。

売れないこと、手に取ってすらもらえないこと  こんなことは私の趣味書き人生においてザラだし、私の周りにいる人、いた人、おそらくこれから親しくなる人だって、ほぼほぼ同じだろう。だがこの焦れるような時間を経験することで、私たちはますます強くなり、なおかつそのような時間の連続にも卑屈にならずに文芸を続けることができたなら、いつか海路に日和がくる  と信じたい。これは切なる願いである。

けれども、現実に卑屈にならずに生きることの難しさといったら。私がしばしば耳にする「分かる人だけ分かればいい」という言葉は、誠実さのほとばしるような感じがして聞こえは好いが、現実には虚しさが漂う。「分かる人だけ分かればいい」ものは、はじめから分かる人にだけ渡せばいいのである。リリース後に言っても、ねえ。気持ちは分かるけど。

 

塞感なんてお構いなしに、頑固に己を貫き通し、周囲の調子に決して揺るがず、求める道を邁進する  そんな生き方ができればそれにこしたことはない。でも人はなかなかそう強くあれるものでもない。そのことを考える時、私がいつも思い出すのは八代目林家正蔵である。

八代目林家正蔵を私はリアルタイムで観たことはない。けれど、たくさんの口演がCD等で残っているので、比較的良い音質で往時を聴くことができる。独特のぶるぶる声、いかめしい佇まいは、いかにも頑固な伝統芸の求道者である。

 

の師匠、没後どのくらい経てか知らないが、他の噺家たち(むろん正蔵師匠より若い)からしばしばネタにされる。現在ベテランクラスの師匠連が、本や落語のマクラでこんなことを言っている。

正蔵師匠が受けたこと? ないよないよ。トリでさらったなんて、一度たりとも見たことない。

その日、いつも受けない正蔵師匠がいつも以上に受けなかった。

「戸田の渡しは雪でござい」って、なんなんだろ?

ヒドイ言われ方だ。
「ホントにそうかな?」
そう思って改めて聴いてみると、確かにあんまり笑うところが無い。録音の場合、客席も同録されるが、そこにも笑い声が無いので、寒々しいことこの上ない。

けれども正蔵師匠の噺は他の噺家のそれとは一線を画している部分がある。正蔵師匠の噺は「笑う」ものというより、「聞く」ためのものではなかろうか。客席が静かなのも、みんな聞きいっているからなのだ。もっとも、声がぶるぶるしているので聞き入らないと何を言っているのか分からないという点は否めない。

 

正蔵師匠はどう思っておられたのだろう。他の演者の時と比して、客席の温度差は明らかだったと思う。正直私も長いこと「正蔵さんはつまんない」と思っていた。だが、いくつか噺を聴くうちに「これは」という発見をしたことがあった。

それは「ちきり伊勢屋」の聞き比べをした時だった。

ピックアップした演者は圓生志ん朝正蔵の三者。圓生は最初に聴いたので評価基準に落ち着いた。志ん朝は彼らしくなく問題外だった。最後に期待せずに聴いた正蔵師匠の口演  ラストシーンの鮮やかさといったら! 情景が目に映るようだった。圓生志ん朝も一気に色褪せた。朴訥とした語りの中に、登場人物の熱っぽさが生々しく描かれていた。

だが、正蔵師匠の「ちきり伊勢屋」はプロットをかなりアレンジした内容だったので、最初に聴いていたら噺の意味すら分からなかったかもしれない(その点圓生師匠は丁寧でどんな噺でも最初から聴ける)。再度聞くと、ちょっと無理があると思うくらいの長口上や、無理なカットワークも無くは無い。

しかし、確かに私は初聴きで正蔵師匠の口演にビリリと来たのである。

正蔵師匠の落語は、ある程度聴きこんでいる人の耳にしか伝わらない部分があるように思われる。それはおそらく現代に絶滅しかけている落語耳、視覚メディアがほぼ皆無の時代、想像力逞しい明治大正昭和初期のオーディエンスだけが持ち合わせていた耳の良さである。正蔵師匠の口演は、通耳ありきの芸なのかもしれない。だとすると、私が「つまらない」と流し聴きしていたネタにも、実は正蔵師匠の果てしない芸が詰まっているのではないか  そう思うと、はて奥の深いものである。

 

朝最後の直弟子・三遊一朝を頂き、廃れなんとする道具立て芝居噺を続け、最後まで圓朝噺に取り組むなど、正蔵師匠の落語の求道者としての横顔はどこまでも真摯である。とりわけ一朝に落語を学ぶことは、近代落語の祖・圓朝と合一たらんとすることで、そのことが師匠の頑ななまでの精神性を形づくったのではないだろうか。くわえて「トンガリ」と呼ばれた馬楽時代や、彦六に名前を変えた経緯などを考えると、筋を通そうとする真っ直ぐな性格が正蔵師匠自身をますますストイックにしていったのではなかろうか。だから周りがどれだけ揶揄しようと、客席が水を打ったように静かだろうと、「おォれェは、おれェの落語をャあルぅぞゥお~」と、頑固一徹に己の落語を貫き通すことができたのだろうと思う。

でも、そんな師匠が「ステテコ誕生」という鼻の円遊の珍芸出世譚を演るってのは  どこかああいう芸にも憧れがあったのかもしれない。

正蔵師匠は持ちネタは多からず少なからず。以前何かの本で、立川談志がある師匠を評して「持ちネタが多い? 売れなかったってことだろ」と喝破し胸のすく思いがしたが、晩年ぶるぶる声の正蔵師匠も若いうちは声にみずみずしさがあり、噺も丁寧で、そこそこ人気があったと思われる。「中村仲蔵」「死ぬなら今」「お血脈」「戸田の渡し」……地語りの多いネタが多い気がする。あと廓噺。大のお勧めは「五人廻し」である。国立劇場の録音は客席もノッていて師匠もノリノリの感がある。

   *

まあ、八代目林家正蔵の一途な落語求道を通して、芸道に励む者の在り方を模索してみたわけだが、結局のところ分からんね。芸人は売れなきゃダメだ  これは志ん朝師匠が言っていた言葉だが、まこと真理であると思う。売れることで欲が出る、良い意味でプレッシャーにもなる。結果、芸が向上する。売れなければ卑屈になり、ダメになっていく一方だ  かの志ん朝ですら、閉塞感の及ぼす精神の矮小化を怖れていたのかもしれない。

誰もが正蔵師匠のようにストイックにはなれない。漠と立ち込める不安の中で己を保ち努力を重ねている時だけが、安心感を覚えられる。倦まず厭わず、飽きずにやってくしかない。

ただし、努力は自分を裏切らないが、成功を約束するものではないことを、忘れてはならない。

おしまい。

 

速報・口内炎についての記者会見|体内環境省

平成29年2/4(土)17:24分 配信

会見者:
ええ、お集まりいただきありがとうございます。みなさまご承知の通り、先月末より続きました感冒がほぼ平癒しました今、喫緊の課題は、口内炎であります。目下口内には大小の口内炎が無数に発生しておりますが、憂慮すべきサイズの口内炎は4点でございます。そのうち3点が舌部にあり、1点が下唇にございます。舌部3点のうち2点が舌裏部、1点は上部にございます。舌上部の口内炎は、ほとんど舌の先端でございまして、深さもあり、現在最も痛みを伴っておりますのがこれでございます。私どもはこれをハリーと呼んでおります。

※ 以下一問一答。括弧内は記者質問

(憂慮すべきサイズとはどのくらいの大きさを指すのか)

口内炎と申しますのは大きさに関係なく小さい物でも刺すような痛みを発しますが、ここで申します憂慮というのは、飲食時・会話時に不便をかこち、かつ過咬合等二次災害をもたらす危険性のあるものを指しておりまして、分かりやすく申しますと直径が12ミリを超える規模のもので、ございます。

 

(ハリーは現在も巨大化傾向にあるのか)

まず個々の口内炎の発生経緯についてご説明いたしますが、この憂慮すべき4点の口内炎が確認されたのが五日前の火曜日、はじめに個体がインフルエンザに感染しまして夜陰にジャーキングを引き起こし、舌を咬合したことにより舌の表裏に1点ずつ裂傷を負い、そのまま白斑円状化しました。うち裏面が下唇に接触・浸潤し白斑円状化、それをまた罹患個体が咬合したことにより  ええ、これは一昨日の夕飯時のことで、激しく咬合され流血と相成りましたが  一層巨大化しております。舌の裏面のもう一点は、発生時点は定かではありませんが、規模はかなり大きく、感冒にて浮腫んだ舌側面が歯に当たり続けることで裂傷・炎症に至ったものと思われております。こういうケースは典型的な舌癌にいたるパターンでして、実は一番恐るべき発生プロットなのであります。
ご質問のハリーですが、巨大化の傾向はありませんがいつまでも深く、味蕾の間に常に血を孕ませており、このまま消滅するのかそれとも他の口内炎同様円状に拡散するのか、動向を見守っているところです。

 

(会話や食事の不便は解消されるのか)

ええ、ええ、会話の不便につきましては、日頃より罹患個体が人と接することがありませんので、特に不便は確認されておりません。ただ、電話が来た際にやや滑舌が悪くなる場合があり、これはつまり長時間の会話によって口内の水分が失われ口内炎上部が乾燥、そういたしますと炎症部分が他の部分と接触するたびに軽く粘着し痛みを発するという、これは現在最も巨大な口内炎であります下唇炎症部分、我々はドルイドと呼んでおりますが、これが目下滑舌を妨げている口内炎であります。
食事につきましては、感冒中ということもありますので何分量がいけず、大きな弊害となっているわけではありませんが、ソース系など高ph物質、フライ系など物理的な刺激によって痛みが発生するのは、これはそもそもの予見通りです。もっとも、私共が恐れておりますのはそういった直接的な刺激でなく、食事における二次災害的な事態でありまして、つまり、咀嚼において口内炎自体を過って咬合するというケースです。実際これが、先ほど申しましたおとといの、いわゆるドルイドの過咬合でして、本来なら本日あたり炎症部分の痛感は消えるものと予想されておりましたが、目下のところ痛みは消えることなく、サイズは当初の1.2倍から1.5倍になっております。土手部分の高さもかつてない高さに成長しており、更なる咬合が懸念されております。

 

ドルイドは今も成長しているのか)

えええ、土手の高さがありますことから成長の停止を必ずしも予見はできないのですが、ドルイドの中には実は二種類の傷がありまして、ひとつが感冒罹患当時の古い傷、もうひとつがおとといの過咬合の傷でございます。ドルイドの中央部ならびに左部・右部は古い傷由来の領域で徐々に癒えつつありますが、過咬合のありました上部下部には実はまだ噛み傷が残っておりまして、いまだ深く赤味をさしております。場合によってはこの傷が炎症を経てせり上がり白斑円状を形成すると同時に、古い傷由来の中央部左部右部が平癒し、口内炎自体が上下に二分割されることも予想されております。
もっとも、今後の口内環境の充実とビタミンC等の補給、感冒の治癒による自己修復力の向上により、事態はそこまで悪化の一途を辿ることはないのではないかとも思っております。

 

アメリカ大統領選挙の影響はあるか)

え、え、ええええ、トランプ政権の樹立に伴う外交面の影響につきましては、罹患個体が米国籍でも指定7か国の外国籍でもありませんので、口内炎は基本的に国内環境下で治癒されていくものと考えております。薬剤の塗布なども行われておりませんので、医療・薬剤の分野で今後どのような交渉が行われたとしても関係はありません。ただ、今回感冒罹患の初期にかなり漢方薬を使用しましたことから、この行動が米国の対中政策とどう折り合うか、折り合わなかった場合、口内炎漢方薬は無関係であるということを、主張していきたいと思っております。

 

(テロの関与は)

ええ、ええ?えええ、ええ、いまのところ声明等ございませんのでその方向性での懸念は、一切、しておりません。しかしテロに関して線引きが難しい部分、つまり口内炎の起源が外部にあるのか、それとも自己免疫系の破綻によってきたされているのか。後者の場合、その理由を手繰っていった時、罹患個体に対する恒常的な嫌悪があるとするなら、これは一概に否定できない部分がございます。が、現在のところは、テロ関連法に抵触するような状況は何も無いと。

 

(今後口内炎にどのように処していくのか)

ええ、今後というか、これまでも同様ですが、口内炎につきましては自然災害に似たところもあり、発生ごとに適宜対処していくという方法しか、ございません。よくビタミンの不足であるとか、そのような認識も世間では出回っておるようですが、実のところいまもって謎が多く、言えますことは自己治癒力のいたずらな反応なのではないかと認識しております。私共は罹患するたびに毎度痛みを噛みしめつつ、舌先にその円状を確認し、嵐の過ぎ去るのを待つようにその減衰を見守るしかない、というのが正直なところです。

 

もうよろしい、でしょうか?
はい、では以上です。
本日はどうも、ありがとうございマッ…………。

 

◆ ◇ ◆

 

今年二本目の記事がコレかよ!

あ。「学園コメディ無責任姉妹」が全品キンドルアンリミテッドになりました。

学園コメディ 無責任姉妹 1: 漆田琴香、煩悶ス。 (さくらノベルス)

学園コメディ 無責任姉妹 1: 漆田琴香、煩悶ス。

謹賀新年|あけましておめでとうございます

新しい年になりました。
酉年だそうで。
羽ばたける飛躍の年になりますよう……あ、鶏は飛べないか。
とにかく、良い年を。

ちなみに、2017は素数だそうです。

あ、無料やってます。

バナー画像